第百十話 ヴァレーゼ臨時ギルド支部
大きな市門で冒険者ギルドの証明書を提示し、【菫の庭園】一行とエルーシャを乗せた馬車がカナカーナ市街に入場する。
無言で外を見ているオルトに、ネーナが声をかけた。
「何をご覧になっているのですか? お兄様」
オルトが少し身体をずらす。ネーナは空いたスペースに滑り込み、オルトと肩を寄せ合うようにして窓の外を見た。
「人の顔……表情だな。そういう所を見ていた」
ネーナはオルトが言ったように、往来を行き交う人々の表情に注意を凝らす。誰も彼も忙しそうで、町全体にのんびりした空気は無い。
ヴァレーゼ自治州の州都カナカーナ。旧名はコスタクルタ伯爵領の領都ナカーナ。圧政で領民を苦しめていた領主が廃され、人々の頭はこれからの生活の事で一杯であろう。
「一生懸命なのはあるだろうが。不満や不安のような、悪い感情はあまり見て取れない。それよりも――」
「希望、ですか」
ネーナが呟く。
カナカーナの住民達は、ただ今日を生き延びる為に必死だった暮らしから、明日に、未来に希望を持って今日を頑張れるようになった。環境の変化が、人々の表情や心情までも変えている。
ネーナはカナカーナの人々の表情に、祖国サン・ジハール王国の未来を重ねた。王族の地位を棄て出奔した自分が心配するなど烏滸がましい、そう思い直して首を振る。
直系の王位継承者がいなくなっても、傍系から擁立される。その前に王政が打倒され、『
それでも人が生きている限り、その営みも続おていく。王族や貴族がいてもいなくても、それは変わらないだろう。このヴァレーゼ自治州のように。
思いに耽るネーナの頭に、ポンと大きな手が置かれる。オルトが声をかける。
「まずは仕事だ。行けるな?」
ネーナは頷く。
「今からでも」
「上等だ」
オルトがフッと笑う。馬車が少しずつ速度を落とし、やがて停止した。
◆◆◆◆◆
「うーん……」
【菫の庭園】を乗せてきた馬車が去って行く。それを見送りながら、フェスタが唸った。
オルト達は、一軒の大きな建物の前にいた。北セレスタのギルド支部で聞いた場所に間違いない。建物の外を一周し、オルトとエルーシャが戻って来る。
「裏は広いスペースがあって、鍛錬や解体に便利な場所だな。酷い格好で依頼から戻ったりするから、人通りの少ない門が近いのも地味にポイント高いぞ」
「よく考えられた立地だと思います」
エルーシャがオルトに同意した。
「だけど、鍵、かかってるのよね」
入口の扉をガチャガチャと引きながら、レナが言う。
「開けちゃう?」
「やめてくれ」
「壊しちゃう?」
「もっと駄目だろ、生臭聖女」
「!?」
レナにポカポカ叩かれるオルトをよそに、ネーナが首を捻る。
「これは、どなたか町の方に聞いた方が――」
「皆さーん!」
聞き覚えのある声に呼ばれ、エイミーが振り向いて目を輝かせた。
「カミラお姉さん!」
「はあ……ごめんなさい。はあ……臨時支部が町の大通り沿いに移転して……行きましょう」
「大丈夫ですか、カミラさん……」
ネーナが気遣うも、カミラは先頭に立って歩き出した。一行が後に続く。
カミラに案内されたのは、町の中心に程近い目抜き通り沿いの建物だった。ネーナが地図を見ると、高級住宅街、繁華街、役所や議会からもそう離れていない一等地である事がわかった。
脇の路地を塞ぐように備品の箱や机と椅子が押し込まれ、それでも足りない分は目抜き通りに面した壁沿いに並べられている。被せるシートが足りず、一部は野ざらしだ。
建物の中に入ると、職員が必要最低限の事務用品だけを置いて、どうにか業務をしているようだった。他の冒険者の姿は見られない。
