第二百十話 僕が先に好きだったのに

 精霊熊は少女二人を乗せたまま、巨体を揺らして木々の間を抜けていく。

 

 精霊喰らいの進行ルート、その延長線上の道なき道を、【菫の庭園】一行はひたすらに進んでいる。草木がさまたげになる事は無く、存外に足下は安定していた。

 

 恐らくは精霊熊の力であろうが、『深緑都市』ドリアノンの『精霊王の封印』に似ている。ネーナはそう感じた。

 

「これ、真っ直ぐ集落に向かってるの?」

『ガウッ』

 

 精霊熊が、レナの問いかけに答える。

 

 精霊熊は人の言葉を解するが、話す事は出来ない。現状、会話が可能なのはエイミーだけ。しかしネーナの発案で、質問に対してYesならば一度咆え、Noならば二度咆えると決めて、他の仲間もある程度の意思の疎通は図れるようになっていた。

 

「精霊喰らいの進行ルートも一直線だったわね。どういう事かしら」

「それは『古代樹』を目指していたのだと思うわ」

 

 フェスタの疑問には、テルミナが答えた。

 

 古代樹は、世界に一本だけしか存在しない『世界樹』の子や孫が、エルフの挿し木によって広まったものだという。惑いの森の集落に古代樹が存在する事は、精霊術師であるテルミナとエイミーが感知していた。

 

「古代樹自身が大きな精霊力を持っていて、周囲にも多くの精霊が集まるの。精霊喰らいにとっては格好の目印だった筈よ」

 

 これも古代樹の枝から作られるのだと、テルミナは精霊弓を見せた。

 

「そろそろ集落に着く筈だけど、結界があるから油断しないで。フェスタ、殿しんがりを変わりましょう」

「お願い」

 

 先頭はネーナとエイミーが乗った精霊熊に、最後尾はテルミナへと隊列を変更する。エルフの結界に惑わされない一人と一頭で仲間達を守ろうという意図であった。

 

 壁の如く密生した木々に行く手を阻まれ、一行の足が止まる。テルミナが警告を飛ばした。

 

「来るわよ」

 

 自分達に向けられる敵意が、周囲で急速に膨れ上がるのをネーナは感じた。腰のホルダーから棒杖ワンドを引き抜き、戦闘に備える。

 

 枝葉を揺らし、木々が動き出す。古木が、大地に張っていた根を足のように操り迫って来る。

 

 その時、精霊熊が低くうなった。

 

『グァウッ』

 

 命令に従うかのように、敵意が静まっていく。木々が元の場所に収まり、通路が開く。

 

「今のは『木精エントの守り』よ」

「凄いね、マジで精霊喰らいの餌ばっかり」

 

 テルミナの説明を聞き、レナがズレた感想を返した。

 

「ま、本番はこれからって事ね」

 

 その目は前方を見据えている。

 

 防衛システムたる『木精の守り』が抜かれたのは、エルフ達も承知しているに違いない。この先で待ち構えているであろうと、仲間達は察していた。

 

「エルフ達は精霊喰らいには全く勝ち目が無いし、最終決戦というか玉砕戦になる筈だったのね」

「成り行きによっては、あたしらが叩き潰すけどね」

「一応は、助けに行くのよ?」

 

 戦る気満々のレナを見て、フェスタが苦笑する。

 

 ある場所まで進み、精霊熊は立ち止まった。エイミーが振り返る。

 

『ガウッ』

「準備はいいかって」

 

 仲間達が頷く。

 

 精霊熊が右前足で宙を掻く。すると前方の空間が裂け、その先には違う景色が顔を覗かせていた。

 

 

 

「止まれ侵入者! これは命令だ! 従わなければ殺す!!」

 

 

 

 聞き覚えのある声に、フェスタとネーナの表情は、あからさまにゲンナリとしたものになった。

 

「変わってなくて安心したわ」

「まるで成長していません……」

 

 裂け目を越えた【菫の庭園】一行が姿を現すと、弓を構えていたエルフ達からどよめきが起こる。その視線は一様に、精霊熊とエイミーに注がれていた。

 

 弓に矢をつがえて構える三十人弱のエルフの前で、見覚えのある若者が細剣レイピアを突き出して喚き散らす。

 

「武器を捨てろ! 精霊熊から離れろ! 貴様のような――」

 

 

 

『ガアアアアウッ!!』

 

 

 

 最後まで言わせず、精霊熊が咆哮した。

 

 若いエルフはヒッと悲鳴を上げ、ヨロヨロと後ずさって尻餅をつく。他のエルフも精霊熊に敵意を向けられて、青い顔をしている。

 

「よくやった熊」

『ガウッ』

 

 レナと精霊熊が、ゴンと拳を合わせる。エイミーは精霊熊の首筋に抱き着いた。

 

 フェスタがエルフ達に警告する。

 

