第四十三話 真実の愛とは

 ジェシカは意識が朦朧としている様子で、呼びかけにも明瞭な返事が返って来ない。


「フェスタ、この家の鍵を探してくれ」

「ええ」

「エイミー、私達は窓と扉を閉めて来ましょう」


 フェスタとネーナ、エイミーが足早に去って行く。


「気付けの薬ならありますが、少し違う気もしますね」

「とりあえず、宿に行こう。あのギルドじゃ気が休まるとも思えん」

「多分これね、鍵」


 オルトとスミスが話している間に、フェスタがジェシカの上着と家の鍵らしき物を手に戻って来る。


 戸締まりを終えるとオルトがジェシカを背負い、一行は宿へと走り出した。




 ◆◆◆◆◆




「お客さんお帰りなさい……ってジェシカ!? どうしたの!」

「急に倒れた。少し休ませたいんだが」

「は、はい! お父さんお母さん! ちょっと来て!」


 シルファリオの宿屋『親孝行亭』は、意識の無いジェシカを背負ったオルトが現れて大騒ぎになった。


 宿の主人が慌てて医者を呼びに走り、ジェシカの家には病気の弟がいると言うので、看板娘のニコットが世話をしに向かう。


 夕食時になっていた食堂は非常事態という事で、常連が配膳をして慌ただしいながらも何とか回っていた。


 医者の見立てでは、ジェシカは過労と心労という事だった。遠慮する医者に銀貨を握らせて帰し、ようやく一同は人心地がついた。


「悪かったな女将さん。面倒事を持ち込んで」


 オルトが謝ると、宿の女将は慌ててブンブンと両手を振った。


「頭を上げてよお客さん! ジェシカを助けてくれて、私等がお礼を言わなきゃならないくらいなんだよ」

「知り合いなのか?」

「以前は近くに住んでたんだよ。両親を亡くしてから持ち家を処分して町の外れに引っ越したんで、あまり様子を見てやれなくて……こんなに追い込まれてたなんてね」


 主人と共に沈痛な表情で、眠るジェシカを見つめる女将。ネーナは少し気が引けながら、冒険者ギルドで見た事を女将に話してみた。


「そんな事が……レオンはジェシカの幼馴染でね、結婚の約束をしていたんだよ。しっかり者のジェシカがお調子者のレオンをよく助けてて、駆け出しの頃はジェシカのお陰で命拾いした事もあったって聞いたよ」

「ジェシカさんは冒険者だったのですか?」

「そうさ。ベルントの病気が悪化したんで、近くにいられるようにギルド職員になったんだよ」


 ネーナは冒険者ギルド支部でのジェシカの様子を思い返した。ジェシカ一人を大勢が取り囲んで馬鹿にしたり罵倒する図は、どう見てもいじめやリンチとしか言いようが無かった。


「レオンって子は見栄っ張りでプライドも高くてね。何でジェシカと別れたのかはわからないけど、その辺は娘の方が知ってるかもしれないね」

「そうですか……お兄様」


 どうにかなりませんか、ネーナがそう目で訴える。オルトは微笑み、ネーナの頭を撫でた。


「俺達が首を突っ込んでどうなるのかって気はするけどな」

「でも、これではジェシカさんがあんまりです」

「ジェシカお姉さんがあんなに虐められていい訳ないよ!」


 エイミーもネーナに加勢してきた。エイミーは、ギルド支部のカウンターで俯いて耐えるジェシカの姿を見て、酷く胸を痛めていたのだった。


「私あのレオンとかいう人、許せないよ! アイなんとかって人も! お兄さんの事も馬鹿にして!」

「アイリーン、な。まあ、俺の事は言わせておけばいいんだが」

「全然よくないよ!!」

「よくありません!!」

「お、おう……」


 怒りの矛先が自分に向き、苦笑するオルト。スミスの顔を見やるが、妙案が出る事は無かった。


「まずは私達の目的でもあるので、ランクアップを目指すしかないかと。今日はギルドマスターも見かけませんでしたし、あのアイリーンとかいう女性職員が幅を利かせてるようでしたし。わからない事が多過ぎます」

「そうなんだよ……町はいい町だと思うんだが、ギルド支部の雰囲気はマーサから聞いた話と大分違っててなあ」


『マーサ』という単語に、女将が反応する。


「あんた達マーサの知り合いかい?」

「俺達はリベルタのギルド本部で、マーサからこの町を勧められて来たんだよ」

「マーサはこの町の生まれでね。親分肌で腕っ節も強くて。彼女がいたら、レオンも馬鹿な事やってられなかったんだけどねえ」


「ん……」


 オルト達の会話が聞こえたのか、ジェシカが目を覚ました。意識がはっきりすると、家に帰る、夜の仕事がある、と起き上がろうとしたがエイミーに止められる。


「駄目だよ、ジェシカ。今のあんたに一番必要なのは休息なんだよ。後の事は皆でどうとでもするから、今は休みな」

「女将さん……」


 ジェシカは渋々ベッドに横になるが、宿の主人と女将が厨房に向かうと、ジェシカはベッドの上に身体を起こして深々と頭を下げた。


「皆さんにもご迷惑をおかけして……」

「迷惑なんかじゃないよ。お姉さんは一杯頑張ってるから、一杯休んでもいいんだよ。ちゃんと寝てて?」

「エイミーさん……」


 ジェシカの目に涙が浮かぶ。エイミーがハンカチを出してジェシカの目を拭った。


「……私、ずっと頑張って来たんです」

「うん」


 ポツリと呟くジェシカに、エイミーが頷く。




 幼い頃から、ずっとレオンと一緒だった。私が選んだ訳ではなく、そういう環境だった。


 このまま大人になり、歳を取ってもそうなんだろうと思っていた。


 レオンを意識した事は無かったけれど、多分私はレオンが好きだったと思う。彼に『結婚して欲しい』と言われた時は嬉しかったから。


 レオンは時々優しくしてくれた。私もそんな彼の力になれるように一生懸命頑張って、冒険者にもなった。


 私とレオンが所属するパーティーがBランクに上がった頃、私の弟の病気が悪化した。レオンは「辞めるな」と言ったけれど、私は弟の傍に居られるように冒険者を辞めた。


 思えば、私がレオンに逆らったのはこれが初めてだった。だけどレオンを嫌いになった訳ではなく、私はレオンをサポート出来るように、ギルド職員になった。弟の看病で会う時間は減ったけれど、レオンの役に立とうと仕事を頑張った。