オルトが尋ねる。
「カミラ、【運命の輪】の連中は外に出ているのか?」
「ええ……冒険者は臨時支部で指示を受けた場所に行き、案件に対処しては戻っての繰り返しだから。ここにいる事は殆ど無いわ」
疲れた顔でカミラが答える。オルトは強い違和感を覚えた。
【菫の庭園】が共に仕事をした時間は其程長くはないが、カミラはそんなヤワな職員ではない。オルト達に先行して現地入りしていたと言っても、僅か数日の筈。それが、オルトも見た事が無いような疲れ具合。
「一体何が――」
オルトの問いかけは、突如ギルド支部内に響いた、かん高い男の怒声で遮られた。
「パーカーはどこだ!?」
カミラの表情が強張るのを、オルト達は見逃さなかった。
「カミラ・パーカーはどこに行った!?」
「ここです!」
カミラが小走りに向かった先には、口髭を生やした小柄な中年の男が立っていた。モヒカンヘアーから、ネーナは鶏を連想した。
「どこで油を売っていた!? 仕事が終わっていないではないか!!」
怒り心頭の男が机を叩く。そこには大量の書類が山と積まれていた。
「申し訳ありません。本日到着予定の冒険者と職員の方々が移転前の臨時支部でお待ちでしたので、お迎えに上がっていました」
「そんな話、私は聞いていないぞ! こちらに来るよう連絡しておけば、迎えなど不要てはないか! そんなのは総務の仕事だ! レベッカ・ルバーナは何をしているんだ!?」
かん高い喚き声に、エイミーが露骨に顔を顰めて耳を塞いだ。書類の山と格闘していた女性職員の一人が、ビクッと身体を震わせた。女性は今にも泣き出しそうな表情をしている。
カミラは頭を下げ、釈明をする
「申し訳ありません。ラスタン臨時支部長の外出の予定は伺っておりませんでしたが、支部内におられないようでしたので支部長の机に書き置きをし、他の職員に言伝を頼みました。新たな冒険者と職員が本日到着する件については、朝礼で共有し連絡ボードに内容を残しております。ご確認下さい」
「!? レベッ――」
カミラから隙の無い反論をされ、怒りの矛先を変えようとした男の言葉が途中で遮られる。
「それとラスタン臨時支部長からご指示を頂きました臨時支部移転は、本日到着の冒険者達が北セレスタを出発した後の事ですので、ルバーナさんが連絡を取る事は不可能です」
「っ!? もういい! さっさと仕事をしろ!」
トサカの男――ラスタンがカミラを怒鳴りつけた。そこで漸く【菫の庭園】一行の視線に気づいたラスタンが怪訝そうな顔をする。
「何で冒険者がここにいる?」
ネーナが棘のある言い方で返事をした。
「先程カミラさんが、『本日到着予定の冒険者と職員』の話をしていましたが。Bランクパーティー【菫の庭園】と申します」
「ぐっ……そんな事はわかって――!?」
ネーナを怒鳴ろうとしたラスタンが言葉に詰まる。真っ青な顔に、ダラダラと幾筋も汗が流れていた。蛇に睨まれた蛙のように、オルトから視線を外せずにいる。
ネーナは傍らのオルトを見上げた。オルトはサッとラスタンから視線を外し、何食わぬ顔で室内を見回している。
「……うっ、くっ! 冒険者は早く現場へ行かせろ! 遊ばせるんじゃない!」
絞り出すようにそれだけ言うと、ラスタンは逃げるように二階へ上がって行った。
「……何あれ?」
「ごめんなさい、臨時支部の起ち上げが上手く行ってなくて。今日は説明だけするから、皆さんには明日から動いて貰っていい?」
不快感を隠さないレナに、カミラが申し訳無さそうに言う。
オルト達はカミラからヴァレーゼ臨時支部の状況と翌日以降の【菫の庭園】の動きについて説明を受け、臨時支部に派遣された職員達を紹介された。