「私達の仲間に対する侮辱は許さない。私達は精霊熊の頼みでここに来たけれど、そちらが敵対的な行動を取るなら叩きのめすまでよ。前回、貴方に『大精霊の誓約』をかけた時と同じようにね」

「あの時の人間どもか……っ」

 

 苦い記憶が甦ったのか、若いエルフが座り込んだまま憎々しげに顔を歪める。

 

「そもそも貴方は、誓約によって人間とハーフエルフを傷つける事は出来ないでしょう。誰が前に出させたのよ」

 

 フェスタが精霊喰らいから回収した弓を投げると、立ち上がれない若者は四つん這いになり、慌てて弓を抱え込んだ。

 

「どうして貴様等がこの弓を! さては、あの化物は貴様等が放ったものか!」

 

 キッと睨みつけてくる相手に、ネーナは深い溜息をつく。

 

「もう少し考えて物を言って下さい。精霊喰らいを放ったならば、私達が先にここへ来る必要はありません。精霊喰らいを倒す必要もありませんし、大事な精霊弓を置いて逃げ出した貴方に、弓を持ってきてあげる必要も無いでしょう」

「ぐッ」

 

 諭すように言われた上に、痛い所を突かれた若いエルフが歯噛みする。

 

「精霊熊さんが私達と共にいて、貴方達と対峙している。この状況をどう説明するのですか? 貴方にこんな真似が出来ますか? 精霊熊さんは、容易く操られる存在なのですか?」

 

 エルフ達は、伝説の精霊に矢を向けている状況に強く困惑していた。先刻の咆哮が、エルフ達と一戦も辞さないという精霊熊の意思なのだと理解していたのだ。

 

「私達は精霊喰らいの攻撃を受けた方の治療の為に来ました。先を急ぐ旅の途中ですし、貴方達と不毛なやり取りをする気はありません。一度だけ言います、道を開けて下さい」

 

 通さないならば押し通るまで。ネーナの言外のメッセージは、正しくエルフ達に伝わっていた。

 

 どうしたものかと顔を見合わせるエルフ達に、弓を抱えてうずくまったままの若いエルフが訴える。

 

「皆、どうしたんだ! 彼奴等の言葉を信じるのか!? 里に余所者を入れるのか!?」

「――よさぬか」

 

 エルフ達の間から、老人が姿を現す。エルフの容姿は、人族で言えば青年の時期が長く続く。中年、老人の見た目となれぱ、相当の期間生きている筈だ。ネーナはその事を知っていた。

 

「恐らく、里長よ」

 

 仲間達に告げるテルミナを、老人は一瞥した。

 

「同族がおるか。ならば知っておろう、我等が里は、外から来る者を受け入れぬ。疾く立ち去れ」

「お断りよ。言うべき事は先に言ったから、好きにさせて貰うわ」

 

 時間稼ぎにも問答にも応じるつもりはないと、【菫の庭園】一行と精霊熊が動き出す。

 

「――おさよ、戦っても我等は勝てぬ。この人数でもだ」

 

 以前ネーナ達と戦ったエルフの一人が、絞り出すような声で進言する。

 

「……道を、開けよ。弓を下ろすのだ」

 

 里長の指示を受け、エルフ達が安堵の表情で道を開けた。

 

「熊、どこに行けばいいのかわかる?」

「ガウッ」

 

 レナに応えて、精霊熊は真っ直ぐに巨大な木に向かう。一行の後を、里長とエルフ達が無言で追う。

 

 空間の裂け目の外からは視認出来なかった巨木に既視感を覚え、ネーナは尋ねた。

 

「テルミナさん、あれはドリアノンにあったものと同じ木ですか?」

「概ね正解。ドリアノンの古代樹は恐らく、世界樹の枝を挿した直子。こちらは孫か曾孫ひまごね」

 

 テルミナが微笑む。ネーナは見分けがつかず、難しい顔をする。

  

 古代樹の傍に幾つかある小屋、その一つの前で精霊熊は立ち止まった。

 

『ガウッ』

「ネーナ、くまさんがここで下りてだって」

「あっ、はい」

 

 二人が背中から下りると、精霊熊がみるみる小さくなり、フワリと浮かんでエイミーの頭の上に乗る。

 

「精霊化、ですか?」

『ガウッ』

 

 小さくなった精霊熊が自慢気に答え、ネーナは驚きで目を丸くした。

 

 大きな身体のままでは小屋に入れない為に自ら縮んだものだが、実体化と精霊化を使い分ける精霊など、ネーナは聞いた事が無かった。

 

 

 

 小屋の中は清潔ではあるが、殺風景だった。

 

 家具は簡素なベッドと、小さなテーブルとタンスが一つずつ。ベッドには一人のエルフ女性が横たわっている。他には誰もいない。

 

