第百九話 私も冒険したいです
「指名依頼?」
「はい」
オルトとネーナは、ギルドの支部長室でエルーシャと向かい合っていた。
【
「北セレスタ支部から本部経由での依頼です。拘束期間は一ヶ月、先方から申し出があればオルトさん達が同意した場合のみ契約延長されます」
「依頼人は?」
「マリスアリア・ド・シュムレイ公爵殿下です。シュムレイ公国から【菫の庭園】への正式な指名となっています」
依頼内容は、シュムレイ公国の旧コスタクルタ伯爵領内での治安維持補助、及び領民の生活を脅かす危険の排除。
コスタクルタ伯爵領から【明けの一番鶏】と【運命の輪】が生還して後、事態は伯爵軍と公国軍の衝突に発展した。
マリスアリアの元夫であり宮廷で失脚した前宰相ヤンセンを当主とするホワイトサイド伯爵家は、当初はコスタクルタ伯爵家に呼応して巻き返す動きを見せた。
だが『シュムレイ三伯』の二家を相手に回して不利が予想された公国軍は、コスタクルタ伯爵による圧政から領民を解放すると喧伝して進軍。すると数日の内に、実に七割の町が伯爵に対して反旗を翻したのである。
瞬く間にコスタクルタ伯爵軍が鎮圧されるのを目の当たりにしたホワイトサイド伯爵家は、コスタクルタ家に同調する事なくヤンセンを当主から引き摺り下ろして引退させ、幽閉する事で公爵家に恭順を示して保身を図った。
公国はコスタクルタ伯爵領への対応を優先した。コスタクルタ伯爵家の倉庫を全て開放して金品を困窮する領民に配布すると、更に公国から行政官を派遣し、その監督の下で悪辣な役人や兵士を解任、処罰し民間人を採用。
コスタクルタ伯爵領は『ヴァレーゼ自治州』と名を変え、市民が参加する政治形態を目指して試行錯誤しているという。これはシュムレイ公爵マリスアリアの指示によるものであった。
「ヴァレーゼ自治州の状況はオルトさん達の方がご存知でしょう。長らく領軍も治安隊も機能しておらず、冒険者ギルド支部も撤退していました。ですので僻地等に魔物や野盗の被害が頻発しています。公国軍は制圧地域の治安維持と州軍の編成、抵抗を続ける地域への対応、それに街道の安全の確保で手一杯です」
それまでエルーシャに説明を任せていた支部長が話を引き継ぐ。
「現在発生している被害に対処するのは冒険者ギルドが適任だろう。ギルド本部は公国と自治州の関係者と協議して、『冒険者ギルドヴァレーゼ臨時支部』の設置を決めた。当支部からはエルーシャ君が派遣される。君達が指名を受けてくれるのなら、当支部からの依頼としてエルーシャ君の行き帰りの護衛もお願いしたい」
オルトとネーナは驚いてエルーシャの顔を見た。彼女の目には、強い決意の光が宿っていた。
オルトはその場で返事をせず、屋敷に戻って仲間達に依頼の話を伝えて意見を求めた。
【菫の庭園】はブルーノが三人の妻を娶って【
これから数ヶ月かけて勇者トウヤの軌跡を辿りながらアルテナ帝国を目指し、エイミーの両親の遺骨や遺品を集めてシルファリオに墓を移す旅に出る予定だったのだ。
その後にはワイマール大公国へ送り届けたスミスがパーティーを脱退して楽隠居に。ネーナは実姉の大公妃セーラの下に顔を出して、【菫の庭園】は暫しの休暇を満喫する事になっていた。指名依頼を受ければ、数ヶ月分の予定が完全に崩れてしまう。
例えマリスアリアの指名だとしても、オルトは二つ返事で引き受ける訳には行かなかったのだ。とはいえ、メンバーの意思確認は形式的なものでしかなかった。
オルトから指名依頼の話を聞いたエイミーは笑った。
『大丈夫だよ。おとうさんとおかあさんは待っててくれるし、困ってる人がいるんでしょ? エルーシャお姉さんを一人で行かせるのは可哀想だよ』
スミスは頷き、自虐的なジョークで締めた。
『私も、子供や孫への土産話が増えると思えば、少し帰る日が先延ばしになる事など何でもありません。トウヤと共に大公国を出発した日から、家族の下へ帰れる時が来るなんて思っていなかったのですから。私もいい歳ですが、アンデッドになる前に帰郷出来れば構いませんよ』
ネーナは真剣な表情で訴えた。
『私は確かに、勇者トウヤ様の生き様を知ろうとして遠回りをしています。けれど、人々の為に戦ったトウヤ様の事を知る為に、今苦しんでいる人を見過ごす事は出来ません。それでは本末転倒です。マリスアリア様のお力にもなりたいです』
『私はオルトと一緒だから』
『あたしもこれと言って予定は無いよ』
フェスタとレナは、パーティーの決定に従うと言った。オルトが仲間達に問いかける。
「では【菫の庭園】は、シュムレイ公国からの指名依頼を受ける。それでいいな?」
仲間達は頷き、旅の準備の為に各々の部屋へ戻って行った。
◆◆◆◆◆
「えっ、自分から申し出たのか?」
「はい」
エルーシャの返事に、オルトが驚く。ヴァレーゼ自治州へ向かう馬車の中で、一行は談笑していた。馬車に乗っているのはエルーシャと【菫の庭園】の面々だけだ。
シルファリオを出発した一行は、まず北セレスタに立ち寄りギルド支部に挨拶をし、依頼に同行する他の冒険者や職員と共にマリスアリアに面会した。
北セレスタからは【運命の輪】を含む数組のパーティーが先行して現地に派遣されており、カミラを始めとする職員達が仮のヴァレーゼ支部となる建物の確保等に駆け回っているのだという。
