第百九十六話 何一つ、くれてはやらない
路地に沿って塀が伸びる住宅街から、商店のような建物が軒を連ねる市街へと景色が変わる。
だが周囲には人はおろか、生き物の気配がまるで感じられない。死んだ街だ。そんな事を思いながら、ネーナはマッピングに勤しむ。
作業がしやすいように、オルトがランタンを近づける。
「ペンの軸が大分傷んでるな」
「あー、買い物するなら、あたしに言ってからにして」
パーティーの先頭を歩くレナが振り返った。言葉足らずだと思ったのか、説明を加える。
「オルトとフェスタとネーナは、プレゼント用意する都合があるの」
身も蓋もないが、レナ達は早々に誕生日のサプライズを諦めていた。絶対に忘れないネーナに加え、オルトとフェスタの裏をかいてサプライズを実現するのは不可能だからだ。
その為三人には、食事会をしてプレゼントを渡す事を前もって伝えてあった。
結局立て続けにアクシデントに見舞われ、食事会は延び延びになっているが、プレゼントの中身は教えていない。
「でしたらお兄様、私は欲しい物があります。プレゼントとは違うと思いますよ」
「私もおねだりしようかな」
「……お手柔らかに頼むよ」
ネーナとフェスタは楽しげに笑い、オルトは苦笑を漏らす。
レナはポツリと呟いた。
「やっぱり、待ち構えてるね」
仲間達が驚く様子は無い。その可能性については、出発前にオルトとフェスタが指摘していたからだ。
近衛騎士に抜擢される以前は王国騎士団に在籍していた二人にとって、前日に撃退した帝国軍の動きはとても奇妙なものであった。指揮官に裁量が無く、予定通りの行動を厳命されているかのように。
Sランク冒険者が同行した地上部隊も、地下の特殊部隊も、あまりにも無警戒であった。それまでの工作活動は、時間をかけてカリタス支部のエースパーティーを取り込む念入りなもので、不可解な落差があった。
冒険者ギルドがカリタスの混乱を収束させる為には、帝国に拠点を置くSランク冒険者の【
工作活動によりカリタスの混乱は増大し、唯一救援が可能なSランク冒険者は帝国についた。その状況を加味し、【菫の庭園】の到着と実力が全くの想定外だったとしても、帝国軍のカリタス制圧作戦は楽観が過ぎた。
スミスはそれを、現場も抗し難い強権が振るわれたのだと推察した。その動機として、帝国に大きな利のある『何か』を見つけたのだと考えたのである。
「――止まって」
レナがパーティーを停止させる。
「敵はいないけど、トラップがあるよ。殺る気満々だねえ」
路地の端でしゃがみ込み、ゴソゴソと作業をした後、何かを摘んで断ち切った。そこでネーナは初めて、腰ほどの高さにトラップの線が張られていたと知った。
「設置されたのは最近。昨日かな」
振り返ったレナの手には、矢が握られていた。錬金術師であり薬師でもあるネーナは、矢じりを見て顔を顰める。
「……毒矢、です。即効性、かつ致死性の高いものだと思います」
地下迷宮内の瘴気は薄く、『死の影』も殆ど見かけなくなっている。以前に仕掛けたものならば、無軌道に動き回る『死の影』が作動させてしまっている筈。
トラップの対象は、カリタスからやって来る冒険者を想定していると考えるのが自然だ。
レナは首を傾げた。
「認識阻害、迷彩、気配遮断。こっちの索敵から逃れてる風でもない。罠はあるけど伏兵はいない。そろそろ駐屯地の地下って言うけど、敵が少なすぎない?」
ここまで【菫の庭園】は帝国兵に遭遇しておらず、レナは自分達が誘い込まれているのではないか、と懸念していたのだ。
「警戒は必要だが、敵が少ない事については別な理由ではないかな」
「私も同感。昨日の地上部隊と地下の特殊部隊は指揮系統が別だと思うの」
オルトが答えると、フェスタも同意した。