 暫くして、アイリーンがシルファリオ支部にやって来た。するとレオンは、パーティーの担当職員を私からアイリーンに変えた。二人が一緒にいる所をよく見かけるようになった。悲しかった。


 レオンは家に帰らなくなり、元々の浪費癖が酷くなった。私にお金を無心するようになり、注意をすると逆上して暴力を振るわれた。


 この頃私はギルド職員以外の仕事を掛け持ちして昼も夜も働いていた。弟の治療費を稼ぐ為に。別な仕事をしようとした事もあるけれど、「姉さんにそこまでさせて生きていたくはない」と弟に泣かれた。


 ある日突然、レオンが「真実の愛に目覚めた」と言ってきた。婚約は破棄する、当然お前とは別れると。お前はつまらない女だ、口喧しくて嫌だったと罵倒された。


 ギルドで冒険者や職員から嫌がらせをされるようになった。私物が無くなったり壊されたり、大勢から馬鹿にされたり小突かれたり。覚えの無いミスで叱責されたりもした。助けてくれる人もいたけれど、大半は見て見ぬ振りをしていた。




「――私、今まで何やってたんだろうって。もう疲れちゃって。でも大事な弟の為に頑張らなきゃいけなくって。でも、やっぱり疲れちゃって。私、何で生まれてきたんだろうって。私、生きてる意味あるのかなって……」

「あるよ!」

「!?」


 エイミーが突然大声を出した。驚くジェシカ。黙って聞いていたネーナが口を開く。


「そんなに頑張ってきたジェシカさんが、生きてる意味がない訳無いじゃないですか。今見つからなくても、探せばいいんです。見つからなくてもいいんです。生まれてきて良かったに決まってるじゃないですか。私達はみんな、ジェシカさんに会えて嬉しかったんですよ」

「ネーナさん……」


 オルトはジェシカに寄り添うネーナとエイミーを見ながら、内心では頭を抱えていた。


 普段冷たかったり暴力的な人を『優しい時がある』と思うのは、重症である。その上、ジェシカが経済的に苦しいのを知りながら金を無心する程の浪費癖と来れば、レオンはどう見ても不良物件だ。


 話を聞く限り、双方の両親を含めたジェシカの周囲の人間全てに問題がある気がしてならない。スミスの言うように情報が少ない。


 実際の所、Bランクパーティーの戦闘職を一人叩きのめすのは容易である。人数が増えても、オルトにとって大した手間ではない。ただ、それで解決するような話とも思えなかった。


 まずはジェシカ本人の意思を確認する必要がある、オルトはそう感じてジェシカに問いかけた。


「ジェシカ、君に確認したい事がある」

「はい、何でしょうか」


 ジェシカが居住まいを正し、オルトに向き直った。


「皆が君の窮状を知った今、これまでのように頑張らなくても誰も君を責めはしない。もちろん、今まで通りに頑張る事も出来る。君はどうしたい?」

「頑張れます。大丈夫です。私を応援してくれる人が沢山いるんだって、思い出しましたから。大切な弟もいますし」


 涙を拭って、ジェシカは即答した。オルトは頷いて、次の質問をした。


「レオンとよりを戻したいと思うか?」

「思いません。彼は取り返しのつかない、してはいけない事をしましたから」


「レオンやアイリーン、ギルドの連中に復讐したいと思うか?」

「思いません。見返したいとか、普通に働きたい、普通に暮らしたいとは思いますが」


「言ってしまえば、君がこの町を出てしまえば苦しまなくて済む話でもあるように見えるが。その気はあるか?」

「ありません。弟は旅の出来る身体ではありませんし……生まれ育ったこの町が、私は好きなんです。両親のお墓もありますし」

「そうか。わかった」

「あの……どういう事ですか?」


 ジェシカは怪訝な顔でオルトを見る。オルトは椅子から立ち上がり、外套を手に取りながら答えた。


「とりあえず女将さんが言ったように、今日は温かいメシを食って寝ろって事さ。エイミーはついててやってくれ」

「うん!」

「お兄様、どちらへ?」


 部屋を出るオルト。ネーナも小走りに後を追う。部屋の外では、涙ぐむ店主夫婦が食事のトレーを持って立っていた。

 ネーナは二人に頭を下げて通り過ぎ、足を早めてオルトに追いつく。


「聞いていたんでしょうか」

「多分な。部屋で待っててもいいぞ」

「危険ですか?」

「どうかなあ」

「では私も行きます」


 短いやり取りの後、オルトは苦笑しながらネーナの頭を撫でた。




 宿の外はすっかり暗くなり、人通りもまばらになっていた。オルトは立ち止まる事なく、近くの家の方へ向かう。


 細い路地に入ると足を止め、すぐ庇えるようにネーナを抱き寄せる。ネーナもオルトの外套の裾を握った。


「…………」


 闇の中から、二つの人影が現れる。オルトが口を開くより早く、傍らのネーナが言葉を発した




「貴方達は、ギルド支部のテーブル席にいた方々ですね?」

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