第二百三十九話 『剣聖』マルセロが見つかった
「はい、お終い」
「あだッ」
額の絆創膏をペシっと叩かれ、レナは顔を
「しかし驚いたな」
「ちっとも驚いてなかったじゃん」
レナが口を尖らせて言い返した。
「ヒヤッとしたんだがなあ」
「涼しい顔でヒヤッととか言われても、面白くない。大体カスりもしなかったじゃん」
魔道具のナックルダスター『KOファーム』を手に入れたレナは、外出していたオルトが戻るなり勝負を挑んだ。善戦はしたものの、結果はいつも通りにデコピン一発で沈められたのであった。
オルトが苦笑する。
「そう言うなよ、俺だって当たりたくはないんだから。普段使いのククリナイフとは軌道も間合いも違うし、魔道具も相性が良いんだろうな。苦労したのは本当だぞ」
「……本当に?」
レナがジトッとした目で見る。二人の様子に、ネーナは器具を消毒しながらクスクス笑った。
調子に乗るからと本人には言わないが、オルトはレナの近接戦闘能力を非常に高く評価している。彼がその分野で天才と評したのは、ネーナの知る限り『剣聖』マルセロとレナだけだ。世間で天才と呼ばれる帝国騎士団の副長の事は、取るに足りないと切り捨てた。
レナは聖女として加入した勇者パーティーでは、敵と切り結ぶ機会は少なかったという。レナ自身が高い力量を持つヒーラーであり替えが利かず、万が一倒れようものなら勇者パーティーの全滅に繋がる、編成の要になっていたからだ。
加えて最激戦区を転戦し続ける勇者パーティーはメンバーの入れ替わりが激しく、高度な連携は不可能であった。レナにヒーラーの枠を超える動きが許される状況ではなかったのだ。
現在、【菫の庭園】でのレナはスカウトとヒーラーを兼ね、戦闘中は状況により前衛のセカンドアタッカーになる。それは本人の希望によるものだ。ネーナの目に、今のレナは生き生きして見える。
「私は剣を持って戦えませんから、レナさんやフェスタが羨ましいですよ」
「フェスタはともかく、あたしは毎回デコピンされてんだけど。いい加減おでこに穴が開くか、首がもげるからね?」
レナがおどけて
「そろそろこちらの話をしてもいいかしら?」
ギルド長のヒンギスと秘書のホランが入室してきた。
「皆に伝える前に意見を聞かせて欲しいのよ」
室内にいるのはヒンギスとホラン、【菫の庭園】の面々だけだ。
「私達が聞いてしまっても――今更ですか」
ネーナの問いは途中で引っ込められた。
今は非常時で、ギルド長ヒンギスの一行は敵地アルテナ帝国内で孤立中。本部と連絡を取り、執行部会を招集している暇は無い。ギルド長が意見を求めるのに【菫の庭園】が適当であるのは確かだ。
「勿論、口外はしないで欲しいけれど」
ヒンギスが前置きをして話し始める。
「今日、私達四人は情報局の捜査をしていたの。その間に動きがあったし、色々とわかった事もあるわ」
情報局の捜査はオルトの提案だ。ガルフの身柄を確保するまではギルド関係者の情報を優先していたが、それ以外にも有用なものがある筈だとオルトは睨んでいた。
スミスが頷く。
「確かに、
最強だった、と過去形にする。圧倒的な軍事力を押し出して周辺国を力ずくで取り込み拡大してきたアルテナ帝国は、最早見る影も無くなっている。
「それと情報局の職員が十数名、冒険者ギルドの保護を求めてきたわ。共通しているのは出国希望、後は当座の生活であったり、ギルドへの就職であったり色々ね」
同じ申し出は研究所の職員からもあり、リストを作成し、情報局の密偵であったミアやショット、同じく情報局の工作員や協力者であったギルドメンバー達が精査しているという。
帝国軍務省管轄の情報局と研究所は、蜥蜴の尻尾切りとばかりに国から見捨てられている。帝国の懸念は情報流出のみで、幾度にも渡る妨害もそれを阻止せんが為のものであった。
構わず置いていくのがギルドにとっては楽だが、残された職員達は間違いなく帝国の失態の責任を負わされる。詰め腹を切らされるのを座して待つ者はいない。
ヘクト・パスカルのように犯罪組織と結びつけば後々面倒な事になりかねない。ヒンギスにとっては頭の痛い問題である。
「ただまあ、ギルド本部も人手不足だから。渡りに船と言えない事もないのよね……」
無能では軍の諜報機関の職員にはなれないのだ。彼等の協力により帝国内外の多くの情報を入手出来たのも事実であり、ヒンギスは前向きに検討するつもりでいる。
何せ情報の中には、外交や工作に使われるような他国の重鎮の弱みや、今回は不発に終わったが帝国の皇族や貴族を破滅させかねない爆弾もあったのだから。それらは今後帝国をやり込めるのに、大いに役立つものだ。
「後はね。情報局に外務卿が来たけど、突っぱねて追い返したわ。オルトが」
ヒンギスが表情を変え、ニヤニヤしながら言う。フェスタ以外の仲間達が、オルトを見やった。
「……ギルドが単独交渉を断念すると通告したから、泡食った帝国がギルドを取り込みに来たんだよ」
「今になって、ですか?」
気まずげなオルトに、ネーナが尋ねる。
ギルドはカリタス事変の勃発以来、帝国が抱えている反乱や紛争には関与しないスタンスで単独交渉に臨んでいた。その使者たるギルド長一行に妨害を始めとする数々の敵対行為を働いてきたのは、他でもない帝国側だ。
「むしろ単独交渉の姿勢を貫いてきた事で、帝国が侮ったのかもしれませんね」