地下迷宮における探索活動は、帝国軍でも限られた者しか知らない情報に違いなかった。入手した地図の通り、帝国軍駐屯地に地下迷宮入口があるならば、同じ基地内に一般の部隊と極秘任務に従事する部隊が同居している事になる。
情報を秘匿されていた一般の部隊が、突然地下迷宮で連携など出来ない。オルトとフェスタは、現在地下迷宮にいるのは特殊部隊単独だと考えていた。
「ましてスミスの言う通り、上層部のゴリ押しで一連の作戦が決まったのなら、昨日の失敗で、一時的に現場の指揮官の発言力が強まってる筈だ」
失点を取り返そうにも、上層部の頭ごなしの命令では、不信感の高まった現場は動かせない。駐屯地自体が相手の反撃で大きなダメージを受けているのだ。
「地下迷宮の事は極秘事項ですから、兵士には説明出来ません。それでは、『エクスカリバー』に怯えながら駐屯地の復旧に汲々とする一般の部隊は動かせません。現状が不本意な命令の結果ならば、尚の事です」
故に、この先で待ち構えているのは特殊部隊のみであろうと、スミスは結論づける。
仲間達の話を黙って聞いていたネーナは、頭の上に手が乗せられたのに気づいて、傍らを見上げた。
「これは、戦争だ」
「はい」
オルトの言葉に、しっかりと頷く。
アルテナ帝国は、冒険者ギルドの管理地域であるカリタスに工作活動を仕掛け、同じくギルド管理の地下迷宮コスワースより、宣戦を布告する事なく攻撃を行った。明確な敵対行為である。
直接殺害に至っていなくとも、帝国が引き起こした事態によってカリタスでは死傷者が出た。帝国はオルトの『エクスカリバー』が駐屯地に直撃している。こちらも死傷者は免れない。
「アルテナ帝国は長年の膨張主義政策によって、幾つもの国を併合し、現在も国境を接する国々との領土紛争を抱えている」
先に仕掛けて、或いは挑発して手を出させて、何らかの成果をむしり取る。自らは損をしない。帝国はそんなやり方を繰り返しているのだと、オルトは言った。
「このような敵を相手取る時、絶対にやってはいけない事がある。それはいたずらに退く事だ。退いたら退いた分だけ、帝国は踏み込んで来る。粘れば、威圧すればこちらが退くとわかれば、帝国はいくらでも押し込んで来る」
カリタスの前身である旧カリタス王国のような対応をすれば、本来ならばすぐに潰されてしまう。旧カリタス王国が帝国に目をつけられなかったのは、当時は労力を使って手に入れる価値が無かったからだ。今のカリタスは違う。
「相手の足を止めるには、『何一つ、くれてはやらない』と示すしかない。奪おうとすれば痛い目に遭う、大きな損失を被るのだと、武力で知らしめるしかないんだ」
力の裏付けの無い対話も平和も成立しない。オルトはそう言い切った。その言葉に、今のネーナは反論する術を持たなかった。
ネーナの祖国であるサン・ジハール王国、『剣聖』マルセロ、レナが聖女として所属していたストラ聖教。いずれも【菫の庭園】が力を見せた事で手出しを諦めている。今は関係が良好な冒険者ギルドにしても同じだった。
ネーナも戦う事に否やは無かった。ただ、一つだけ懸念している事があった。
「――それでさ。この先はどうする?」
レナが話を引き戻す。トラップを解除しながら進む事は出来るが、それでいいかと聞いていた。
「力を示すとしましょう」
そう答えたスミスに対し、テルミナが申し出る。
「私がやろうか?」
「そうですね。罠も面倒ですし、お願いします」
スミスやレナが建物も罠も吹き飛ばして道を作る事は出来るが、ここは地下。やり過ぎれば天井が落ちかねない。
――大地の精霊。私達の前に道を拓いて――
テルミナの声に応えて、地面がボコボコと掘り返されていく。建物もトラップも持ち上げられ脇に落とされ、まるで
盛り上がった土がドサッと音を立てて落ちる。レナが感心したような声を上げた。
「便利なもんね」
テルミナは微笑みで応えて、風の精霊を使役する。
「いいわよ、スミス」
「助かります」
