第三十八話 なりたい自分になればいい

「お兄さん、帰って来ないね」


 宿の一室で外を眺めながら、誰に言うともなくエイミーが呟く。

 小さめの窓から見える北セレスタの市街は、雨に煙っていた。


 外出中のオルトを除く四人は、二部屋取った内の広い三人部屋に集まって過ごしていた。スミスは魔力制御の練習をするネーナの様子を窺いながら読書をし、フェスタは仲間達の衣服の綻びを確かめては折り畳んでいる。エイミーは弓の手入れを始めたもののすぐに飽きて、宿の外を行き交う人々をひたすら目で追っていた。




 北セレスタの冒険者ギルドに帰還した【菫の庭園】一行は、監督官として同行した【運命の輪】のリーダーであるメラニアの報告もあって、無事にDランクへの昇格を果たした。


 そのまま滞在を延長してDランクの依頼の中でも不人気な部類のものを引き受けた【菫の庭園】の行動に、すっかり打ち解けた【運命の輪】やギルド職員は驚きを隠さなかった。


 ランクの規程で仕方ないとはいえ、明らかな実力者のオルト達が、自ら地下の下水道に入ったり薬草を摘む姿は奇異に映ったのだ。だがそれらの依頼は、説明を受けた上でネーナが「やります」と言ったものだった。


 ネーナもその手の依頼をパスして構わない事はわかっていた。メンバーが優秀な【菫の庭園】は依頼を選んでもハイペースで昇格していく。他の冒険者が避けるような、労力に見合わない汚れ仕事を選ぶ必要もない。


 でも、ネーナは自分の事をしっかり見つめていた。王女でなくなった自分は、何も出来ない小娘でしかない。パーティーに何の貢献もしていない。駆け出しの冒険者と同じ経験をするべきだと考えていた。


「だったら、みんなでやろう。パーティーなんだから」


 オルトはそう言い、仲間達も微笑んだ。申し訳無いと思うネーナに、オルトは言葉を継いだ。


「俺達全員、冒険者としてはルーキーだ。もしかしたら今しかやる機会は無いかもしれないんだから、やっておこう。でも昇格を逃すつもりも無いから、Bランクまでは一気に駆け上がるぞ」

「はい!」


 冒険者ギルドのルールで、Bランクまでは依頼を達成する事によるポイントで昇格が決まる。北セレスタのギルド職員はそう教えてくれた。


【運命の輪】のメラニアもBランクを目指していると言った。Cランクが一人前の冒険者の証ならば、Bランク熟練の冒険者の証。依頼人やギルドからも一目置かれるようになり、移動の制限も大幅に減るという。


 本来の目的は忘れていない。その為に選んだ冒険者という道ではあるけれど。その暮らしは早くも、ネーナにとってとても大事なものになっていたのだった。




「お兄さん帰って来た!」

「本当に!?」


 エイミーの声に反応し、ネーナはサッと集中を解いた。フェスタとスミスが苦笑するが、気にせず窓に駆け寄り目を凝らす。


「見えません……」

「そう? あれだよ、あれ」


 狩人の素質を持つエイミーには、オルトの姿が見えているらしい。だが彼女が指差す方向をどんなに見ても、ネーナには人影の区別がつかなかった。


 宿に近づく人影の一つが、窓の前の二人に向かって手を振った。それで漸くネーナにもオルトを見つける事が出来た。


『おかえりなさい!』

「ああ、ただいま」


 暫くしてノックされた扉を、待ちきれないようにネーナとエイミーが開ける。二人はオルトの外套を剥ぎ取る勢いで手にすると、水滴を拭き取り始めた。

 フェスタがオルトに手拭いを差し出す。


「随分降ってるのね」

「大分弱まってきたけどな」

「これから出ても大丈夫かしら」

「たぶんな」


 ネーナ達はメラニアからパーティーの誘いを受けていた。


【運命の輪】と懇意なギルド職員と何組かの冒険者達、その友人知人が集まるという。【菫の庭園】の昇格祝いに歓迎会、送別会とまあ、あれこれ理由をつけた要は宴会、飲み会である。


「食堂を貸し切りにしたんだっけ?」

「冒険者ギルドと提携していて、割安らしいですよ」


 フェスタにスミスが答える。


 冒険者ギルドのサポートの手厚さはかなりのものだ。宿に装備品に消耗品、食料品と飲食店、加えてルートによるが移動の馬車までも。ギルド提携の店舗では冒険者証の提示で割引きが適用される。


 ギルドや冒険者の先達の多大な努力の賜物なのだろう。当然、サポートを受けられるのはギルドが保証する優良な冒険者に限るのだが。


「お兄様、外套です!」

「お、拭いてくれたのか。有難う」


 ネーナがオルトの外套を持ち、オルトに着せようと椅子の上に乗っている。エイミーは隣の部屋にスミスの外套を取りに向かった。オルトは笑いながらネーナの前で背を向ける。


「二人とも、外出の準備をしておいで。帰りは夜になるからな」

『はーい!』

「フェスタ、外で待ってる」


 オルトとスミスはそう告げて部屋を出た。




 歩きながら、スミスが小声で尋ねてくる。


「何かわかりましたか?」


 オルトは無言で両手を広げ、成果が無かった事を示す。二人は小さく溜息をついた。


 雨の中、オルトは一人で奴隷商と情報屋を当たっていた。

 それはスミスから侍祭マチルダの一件を聞いた後、オルト達が話し合って決めた事だった。その初回が北セレスタだったのだが、手がかりすら掴めなかった。


 闇ルートで売られた聖女候補の少女が見つかる可能性は低い。だが奴隷の中には何度も売り買いされる者もいる。その過程で表で取り引きされる事があるかもしれない。オルト達はその僅かな可能性に賭けた。