「今回のヴァレーゼ臨時支部設置、当地に縁のある職員や冒険者の派遣が多いみたいです」
「だろうな、だからエルーシャが自薦したと聞いて驚いたんだ」
オルトの言葉に、エルーシャは恥ずかしそうな笑顔を見せた。オルト達は、エルーシャの派遣は支部長かギルド本部からの指示だと思っていたのだ。
「ギルド職員になってから、シルファリオを長く離れた事が無かったんです。【菫の庭園】の皆さんに指名が来ているのは先に聞いてましたし、もしかしたらご一緒出来るんじゃないかと期待はしてました。少し旅行気分ではあります」
でも仕事はきちんとしますよ、と慌てて手を振るエルーシャ。仲間達が笑う。
「わたしもエルーシャお姉さんと一緒で嬉しいよ〜!」
「有難う、エイミーさん。ジェシカが羨ましがってましたよ」
エイミーに応えながら、エルーシャが少し遠い目をする。
「でも……本当は、私もオルトさん達と一緒に冒険したかったんです」
「冒険、ですか?」
ネーナに問われ、エルーシャは首を縦に振った。
「元々私は、冒険者志望だったんですよ。戦いがまるで駄目で、すぐに諦めましたけど」
オルト達はエルーシャのそんな話を聞くのは初めてだった。
エルーシャは以前、当時のシルファリオ支部で我が物顔に振る舞っていた職員に強要され、【菫の庭園】に適正ランク以上の依頼を振った事があった。
オルト達が無事に依頼を達成した為に事無きを得て、その後謝罪に訪れたエルーシャを、オルト達は咎めずに赦した。それ以来の付き合いだ。
当時はパーティーメンバーでなかったレナに、フェスタがかい摘んで説明をする。レナが納得して頷いた。
「あんた達、昔から飛ばしてたのねえ……」
「何て言い草だよ」
オルトが苦笑する。
「皆さんに助けて頂いて、お仕事を続けられる事になって。無くした信頼を取り戻す事も出来て。必死になって頑張ってたら、いつの間にかチーフになってて」
「もうすぐ副支部長なんですよね、エルーシャさん?」
ネーナがここぞとばかりに、情報通ぶりをアピールした。エルーシャが頷く。
エイミーと一緒によくギルド支部に顔を出して、他の冒険者や職員と話しているネーナはそんな情報に詳しい。飲み食いに夢中なエイミーは、その手の話は全く覚えていないが。
「そういう事もあって、最近は受付の業務からも離れ気味で。それが不満な訳ではありませんでしたけど、今回の臨時支部立ち上げのお話を聞いて思い出したんです」
後輩職員や冒険者達の指導はしっかりやって来た。弟の病気が治ったジェシカは、本来の実力を発揮出来る。自分が支部を離れても大丈夫。だったら――
「勿論、私達のお仕事ですけど、困っている人達がいるから、オルトさん達はきっとこの指名依頼を引き受けると思いました。戦う事は出来ないけど、私も一緒に行きたい。冒険したい。そう思ったんです。立場が上がれば身動きが取れなくなりますから、今回が最初で最後のチャンスかもしれないって」
「俺はパーティーの意見を集約してるだけで、困ってる人を助けたいって言い出すのは大体この二人だけどな……」
ワシワシと頭を撫でられながら、ネーナとエイミーが反論する。
「お兄様だって殆ど反対意見を言わないではありませんか」
「そうだよ〜。だからお兄さんが決めてるのと同じだよ〜」
「もしかしたら、取り返しのつかない事になっていたかもしれない。私のそんな愚かな失敗を救って貰ったあの時から、私のヒーローはオルトさんなんですよ」
「そ、そうか」
三人に詰め寄られ、軽く引きながらオルトが応える。エイミーは兎も角、ネーナとエルーシャ、それからファラ辺りは好意から信仰に寄っていると感じていたが、オルトはそれを気の所為だと断じて知らないフリをした。
「これが私の冒険なんです。冒険者の皆さんを、お傍で目一杯サポート出来るよう頑張ります」
エルーシャが両拳を握り、意欲をアピールする。
「私達の担当のジェシカは勿論だけど、エルーシャのサポートにもずっと助けられてきたものね」
「事前のチェックで依頼中の予期せぬトラブルが格段に減るというのは、実感としてありますね」
フェスタとスミスの高評価に、エルーシャの頬が緩む。オルトが軽い調子で提案する。
「まずは一ヶ月。無事に勤め上げて皆でシルファリオに帰ろう。依頼が終わったら、帰る前にエルーシャも連れて、軽く冒険するか」
「えっ!?」
エルーシャが驚きの表情でオルトを見た。
「野営するからベッドでは寝れないし、湯で身体を流すのも難しいけどな。どうする、エルーシャ?」
「っはい!! 是非!!」
オルトに尋ねられ、エルーシャは即答する。エイミーとネーナが両手を上げて喜びを表した。
「やった! エルーシャお姉さんと冒険だ!」
「楽しみです!」
「まずは仕事だからな。もうすぐ町に着くから、降りる準備をしておくんだぞ」
『はーい!』
ネーナとエイミーに加えて、エルーシャまで声を揃えて返事をした。オルトは苦笑しながら馬車の外を見る。
荒れた街道を補修に従事する人足が汗を流して行き来している。馬車の前方には、ヴァレーゼ自治州の州都であるカナカーナの高い外壁が近づいていた。
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