臨時支部の職員は支部長を合わせて十二名。若い者が中心にも関わらず、何れも疲れた表情なのがネーナの印象に残った。その中でリベルタから来た二人の職員は、オルトやネーナの事を知っていた。
「乱暴者のワドルを懲らしめたネーナさんとエイミーさん、コンラート前統括との模擬戦の一件でオルトさんもリベルタでは有名人なんですよ! 仕事をご一緒出来るなんて光栄です!」
人の好さそうな男性に持ち上げられ、ネーナとエイミーがモジモジする。男性は資材担当のナッシュと名乗った。
「……あのっ! 私、模擬戦見てました! 握手して貰えませんか!?」
懸命に言葉を紡ぎ、オルトと握手をして感極まった表情をしている大人しそうな女性。先刻、ラスタンが言っていた総務担当のレベッカだ。
「『
内気で、話すのが得意ではないというレベッカ。それでも何とか思いを伝えようとする彼女に、オルトも姿勢を正して謝意を示した。
他の職員もナッシュが告げるオルト達の武勇伝を聞き、集まってくる。その武勇伝は大分脚色が加えられ、ネーナとエイミーが苦笑するような出来栄えになっていた。
「おお? 今日は随分賑やかだな」
ギルド支部の扉が開き、冒険者の一団が入って来た。五人組の男女は見た所、三十代くらい。ベテランのパーティーと言っていい。
カミラがリーダーらしき男を労う。
「お疲れ様です、キンバリーさん。彼等は今日到着したBランクパーティーの【菫の庭園】です」
「ほお?」
キンバリーと呼ばれた男が、【菫の庭園】の女性陣を見回す。最後にオルトの手を握っているレベッカに視線を送り、面白くなさそうに言った。
「職員総出で歓迎たあ、大したもんだな。レベッカ、お前はどの道怒鳴られるんだから、大人しく仕事してた方がいいんじゃねえのか?」
「あうっ……そ、そうですね……」
笑顔だったレベッカが落ち込んでしまう。
「あれを毎日聞かされるこっちの身にもなれよ――」
「聞きたくないなら、さっさと報告を済ませて支部を出ればいいだろう。自分も歓迎されたいなら、そう伝えればいい。それだけじゃないのか」
「……ああ?」
キンバリーが剣呑な目つきで、横槍を入れたオルトを睨んだ。そのオルトより先に、レナが口を開く。
「今日来たばかりのあたし等でさえ、職員が理不尽に怒鳴られてるんだと理解して不愉快に思った。あんたはそれを毎日見てて、どうしてこの娘にそんな事が言える訳? いい歳した大人が揃いも揃って何なの?」
「てめえ……」
キンバリーと仲間達が、レナに煽られ顔色を変える。狼狽えるレベッカを落ち着かせ、オルトがレナの前に出てキンバリーと対峙する。
「守ってくれるの?」
「相手が心配なんだよ」
「あたしは回復してあげるわよ。ってか、オルトには言われたくない」
自分が軽く見られていると知り、キンバリーの額に青筋が立つ。だが、仲間のスカウトがキンバリーを制止した。
「やめとけ。こいつは『
「それは事実ですよ」
「……チッ」
噂が真実であると告げたネーナを一瞥し、キンバリーと仲間達はカミラに今日の討伐実績を報告すると支部を後にした。
「中々、大変な場所に来たようですね」
冒険者が立ち去り、職員達も仕事に戻って行く。それらを見ながらネーナは呟いた。オルトが頷き、ネーナの背中をポンと軽く叩く。
「俺達の仕事が変わる訳じゃないからな。帰りたくなったか?」
「いいえお兄様。むしろやる気が出ました」
オルトに聞かれ、ネーナは笑顔で両拳を握って見せた。
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