 オルト達は、万が一少女が見つかるならば、それは王国の外のはずだと考えていた。王国内で見つかるならば、盗賊ギルド幹部のフェイスがとっくに捕捉しているはずだ。教会の人身売買ルートには、別の盗賊ギルド幹部だけでなく王国上層部の関与すら疑われた。


 一人でもいい。少女達を救いたい。その上でもしも証言が得られれば、王国教会の悪事を暴く突破口にもなり得る。今はとにかく、出来る事をするしかない。


「何にしろ雲を掴むような話です。焦りますが地道にやるしかないでしょう」

「ああ。こういう仕事になるとスカウトやシーフが欲しいな」


 スミスが頷き、同意を示す。【菫の庭園】には探索や情報収集に力を発揮出来るメンバーがいない。それでは受けられない依頼も出て来るし、オルトは自身が情報収集向きでないのも理解していた。

 とはいえパーティーの性質上、気軽にメンバーを加える訳にもいかない。


「ネーナが経験を積めば、その役割もこなせるでしょうが」

「ネーナが? そうなのか?」

「ええ。何と言っても王族の血筋ですから。正に才能の宝庫ですね」


 スミスは言う。


 長いサン・ジハール王国の歴史の中で、王室は多くの英雄や賢者の血を取り入れて来た。それが建国王の『聖者』ジハールと妻である『勇者』リンカの一子、レカンから連なる血脈に加わるならば、どの方面に素質が開花しても不思議ではないのだと。


「それこそ大賢者でも、聖女でも、盗賊王でもね」

「あー。是非とも大賢者の方で頼む。聖女はともかくネーナが『盗賊王』になった日には、俺に各方面から刺客が殺到する」


 真顔のスミスに、オルトは顔を引きつらせて答えた。ネーナの実姉である大公妃セーラ。王国のユルゲン将軍。オルトの元上司である元近衛騎士隊長ブレーメとオルトの元同僚達。王女時代のネーナに誠心誠意仕え、今もネーナを慕う侍女のフラウス、リリィ、パティ。心当たりが多過ぎる。


「魔術師の適性は?」

「勿論あります。すでに初級の魔法は実用レベルですし、記憶力が非常に高い。後は賢者としての知識を伝えたり、本人は錬金術や薬学にも興味があるようですね」

「あまり戦わせたり、血生臭い所は見せたくないんだがなあ……」


 それが許される生活でないとはわかっていても、オルトとしてはネーナが戦いや暴力に慣れる事には賛成出来なかった。




「お待たせ」

「パーティー始まっちゃうよ! 行こう行こう!」


 女性陣が合流し、オルト達は路地へ出た。すっかり雨足は弱まり、薄暗い石畳を街灯が照らし始める。


 エイミーがスミスを引っ張って先を歩き、ネーナを真ん中にオルトとフェスタが並んで後を追う。


 オルトはネーナに呼びかけた。


「ネーナ」

「何ですか、お兄様?」

「ネーナは何になりたい?」


 フェスタは二人のやり取りを黙って聞いている。ネーナは考え込んだ。


「何になりたいか、ですか……」

「スミスに色々教わってるだろう? 錬金術にも興味あるのか?」

「えっと、それは治療のポーションに興味があって……」


 ネーナがモジモジしている。オルトとフェスタは顔を見合わせた。


「お兄様や皆の、お力になりたい、です……」


 ネーナは顔を真っ赤にして俯いてしまった。


 オルトもフェスタも、漸くネーナの思いに気づいた。ネーナは自分なりに懸命に考え、パーティーに貢献しようとしていたのだ。


 スカウトと共に、現状の【菫の庭園】にはヒーラーも不足している。ネーナは誰に言われずともそう分析し、自分が穴を埋める方法を模索していた。


 突然、フェスタがガバっとネーナを抱きしめた。


「何なのこの妹! 可愛すぎか!」

「あわわわ」


 慌てるネーナを見て、オルトは笑う。


「まあ、そっちは頑張ってもらうとしてだ」


 フードの上からネーナの頭を撫でる。ネーナは不思議そうな顔でオルトを見上げた。


「自分がなりたいものになればいいさ。いつからだってなれるし、やり直しも出来る。失敗したっていい。ネーナが一人で歩く事を選ぶまでは、俺達がついてる。変な方向に行こうとしたら首根っこ掴んで引き戻すけどな」

「……はい!」


 ネーナが嬉しそうに笑う。


「お兄さん達、遅いよー!」


 前を歩くエイミーが三人を急かすように声を上げた。三人は顔を見合わせて微笑み、手を繋ぐと先行する二人に追いつく為に足を早めた。

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