第七十七話 シルファリオの侍祭

 オルトが伸びをすると、身体のあちこちがゴキゴキと音を立てた。深い溜息が漏れる。


「やっと終わった……」

「お疲れ様でした、オルトさん」


 労うジェシカに完成した始末書を手渡し、オルトは席を立った。ジェシカはこれからその始末書の処理をするのだという。


「何だか悪かったな」

「いえいえ、お手間を取らせたのはギルドの方ですから。オルトさんは何も悪くないですよ。それにオルトさんは書類の作成が手慣れた感じで、とても楽でした」


 手を動かしながら、ジェシカはニッコリと笑う。オルトも『王女の騎士プリンセス・ガード』時代に一年程副隊長を務めたので、デスクワークからは逃げられなかったのだ。不本意であっても、慣れざるを得なかった。


 嫌な記憶を呼び起こされたオルトは、愛想笑いでお茶を濁して部屋を出た。一緒に帰る約束をジェシカとして、先にホールに向かう。




 始末書の作成から解放されたオルトがギルドのホールに出ると、日帰りの依頼を達成して戻った冒険者達で賑わっていた。


 ジェシカとの待ち合わせの為、空いている席に座る。早速顔馴染みの冒険者達が絡んできた。


「何だよオルト〜、今日は一人か?」

「フェスタと喧嘩でもしたのか?」

「妹達に嫌われちゃったとか?」

「もしかして私にチャンス到来!?」

「おめーは最初からノーチャンスだよ!!」


 既に出来上がっているらしく、息が酒臭い。肩を組んでゲラゲラ笑ったり、オルトの頭を抱え込んでペシペシ叩いてくる。


 待ち合わせ場所の選択を間違えたオルトが後悔している間にも、どんどん人が集まってくる。シルファリオ支部の冒険者達にとっては、邪魔者抜きでオルトを弄り倒す絶好のチャンスなのだ。


 だが、酔っ払い達の思惑は早々に潰える事になった。オルトにとって救いの女神ならぬ、救いの天使が現れたからだ。それも二人も。


「お兄様!」

「お迎えに来たよ〜!」


 ギルドの扉を開けて入って来たネーナとエイミーは、オルトと彼に群がっている酔っ払い冒険者達とを見つけてピタっと立ち止まった。


 にこやかだった二人が、急激に不機嫌な顔に変わる。最早天使の面影は無い。


「おじさん達何してるのー!」

「お兄様から離れて下さい!」


 オルトに駆け寄った二人は酔っ払いを引き剥がすと、それぞれ左右からオルトの腕にガシッとしがみつき、周囲を威嚇し始める。


「ガルルルル!!」

「むーっ!!」

「何で威嚇してるんだよ……」


 酔っ払い達がバツの悪そうな顔で散らばっていく。結果的に救われた形になったオルトは、二人を宥めて一息ついた。


 そんなオルト達に、一人の若者が近づいていく。


「……あの、オルトさん」

「何よ!?」

「何ですかっ!?」

「うわあッ!」


 声をかけるなりニ匹の番犬ネーナとエイミーに威嚇され、若者が悲鳴を上げて後退った。オルトが苦笑しながら二人を窘める。


「どうどう。というか、相手構わず噛みつくんじゃない。それで、君はアンデレだったかな?」

「あ、はい。俺の名前、知ってたんですか?」

「支部の冒険者の顔と名前は大体覚えてるさ」

「Dランク冒険者の事まで……」


 オルトの返事に感激するアンデレ。彼はDランク冒険者だった。


 冒険者パーティー【菫の庭園】もBランクに昇格し、今やシルファリオ支部のエースに君臨している。町やギルド支部への貢献を評価された事もあり、周囲のオルト達に対する態度も、以前とは雲泥の差だ。


 ネーナの発案で実現した、希望する冒険者対象の講義は貢献の一例に当たる。講義が開催されるようになってから所属冒険者の質が向上し、支部全体の成績と評価が上がり始めた。その恩恵を実感した冒険者の多くは、オルト達に好感を持つようになる。アンデレもその一人である。


 先程、冒険者達がオルトに戯れついていたのも、一応は親しみであったのだ。


「何か話があるんじゃないのか?」

「あ、ええと。話があるのは俺じゃなくて、侍祭様なんです。内容までは聞いてないんだけど……教会まで来て貰えませんか?」

「ん?」


 オルトは勿論、ネーナもエイミーも侍祭とは面識が無い。ネーナが可愛らしく小首を傾げてオルトを見るが、そのオルトは『よくわからん』とばかりに首を横に振った。




 ◆◆◆◆◆




 アンデレの後を付いて歩くオルト達。ジェシカには先に帰るように伝えて、教会へ向かっていた。


 オルト達は今まで、シルファリオの教会とも侍祭とも距離を置いてきた。破門された神官のブルーノがパーティーに加入した為である。さらには、元聖女のレナも仲間に加わった。


 ネーナはストラ聖教自体に強い不信感を持っているし、他のメンバーも信仰に篤いとは言えず、近づく理由が無かったのだ。


 教会はシルファリオの町の、オルト達が暮らす屋敷から見て反対側のエリアにあった。小ぢんまりとして、住居が併設されている。アンデレは窓から灯りの漏れる住居ではなく、暗い教会へと入って行った。