 フェスタとテルミナが空気を入れ替えようと、窓や扉を開けつつ外のエルフ達を牽制けんせいする。ネーナとレナは、横たわる女性の容態を確かめる。

 

 女性の顔を見つめながら、ポツリとエイミーが呟いた。

 

「……この人、お母さんにそっくり」

 

 仲間達も、エルフ女性にエイミーの面影がある事には気づいていた。

 

「脈も呼吸も弱いです。意識は無く、非常に衰弱しています」

 

 ゆったりとした貫頭衣を摘み上げ、ネーナの表情が険しいものに変わる。

 

 エルフならではの白く透き通るような肌。しかし、女性の胸から腰にかけての左半身は、炭のように黒ずんでいた。

 

 このまま放置すれば、エルフ女性は死に至る。ネーナはそう診断した。

 

「予想通りです。テルミナさん」

「私も駄目ね、変色している部分に精霊術は効かない」

「私の薬も、本来の効果は期待出来ないと思います」

 

 ネーナのポーションは、薬効と精霊の働きで回復力を高めるハイブリッドなのだ。テルミナの返事を聞いた時点で、ネーナはポーションでの治療に見切りをつけていた。

 

「レナさん、お願いします」

「こういうのは初めてだけど、やるしかないよね」

 

 エルフ女性の炭色になった患部に、レナが両手を当てる。

 

 目を瞑り、二度三度と深呼吸して、よく通る声で術を行使する。

 

『――超・快癒エクストラ・ヒール

 

 女性の身体が輝き出し、小屋が眩い光に包まれた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 目的を達したネーナ達は、空間の切れ目から『惑いの森』に戻っていた。

 

 再び実体化した精霊熊に、ネーナとエイミーが抱き着いて別れを惜しむ。集落のエルフ達は、無言でその様子を見ていた。

 

 精霊喰らいを倒し、エルフ女性の治癒も終わった。精霊熊がネーナ達に同行する理由は無くなっていたのだ。

 

「くまさん、さよなら」

「寂しいです……」

「あんた、いい熊だったよ」

 

 エイミーとネーナに続き、レナが精霊熊の背中をポンと叩く。

 

「名残惜しいけれど、そろそろ出発しましょう」

 

 フェスタに促され、一行は歩き出した。

 

 

 

「…………」

『…………』

 

 

 

 一行が立ち止まる。精霊熊も立ち止まった。

 

「何で熊、ついて来てるの?」

『ガウ?』

 

 レナが尋ねると、精霊熊は首を傾げる。

 

「私達と一緒に来るの?」

『ガウッ』

 

 フェスタの問いには肯定の返事をする。仲間達が戸惑いを見せる。

 

『ガウッ』

「えっ?」

 

 精霊熊に促されて、エイミーが精霊弓を差し出す。

 

 熊がお手をするように、右の前足を弓の上に乗せる。すると大きな身体が、精霊弓に吸い込まれた。

 

『えええええっ!?』

 

 里長を含めたエルフ達が驚愕する。その前で精霊熊が、弓から飛び出した。

 

「あらあら、精霊熊を宿した弓なんて前代未聞ね。底意地の悪いエルフより、心根の優しいハーフエルフの娘を気に入ったみたいよ?」

 

 テルミナが大げさに肩をすくめ、不満気なエルフの若者を一瞥する。

 

「貴方、エイミーの母親に逃げられた腹いせに、エイミーに当たったんでしょう?」

「っ!?」

 

 若者が息を呑む。仲間達は驚きの表情でテルミナを見た。

 

「人族には見分けがつかないかもしれないけど、この集落に若いエルフは殆どいないの。集落の連中がエイミーの母親に、この我儘坊ちゃんのつがいを押し付けたのね」

 

 エルフは人族に比べて子が生まれにくく、集落では若いエルフに重荷を背負わせる事がままあるのだという。

 

 テルミナの指摘が多くの事実を含んでいる事は、気まずそうに目を逸らすエルフ達の態度を見れば明らかであった。

 

 苦虫を噛み潰したような表情の里長も、弁解をしない。

 

「大人達がどれだけ甘やかしたら、こんな非常識に育つのかしら。私だってエイミーの母親の立場だったら、こんな奴の番は全力で逃げるわよ」

「そんな事情があったのね……」

「いや、ないわー」

 

 フェスタとレナが非難し、エイミーとネーナは精霊熊の背から、エルフの若者を冷たく見下ろす。

 

「この集落を潰せる程度の力を持った人間なんて、いくらでもいるわよ。手遅れかもしれないけど、お坊ちゃんに後を託すつもりなら、しっかり躾けておく事を勧めるわ」

 

 少女達を乗せた精霊熊が歩き出し、その後にフェスタ達も続く。

 

 新たな仲間を加えた【菫の庭園】一行は、漸く本来の目的を果たす旅に戻ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る