閑話二十九 手紙と花の腕輪
『はあ……』
応接室に、二人の溜息が重なった。テルミナは呆れ顔で言う。
「貴方達、ただ後悔する為だけに時を費やせるほど若くは無いでしょ。エルフじゃあるまいし、時間は有限なのよ」
マヌエルとスージーが顔を上げる。三人は【菫の庭園】一行が赤竜に乗って出発した後、部屋に移動していた。
「マヌエルの察しの悪さは相変わらずね。スージーがいるのなんて、最初からわかっていたでしょう? とにかく急いでネーナ達を送って欲しいって伝えたじゃない」
「面目ない」
マヌエルが大きな身体を縮めて恐れ入る。せっかく出来る限り最速の移動手段を用意して駆けつけても、寸劇を始めてゲストを待たせては意味が無いのだ。
「貴女の都合で振り回された上に出発まで遅らされたら、レナじゃなくたって怒るわよ、スージー。恩人に対する仕打ちじゃないわ」
「うう……」
スージーは両手で顔を覆う。周りが見えなくなるのは悪い癖だと指摘されてすぐに、再度の失態。言い訳の余地も無い。
「全く……」
マヌエルとスージーは感性こそ違うが、それぞれがパーティーを前に進ませる原動力となっていた。しかしどこか抜けた部分もあり、テルミナがそれを
侯爵夫人となったスージーがパーティーを離脱し、残されたメンバーも長く一線級の力を維持出来る年齢ではなくなってきた。こうして二人を叱る機会は、もう無いだろうと思っていた。それが実現したのだ。
テルミナは部屋の外へと向かう。
「後は二人でやりなさい」
『えっ?』
「えっ、じゃなくて。レナを怒らせた寸劇、また誰かを巻き込んでやる気なの?」
『…………』
「ここで済ませておいてね」
それだけ言って部屋を出た。
レナはスージーに対して辛辣だったが、これまで多少なりともレナと行動を共にしてきたテルミナは、スージーに対する叱咤激励なのだと受け止めていた。
とはいえ不器用な二人の事、話を切り出すのも難しいだろう。暫くはどこかで時間を潰さなくてはならない。どうしたものかと思案しながら、テルミナは食堂の前を通りかかった。
食事時でないにもかかわらず、使用人達が集まっている。賑やかさに誘われ覗き込めば、イーゼルに乗せられた二枚のキャンバスが注目を集めていた。
ネーナは自分が見た夢の情景を木炭画に表し、滞在した部屋に残していた。一枚はティーカップを手に微笑むロレッタ。もう一枚はロレッタを迎える人々。
バスティアン達年配の使用人は、驚きを隠さなかった。ネーナが顔を知る筈のない、既に亡くなっている先代の侯爵夫妻や使用人達が描かれていたからだ。
興味が湧いたテルミナは、自分も鑑賞しようと食堂に足を踏み入れた。
テルミナが出て行った後、応接室は沈黙に包まれていた。
そう言えばいつもこうだったと、スージーは【屠竜の炎刃】にいた頃を懐かしく思い出す。
そんな二人のやり取りは、いつもスージーが先制して困り顔のマヌエルを感情的に責め立てる構図。話し出すまで長いのに、始まれば止まらなくなる。だがマヌエルは一度たりとも、そこでスージーに怒ったりはしなかった。
漸く再会出来たのに、また同じ展開にはしたくない。そう思うスージーの前で、マヌエルはおもむろに頭を下げた。
「……済まなかった」
「えっ?」
スージーが驚きで目を見開く。
「俺は、お前が幸せに暮らしていると信じて疑わなかった。邪魔になってはいけないと言い訳をして、暮らし向きを知ろうともしなかった。もっと早く来るのだったと後悔している」
「マヌエル……違うの、貴方のせいじゃないの」
スージーの目から涙がこぼれ落ちた。マヌエルに対して、始めて素直な思いを口に出来た。
素直でない自覚はあった。それにより掌からこぼれ落ちたものもあった。長く苦楽を共にした仲間達から離れたのは自身の選択で、その結果お飾りの侯爵夫人を演じる羽目になったのは自業自得でしかない。
もう一度、何かの間違いでもいいから機会が与えられたなら。その時は思いの丈を伝えようと決めていた。