 高い位置の窓から、礼拝堂に月明かりが差し込んでいた。祭壇の前に跪き、熱心に祈りを捧げる者がいる。


「侍祭様」


 アンデレが声をかけると、人影は振り返った。


「おおアンデレ。オルトさんを連れてきてくれたのかい?」


 アンデレが頷く。『侍祭様』と呼ばれた人物がオルト達に歩み寄る。アンデレはオルト達に頭を下げると、出入口と別の扉から礼拝堂を出て行った。


「私は、当シルファリオ教会の侍祭を務めさせて頂いている、エトゥと申します。お呼び立てして申し訳ありません。どうしてもお話ししたい事があったものですから……」


 エトゥと名乗った侍祭は、まだ若かった。見た所、二十代後半から三十代くらいか。かなり細身で、ネーナは気弱そうな印象を受けた。


 エトゥはシルファリオ教会を運営していた助祭が急逝した為、後を継いだのだという。


「アンデレがお世話になっているそうで、有難うございます」

「失礼ですが、アンデレさんとはどういうご関係ですか?」


 ネーナの問いかけにエトゥが答える。


「兄弟です。血の繋がりはありませんが」


 エトゥやアンデレは、亡き助祭が引き取って来た孤児であった。『兄弟』は全部で九人。年長の者は職に就き、年少の者はエトゥの手伝いをして力を合わせ、教会を盛り立てているという。


 オルトはエトゥの視線がネーナ達に向いたのに気づき、二人を紹介した。


「この娘達は俺の妹で、冒険者パーティーの仲間だ。情報は共有する事になるから連れて来たが、問題はあるか?」

「妹さんでしたか。それでしたら構わないでしょう」


 エトゥは納得したのか何度も頷き、用向きを切り出した。


「単刀直入に申し上げます。ストラトスの大聖堂から、当教会に照会がありました。レナ様とブルーノ殿についてです」

「来ましたか……でも侍祭様、どうしてそれを私達に話すのですか?」


 ネーナが問いかける。


 エトゥの話自体は、【菫の庭園】メンバーが想定していた事だ。レナが『聖女を辞める』と言ったからとて、ストラ聖教の幹部が認めるはずが無い。


『聖女』と称される存在はレナ一人ではない。だが聖女と呼ばれる者達の中で、魔王との決戦にまで同行して生還したレナが随一だと多くの者が考えているのだ。手放せる訳がない。


 そのレナが、ストラ聖教が破門を宣告したブルーノと行動を共にしている。そして二人が所属する冒険者パーティーが世間に名を知らしめようとしているとなれば、関心が向くのも自然な事だ。


 聖教側の動きは当然として、疑問なのはエトゥの行動である。聖教側の人間であるエトゥが、レナとブルーノ側の人間であるオルトに、聖教の総本山たるストラトスからの照会があった事を伝えた。その照会は、後に聖教が起こす何らかのアクションの前段階かもしれない。


 他人を介してオルトを人の居ない時間の教会に呼び出した事から、エトゥも自身の行動の危険性は理解している筈なのだ。


「どうして、ですか……いくつか理由はありますが、一つは私が皆さんに感謝をしているからです」

「感謝?」

「そうです」


 シルファリオの住人であるエトゥは、町が変わったと感じていた。


 街道沿いではありながら、近隣の大きな宿場町に旅人を取られる立地。一部の権力者が幅を利かせて、努力や工夫の甲斐もない日々の暮らし。それが以前のシルファリオだった。


 そんな町にやって来た無名の冒険者パーティーは、瞬く間に町の不正や暴力を排除し、理不尽な死病すら跳ね除けて澱んだ町の空気を一掃してしまったのだ。


「アンデレから聞いたのは、皆さんの事でした。彼が冒険者としてやっていけるようになったのも、ギルドがサポートをしてくれるようになったからだと。皆さんの力添えがあったのだと聞きました」

「何でも俺達のおかげにするのは違うと思うが……」


 オルトは苦笑しながら、左右のネーナとエイミーの肩を抱いた。二人は驚いてオルトの顔を見上げる。


「この娘達がこの町の理不尽に怒り、苦しむ人を助けたいと願ったんだ。それだけの事さ。町が変わったと言うのなら、それは町の住民が自ら行動したからだろう」


 二人はオルトの言葉を聞いて、顔を見合わせてニッコリと笑った。


「取り敢えず、侍祭がストラトスにどう報告するつもりかだけ教えてくれると助かるな。後は出来るだけ、そちらに飛び火しないようにやってみる。向こうから無茶振りがあれば、その時にまた教えて欲しい」

「承知しました」


 エトゥが深々と頭を下げる。ネーナはそのエトゥに声をかけた。


「あの、侍祭様」

「何でしょう、ネーナさん」

「侍祭様は、レナさんとブルーノさんの事をどう思われているのですか?」


 レナは聖女を辞めると宣言して、この町に半ば逃げ込むようにやって来た。ブルーノは破門の宣告を受けた。ストラ聖教の神官であるエトゥがその事についてどう思うのか、ネーナは気になっていたのだ。


 暫し考えた後のエトゥの返事は、ネーナにとっては意外なものだった。


「わかりません。私はレナ様の事も、ブルーノ殿の破門の事も、ストラトスの発表以上の事は知らないのです。ですから軽々しく申し上げられませんが――」


 エトゥは言葉を切り、一息置き。そして迷いなく言い切った。


「皆さんは私達の亡き『父』が愛し、私達兄弟が暮らすこの町の恩人なのです。皆さんが信じた方々を、私も信じます」

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