第二百十一話 魔法のヤカンと、熊のガウェイン
ネーナが慎重に、丸いヤカンに魔力を通して傾ける。
「はわっ、お水が出ました!」
『おおー!!』
仲間達から歓声が上がった。
フェスタがカップで受けた水を口に含む。
「常温の水ね」
「あたしにも頂戴〜」
レナは腰を折り、ヤカンの下で口を開ける。
「どうぞ」
「ん〜、あれ?」
ヤカンの水を飲んだレナは、顔を上げて目を丸くした。
「これ多分、回復効果があるよ」
精霊喰らいを倒し、エルフの治療を済ませた【菫の庭園】一行は、トラブル回避の意図もあり、早々にエルフの集落を立ち去った。
野営地を定め夕食を済ませ、新たに入手したヤカンの鑑定をしていたネーナは、ヤカンが水を生成する事に気づいたのである。
「私は何も感じなかったけれど……」
先に水を飲んだフェスタが、首を傾げる。
「そうなんですか?」
自分のカップでヤカンの水を飲み、それからレナのように注ぎ口から出た水を飲んで、ネーナは納得した。
「確かに、疲労回復の効果があるようです。このヤカンから出た水を直接飲んだ場合なのか、時間経過で効果が消えるのかはわかりませんが」
フェスタ、エイミー、テルミナもレナと同じように飲んで、効果を実感する。
「詳細な鑑定には時間が必要ですが、今の所はデメリットが見当たりませんね」
「文字通りに、拾いものかもしれないわね」
フェスタが興味深げにヤカンを眺める。精霊喰らいが体内に取り込んでいたと見られるが、破損も無い。
長期間の移動や屋外での活動を強いられる事もある冒険者にとって、水の確保は重要な問題である。多く持てば
収納魔法やそれを付与された魔道具は存在するが、容量は無限ではないのだ。ヤカンの水に付与効果が無かったとしても、
「くまさんは、お水いらないの?」
『ガウッ』
グデッと地面に伏せる精霊熊に、エイミーが寄りかかる。
精霊熊は当たり前のように、【菫の庭園】に同行していた。『惑いの森』のエルフの中には、精霊熊がハーフエルフのエイミーと共に行く事への不満を顔に出す者もいたが、それを精霊熊にぶつける事まではしなかった。
「精霊熊を宿した精霊弓なんて、前代未聞だわ」
エルフのテルミナは、乾いた笑いを漏らす。
通常、精霊弓に宿る精霊は、弓の所有者が精霊術の契約で取り込むのだ。そして所有者が解放するまで、弓から離れる事は無い。
それが精霊熊は、契約なしに自らの意思で、エイミーの精霊弓への出入りを行っている。エイミーの母親が取り込んだ精霊を解放した上で。
テルミナはエイミーに、『上位命令』で母親の契約を上書きし、現在取り込まれている精霊を解放する術を教えようとしていた。だが精霊熊によって、当面その方法は必要なくなったのであった。
「うふふ、白熊さんはモフモフです」
鑑定を終えたネーナが、エイミーの反対側から精霊熊に寄りかかる。今の精霊熊は実体化し、大きな白熊になっている。
「そう言えば熊って、名前は無いの?」
「精霊熊はわからないけれど。基本的に精霊には、個体を区別する名前は無いわね。例えばノームなら、全ての個体がノームよ」
フェスタとテルミナの会話を聞き、エイミーが精霊熊に尋ねる。
「くまさん、お名前、欲しい?」
「ガウ」
あまり気の無さそうな返事。どちらでもいいのだと察し、仲間達が苦笑いする。
ネーナとエイミーが唸りながら考えるのをよそに、レナがポンポンと候補を挙げる。
「あんまり無いだろうけど、熊が被るとややこしいもんね。レオナルドとか、どうよ」
「レオナルドくま?」
「じゃあ、バーソロミ――」
「それは駄目じゃないかな」
「クーマン、クマーリオ、ベッケンバクマー、クマテウス、クマスチアーノ、クマンスマン」
「全部どこかで聞いたような……」
精霊熊はリアクションせず、候補を全てフェスタに却下されたレナは、不貞腐れて寝転んだ。
「じゃあもう、いつもガウガウ言ってるんだから、ガウディとかガウェインでいいじゃん」
『ガウッ』
「――えっ?」
仲間達の視線が、精霊熊とエイミーに集まる。
「くまさん、最後のがいいって」
「ガウェイン?」
『ガウッ』
フェスタが尋ねると、精霊熊はコクリと肯いた。
「縮めて、ガウちゃん?」
「ガウさんです! 宜しくお願いします!」
『ガウッ』
精霊熊、改め『ガウ』に抱きつき、ネーナとエイミーがいそいそと就寝の準備をする。そこにレナが、火種を投げた。
「あれ、二人とも。確かオルトに『浮気は駄目』って言ってなかったっけ」
『っ!?』
二人が硬直する。話の見えないガウは、首を傾げた。
「オルトがいなくなったら、今度はガウを抱き枕にするって、これ浮気じゃない? フェスタはどう思う?」
「そうねえ――」
フェスタは二人と一頭を順に見て、ニッコリと笑った。
「アウトね」
『うああああっ!!』
『ガウッ!?』
両サイドからの絶叫に、ガウが耳を塞ぐ。
「ちがうの、これはちがうの!」
「寂しかったんです! ほんの出来心なんです! 心はお兄様――」
必死の弁明が途切れ、辺りが静まり返る。テルミナが人差し指を立て、
「森の皆は、寝ている時間だものね」
風精に遮られて届かない言い訳を続けるネーナ達に、フェスタが苦笑する。
「オルトには内緒にしておくから、夜番の時間までちゃんと寝ておきなさい」