「私は、自分が思う英雄の妻になりたかったの。ただの見栄、我儘。自分の理想に沿わない貴方に、勝手に失望して離れていったの」
スージーが加入した時、【屠竜の炎刃】は既にAランクでも屈指の実力派パーティーと評価されていた。飾らない人柄のマヌエルに好意を抱くのに、時間はかからなかった。
ただマヌエルは争いを好む質ではなく、素朴さゆえに他の冒険者や依頼人からも侮られる事があり、スージーは大きな不満を持っていた。もっと尊重されるべきだと幾度訴えても、マヌエルは苦笑を漏らすのみであった。
その繰り返しに疲れ、失望を覚えていたスージーの前に現れたのが、ロルフェス侯爵となって間もないドネル。彼が自ら飾り立てた輝きを眩く魅力的だと、その時のスージーは思ってしまった。
マヌエルや仲間達はスージーを引き止めなかった。スージー自身もさっさとパーティーを離脱した。後から自分の愚かしさに気づいても、自ら仲間達との縁を切ったスージーには何も残っていなかった。そう思っていた。
なのに。テルミナは遠くシュムレイ公国からやって来て、マヌエルを呼び寄せた。そのマヌエルは、目の前で頭を下げた。何もかもスージーの自業自得だというのに。
「スージー、【屠竜の炎刃】に戻って来い。それとも、ここにいる理由があるのか?」
問われたスージーは頭を振る。
パーティーに戻れずとも、侯爵との婚姻は解消するつもりだった。ロレッタを無事に看取る事ができ、自分が雇った使用人達の身の振り方も決まっている。これまで侯爵家と領民の為に働き、義理は果たした。
何人かはスージーについていきたいと希望した為、自分の事は後でゆっくり考えようと思っていた。このマヌエルの申し出は、スージーには思いがけないものだった。望んではいけないものだと思っていたのだ。
「私……また、皆の所に戻っていいの?」
「勿論だ、皆待ってる。仲間も増えた」
「でも……」
躊躇うスージーの脳裏に、先刻のレナの一言が甦る。
――ウダウダウジウジしてる構ってちゃんは嫌いだね――
マヌエルは下げる必要もない頭を下げた。自分は素直に礼を述べ、彼の手を取るだけでいいのだと思い直す。
「……マヌエル、ずっと謝りたかった。ごめんなさい。それから、来てくれて有難う。私も戻りたい」
まだこれから婚姻の解消と貴族籍の離脱に向け、手続きを踏まなければならない。侯爵家での暮らしは苦しかったが、大切な思い出もある。それでも自分の居場所はここではないのだと、今はハッキリ言える。
この一言を言えたのは、間違いなくレナのお陰だ。そう思ってはいても、スージーは礼を言う気にはなれなかった。
脳裏のレナは、フンと鼻を鳴らす。
やっぱり彼女は嫌いだと、スージーが眉を顰める。マヌエルはそれを見て、不思議そうに首を傾げた。
◆◆◆◆◆
「何なのよ一体!」
怒声と共に、壁に投げつけられた花瓶が大きな音を立てて割れる。若い使用人達が扉の側で震え上がる。
部屋は酷い荒れようで、
バーバラは怒り狂っていた。
顔を見れば口喧しく注意をしてきたロレッタが死んだという。それは構わない。むしろせいせいするくらいだ。
だが、それを機に侯爵家の使用人が何人も辞めていった。早くも屋敷の清掃や食事に影響が出ている。お飾りの侯爵夫人に何とかさせようと言いつければ、拒否された。
その侯爵夫人は、楽しくガーデンパーティーをしていたと聞く。気に入らない。何もかも上手く行かなくなった。バーバラの怒りのボルテージが上がる。
そこへ公都に召喚されていたドネルが入室してきた。
「バーバラ……何をしているんだ」
「ドネル、お帰りなさい!」
室内の状況に愕然とするドネルに、バーバラが抱きつく。いつもなら抱きしめ返して笑みを見せてくれる夫は、疲れた顔で離れた。
「ドネル?」
「悪いがこっちも大変なんだ」
ドネルはそう言いながら、使用人にスージーを呼びに行かせる。程なくしてスージーではなく、バスティアンがやって来た。
「私はスージーを呼んだ筈だが?」