「それは私の反省点ね」
「ですが帝国内のギルド関係者の消息を確認する時間は稼げました。そこは目を瞑るべきでしょう」
スミスがヒンギスを慰める。この数十年、周囲に強気な要求をゴリ押ししてきた帝国は、ギルドに対しても変わらぬ態度で臨んできた。突然の掌返しに違和感を覚えたのは、ネーナだけではない。
「『
ヒンギスが溜息をつくと、ホランが補足する。
「帝国が東部国境を襲っている少数民族を背後から攻めるよう、コーラリアに要請しました。ですが軍を派遣しようとしたコーラリアは、都市国家連合からの除名を突きつけられて身動きが取れなくなっています。これはギルド本部からの情報です」
ほう、と仲間達が驚きの声を漏らした。
コーラリアは、都市国家連合最西端に位置する国家だ。歴史的に何度もアルテナ帝国に併合され、或いは属国となっており、最後は都市国家連合と帝国の紛争に乗じて独立し、庇護を求めて都市国家連合に加盟した経緯がある。
ただ『風見鶏』の二つ名を持ち、自国の利を得る為に両者を天秤にかける言動が目立ち、親帝国路線を踏襲して都市国家連合でも厄介者扱いされている。帝国東部の少数民族が住処を追われた際、帝国の要請で東から挟撃した事も広く知られていた。
「『自由都市』リベルタはギルド本部の拠点ですし、『鉱山都市』ピックスは帝国北部のドワーフ族を支援していますね。帝国から何らかの見返りを提示されたのでしょうが、今回のコーラリアの動きは、都市国家連合としては見過ごせませんでしたか」
「ネーナさんの仰る通りです」
ホランが肯定した。
都市国家連合にとってアルテナ帝国は、『盟約』が発動する最大の仮想敵だ。北部のドワーフ族と東部の少数民族への苛烈な処遇についても、何度も改善の申し入れをしてきた。コーラリアが帝国側で派兵するのは断じて認められない。
帝国としては東部から順に各個撃破する目算が、いきなり崩れた事になる。他に帝国を支援するような国は、近隣には無い。それは長年の拡大政策が招いたものだ。
「それで、帝国の外務卿は何と仰ったのですか?」
「…………」
オルトは渋面のまま、口を閉ざしている。代わってヒンギスが答えた。
「私とオルトに帝国の爵位を与えて、オルトとネーナにはそれぞれ縁談を用意するって」
「へっ?」
全く予想もしなかった話に、ネーナが間抜けな声を上げる。
「それを、フェスタの前でオルトに言ったの?」
「『若い妻の方がいいだろう』って」
「命知らずにも程があるわ……」
信じられないといった顔で、レナが呟く。フェスタは困ったように微笑んでいる。
爵位も縁談も全員に対してでない辺りが巧妙で、亀裂を生じる余地がある。しかし持ちかけ方が最悪だとネーナは思った。オルトがどんな反応をしたか、考えるまでもない。
「もうその場で、私達は帝国支部を廃止して帝都から撤収すると通告したから。これは変更なしよ」
ヒンギスは言い切った。そうなると、問題は今後の事になる。
「撤収してどちらに向かいますか? ウラカン支部ですか?」
「ええ。先方からは、いつでも構わないと言われてるわ」
ネーナの予想を、ヒンギスは肯定した。
帝国エリアの五つのギルド支部の内、ギルド長一行の受け入れが可能なのは北東部のウラカン支部だけだ。ウラカンは帝国第四の都市で、既にドワーフ族に対して降伏している。今後の団体交渉により、帝国から割譲される公算が大きかった。
三つの支部は帝都支部を含めて領土分割後も帝国に残り、もう一つは南部で反乱軍の勢力圏にある。反乱軍とギルドとの関係が微妙な今、これ以上のトラブルは避けたかった。
レナが感心する。
「よくわかったね、ネーナ」
「ウラカン支部は私達が執行部会とやり合った時にも支持してくれましたし、前総務部長のブライトナーさんの圧力にも屈しなかった、帝国エリアでは唯一の支部なんです」
ネーナは応えて微笑んだ。【菫の庭園】にとっても無関係な場所ではなかったのだ。
支部長を務めているのは、ブライトナーにより左遷された元部下であった。その妻は不倫をしたと思われていたが、拘束されたブライトナーの供述により、夫の処遇をちらつかせて脅迫されていた事が判明している。
「
「ギルド長、目が危ない人みたいになってます。戻って来て下さい」
ホランがブツブツと呟くヒンギスを揺さぶる。
ブライトナーについては、新たに帝国との癒着疑惑も浮上した。捜査機関の取調べが終わっても、今度はギルドの厳しい追及が待っている。それでも、多くの恨みを買っているブライトナーは、保護されている今が一番マシなのかもしれなかった。
「ブライトナーの話は置いといて。あたしらは一緒にウラカンへ行くって事でいいのね?」
レナがネーナに視線を向ける。ガルフの治療はまだ終わっておらず、ショットも病み上がり。ウラカンへの移動に耐えられるか、医師としてのネーナの見解を求めていた。
「安静にしていれば、お二人とも移動は可能だと思います。ガルフさんの治療は一旦中断されますが、この帝都の環境よりはずっと良いでしょう」
ネーナが太鼓判を押し、室内に安堵の空気が満ちる。だが続くオルトの一言で、雰囲気は大きく変わった。
「……俺達はギルド長とは別行動だ。『剣聖』マルセロが見つかった」
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