スミスは深く息を吸い込み、前方で煌々と輝く照明に向かって通告をする。
『我々は冒険者ギルド所属、Aランクパーティーの【菫の庭園】です。ここは地下迷宮コスワース、ギルドの管理地域です。如何なる国や組織であろうと、ギルドの許可なく立ち入りは認められません。そちらの所属を聞かせて下さい』
風の精霊が、通告に対する相手側の動揺を伝えてくる。だが返答は無い。スミスはフウッと息を吐いた。
『冒険者ギルドは、アルテナ帝国による宣戦布告の無い敵対行為への反撃、及びカリタスとコスワースからの敵性勢力の排除を開始します。黙っているならば、それも結構。交渉は行いません。我々がそちらに到着するまでの間に、戦闘か撤退か、降伏するかを決めなさい』
いつになく厳しい物言いで、スミスは通告を打ち切った。掘り返された土の道を、【菫の庭園】一行が歩き出す。
ネーナの胸には戦いの高揚感は無く、緊張と不安だけがあった。
◆◆◆◆◆
「撤退でしたね……」
「正直、逃げるなら何かやらかして行くと思ってたけど。トラップは無いよ」
ネーナが安堵したように言うと、レナは意外そうに応えた。砦で迎撃してくるかと思われた敵兵は、レナ達の到着前に姿を消していた。
「スミスの脅しが効いたか、それとも上が混乱していて焦土作戦の許可が出なかったか、間に合わなかったか」
オルトは砦を一瞥する。地下迷宮への下り口を中心に前線基地が構築され、高い塀が外周を囲んでいる。
ひしめき合うコンテナや、用途のわからない大型の魔道具の存在は、帝国が長期に渡ってコスワースに関わっている事をオルト達に確信させた。
「この真上は帝国領内で間違いありません。地図に記載されている帝国軍駐屯地に一致します」
ネーナの言葉にオルトは頷く。レナは危険を排除する為、単独で砦の奥に消えた。
地上へ上がる螺旋階段は、途中で隔壁によって閉じられていた。地下迷宮の天井はかなり高く、暗がりの中にあって目視出来ない。
「まずは、地上への上り口を封鎖しないとね」
フェスタが闇に伸びる塔を見上げる。テルミナは小袋の中から、植物の種を取り出した。
「これ、使ってみる? 『ジェイクの豆』って言うんだけど」
「豆、ですか?」
ネーナが興味深げに、テルミナの掌を覗き込む。
鮮やかな黄緑色。形はそら豆のようだが、粒は大ぶりで3センチメートル程。
「あんまり使い勝手が良くないけど、凄い勢いで真上に伸びるから手っ取り早く階段を潰せるわ。一週間程で枯れて、岩みたいに硬くなるし」
「ほほう。私も実物を見るのは初めてですよ」
賢者の知識欲が刺激されたのか、誰よりも乗り気なスミスに仲間達が苦笑を漏らす。
テルミナは塔の前の地面に指で穴を開け、豆の薄皮を破って一粒だけ埋めた。すぐに小さな芽が顔を出し、ネーナが驚きの声を上げる。
「はわっ!? あっという間です!」
「大地の精霊力が養分なの。二十分、ないしは三十分くらいで空高く突き出すわ」
その昔、賭けに負けたエルフから豆をせしめた人族の名前が由来なのだと、テルミナは説明した。
そのジェイクが豆を悪用し、険しい山の上で暮らす『
今ではエルフの里から決して持ち出される事の無い、幻の品となっている。
「私が見つけたのは、
「うわっ、何これ!?」
砦の中を見回っていたレナが戻り、目を丸くする。
豆のつるは一メートル以上の太さに成長し、塔の中に侵入してバキバキと音を立てながら、地上へと伸びて行く。
「何か見つかったか?」
オルトの問いに、レナは頷いた。
「この南西。少し開けた場所があって、そこが照明で明るくなってる」
レナの報告を聞き、再びネーナが不安そうな表情をする。
敵が帝国軍だと確定し、ネーナは友人達と戦う事になるのではないかと懸念していたのである。
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