「スージー様は大事なお客様と面会中です。用件は私がお伝えしますし、必要な事もお答え出来ます。スージー様は後からこちらへ参るそうです」
不快感を隠さないドネルに対し、バスティアンは平然と答える。
「私は公都に呼び出され、領地の税収と人口が落ちていると叱責された。これはどういう事だ?」
「簡単な事です。侯爵様やバーバラ様、家令殿により、この数年で領地運営の予算が以前の四割まで削減されました。治安は維持出来ず、教育も医療も行き届かず、道路や施設の補修もままなりません。役人は腐敗し賄賂が横行し、そんな場所に商人は訪れず流通も阻害されます。生活が成り立たなくなった住民は、他の場所へ移り住みます。人口が下がり景気が悪くなれば、税収が落ちるのも必然です」
スラスラとバスティアンが即答する。
「私とスージー様は請願書を提出し、口頭でも申し上げました。取り合わなかったのは侯爵様と家令殿です」
「どうにかしろ! このままでは降爵、領地も召し上げられてしまう!」
「お断りします」
高圧的ドネルの命を、バスティアンはキッパリ拒否した。
「私は侯爵家の使用人ではありません。侯爵様が解雇されたのをお忘れですか? それとスージー様は教会に婚姻の解消を、内務省に貴族籍の離脱を申請しております。スージー様は領民が不憫だと、不足した予算の一部を私財で補填されていました。今後はそのような事も致しません」
「なっ!?」
真っ青になったドネル。話が理解出来ないバーバラ。
スージーが持ち出しで支え続けてもジリ貧で、いずれ立ち行かなくなる。それならば早々に能力のある領主にすげ替えた方が領民の為、ひいては公国の為だと、バスティアンは割り切っていた。
「これは、ロレッタからです」
バスティアンはドネルに封筒を、バーバラに小箱を渡すと去っていった。
ドネルもフラフラと執務室に籠もってしまい、取り残されたバーバラは自室に行くしかない。
「何よこれ!」
小箱を開けてみれば、枯れた小さな花環と手紙が入っていた。読まずに手紙を破り捨て、腹立ち紛れに小箱を壁に投げつけた。
夕食時、
「何でよ!
「いや」
ドネルは言いがかりのようなバーバラの疑いを否定した。金庫に残されていた領収書や出納帳を見れば、ドネルとバーバラ、バーバラの父や兄の浪費で食い潰された事は明らかだった。
今後は節約を余儀なくされると聞き、バーバラは不貞腐れて自室へ戻った。呼び鈴を鳴らしても誰も来ない。バーバラ付きのメイドは、全員いなくなっていた。
贅沢をして楽しく暮らせると思っていたのに、現実は全然違っていた。お菓子もお茶も出てこない。翌日からドネルは執務室に籠もるか金策に駆け回るようになり、顔を合わせる機会も減った。
身の回りの事を自分でせざるを得なくなり、バーバラはモタモタしながらも身だしなみを整える。意外と覚えているものだと思い、それはロレッタや侯爵家のメイド達に教えられたのだと気づいた。
ふと、片付いていない部屋を見回す。破り捨てた手紙も、壁際の小箱もそのままだ。
紙片を拾い集め、床に並べて組み合わせる。
手紙はバーバラの幼い頃の思い出話で始まっていた。
お転婆で勉強嫌いで手を焼かされたが、ロレッタが寝込んだ時には側にいてくれた事。庭園の花を摘んで腕輪を作り、プレゼントしてくれて嬉しかった事など。
侯爵の伴侶となろうとも、果たすべき役割がある。生きるには誰かの助けが必要で、学び続ける事、謙虚さや他者を尊重する事が大事だと説かれていた。何度も聞かされた話だ。
バーバラは小箱の中の枯れた花環が、かつて自身が編んだものであると、漸く思い至った。
ロレッタは意地悪などしていなかった。今更理解しても、もう遅い。彼女は亡くなっている。自分の周囲にも人はいない。
全ては自身の選択、その結果だ。バーバラはそれを甘んじて受けるしかなかった。
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