『…………』
しょんぼりした様子で二人が毛布に潜り込むと、フェスタはジトっとした目でレナを見た。レナが慌てて両手を振る。
「ちょっと待って! あれを吹き込んだのは、あたしじゃないから!」
少し
「……ナナリーやメルルの方かしら。困った娘達ねえ」
フェスタの脳裏に、ネーナ達と親しいシルファリオの冒険者達が思い浮かぶ。浮気の言い訳など、下世話な話で盛り上がる事もあるだろう。女子同士で話して妙な知識が増え、耳年増になるものなのだ。
騎士時代の同僚との女子会を思い出し、フェスタは深く溜息をつくのだった。
◆◆◆◆◆
「クシュッ!!」
『……大丈夫なの?』
水晶球の向こうから、ギルド長のヒンギスが気遣わしげに声をかける。
「失礼。続きをどうぞ」
くしゃみをしたオルトは口元を拭いて、ヒンギスに話の続きを促した。
『――アルテナ帝国に直接乗り込もうと思うの』
水晶球から拡声された言葉に、カリタス支部長のリベックが表情を硬くする。オルトは頭を振った。
「危険過ぎる。無謀と言ってもいい」
会議室に集まった面々は口を挟む事なく、二人のやり取りを見守っている。オルトとリベックの他にはスミス、さらにアイリーンやレベッカといった支部職員のリーダー格が数名、室内に同席していた。
『単に交渉の為だけじゃないわ。謹慎中のSランクパーティー【
理解を求めようと、水晶球の中のギルド長が熱弁を振るう。ヒンギスが述べた理由は、それぞれ確かに重要な案件に違いない。
オルトとて帝国内にいる筈のガルフ達の消息と、その立ち位置を知りたい気持ちはある。ギルド長の護衛という名目を貰えれば、直接帝国軍と事を構えて入国し辛いオルトにとって、願ってもない事であった。
だが、本題である護衛任務のハードルが高すぎた。恐らくは本部の執行部会でも受け入れられず、ギルド長のヒンギスが自分を動かそうとしているのだと、オルトは察していた。
「帝国領内では何もかもが敵だ。生半可な護衛を連れて行っても役に立たない。護衛任務としては最高難度で、ギルド長自ら行くのは賛成出来ない」
ただ反対してもヒンギスを納得させられないと考え、オルトがスミスに視線を送る。やむを得ない、とスミスも頷く。
「帝都支部所属のBランクパーティー【禿鷲の眼】は、帝国軍の密偵だ。当人達が認めているし、俺もそれは事実だと考えている」
会議室内にどよめきが起こる。これまでオルト達は、レベッカや、今はシルファリオにいるエルーシャといった親しい者にも、【禿鷲の眼】の正体を明かしてはいなかったのだ。
「密偵と言っても、各地を行き来して見聞した事を本国に送るだけのものだ。問題はそこじゃなく、帝国内の支部にも冒険者や職員として、帝国の息のかかった者が入り込んでいるだろうという事なんだ」
実の所、【禿鷲の眼】が冒険者の依頼を通して得た情報を本国に伝えている可能性もあったが、その辺りの確認が取れない、グレーな部分についてはオルトは触れなかった。
「帝国内では一瞬たりとも気を抜けないだろう。長居は出来ないし、するべきではない。ギルド長が自ら足を運ぶに適した状況とは思えない」
職員や冒険者を探しても、誰が帝国側なのかわからないのだ。接触した相手から、情報が帝国に抜けてしまう可能性は高い。オルトとスミスはそう考えていた。
『……どうにかならないの?』
ヒンギスが尋ねると、オルトは眉間に
「皇帝の首を取ってこいという話ならともかく、こちらから帝国に足を運んで護衛対象を守り切るのは、困難極まりない」
リベックとアイリーンが顔を引きつらせる。
「皇帝の首は取れるのか……」
「本当、
スミスもオルトの見解に同意する。
「護衛は一度の失敗も許されませんからね。中立な第三国ならばいざ知らず、関係が険悪な帝国へ行くのは、私も賛成出来ません。もう少し時間が必要です」
『…………』
緊急事態のカリタスに【菫の庭園】が突入出来たのは、カリタスが冒険者ギルドの管理地域で、派手に暴れても収拾がつく場所だったから。帝国に行くのは全く事情が異なる。
オルトとスミスは現在動員出来る戦力を加味して、至極常識的な正論をぶっている。それを理解しているヒンギスは、何も言えなくなった。
「あの……」
静まり返った会議室で、女性が挙手をした。水晶球の中のヒンギスを含めた視線が集まる。
「どうした、レベッカ?」
オルトと目が合い、少し赤面したレベッカが咳払いをする。
「ゴホッ……あの、エルーシャさんから『秘密兵器』の話を聞いていたんですが」
「秘密兵器?」
オルトがスミスと顔を見合わせる。
エルーシャがカリタス支援チームに送り込んだ【月下の饗宴】は女性だけのパーティーで、女性のギルド長に密着出来る利点がある。
しかしBランクパーティーで戦闘力に不安があり、かつ信頼関係があるとは言えない。今回の護衛として必ずしも適任とは、オルトには思えなかった。
「レベッカ、【月下の饗宴】だったら――」
「違います、オルトさん」
レベッカがオルトの言葉を遮る。
「エルーシャさんの秘密兵器は、シルファリオ支部の【路傍の石】ですよ」
「ここに来てるのか!?」
怪訝そうなオルトの顔が、驚きに変わった。
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