第百六十三話 『深緑都市』の洗礼

【菫の庭園】一行は予定通りに、『暗黒都市』ハイネッサへの滞在を一週間で切り上げた。現在の一行は『学術都市』アーカイブを経由し、一路ドリアノンへと向かっている。


 オルト達の周囲を嗅ぎ回りハイネッサ盗賊ギルドの監視の網に掛かった者は、レナとフェスタがお引き取りを願った。


 残りは追い返すまでの判断が出来ずに様子を見る事にした者と、こちらの網を警戒して不用意に近づいて来なかった者。


 一週間かけてネーナを、そして【菫の庭園】を取り巻く環境を精査し、仲間達は「まだ王国の手の者は来ていない」と判断したのだった。一行がハイネッサを訪れた目論見は達成されたと言えた。






 エイミーが気負いなく弓を引く。矢が空に呑まれて暫しの後、鳥が逃げて行くのが仲間達にも見えた。


 読んでいる本を閉じたネーナに、エイミーは「大丈夫」と手を振った。


「お見事。使い魔ですか?」

「多分そう〜」


 エイミーはスミスに応え、ゆっくり落ちて来た矢を掴むと破損していないのを確かめ、矢筒に仕舞った。その動作を見て、同じ弓使いのテルミナが称賛する。


「弓の技術じゃ、全く敵わないわねえ」


 自分達が乗っている駅馬車を追跡してくる鳥の存在を感知し、エイミーは馬車の揺れを物ともせずに矢を飛ばして警告した。最後は他人に迷惑がかからないよう、風の精霊の助力で矢を回収したのである。


 使い魔を使役する術者は、使い魔と視覚を共有している。或いは術者自身が鳥に扮していたとしても、遥か彼方の馬車より飛来した矢が、正確に掠めて行った事実に違いは無い。逃げ去る鳥の姿からも、警告が正しく伝わったのは明らかだった。




 テルミナの指導を受け、エイミーは目覚ましい成長を遂げていた。


 エイミーは母親を早くに亡くしており、精霊術やエルフの弓術を十分に教わる機会が無かった。エルフの実力者であるテルミナは、それらを惜しみなくエイミーに伝えた。


 エイミーにとって、テルミナとの出逢いは大きな幸運であった。一般にエルフは閉鎖的な考えを持っていて、ハーフエルフを嫌う。『惑いの森』のエルフ達のように。


 テルミナと知り合わなければ、エイミーはこの先も自身の才能と母の形見の精霊弓に頼り切りだったに違いない。そしていずれは、精霊弓も力を失っていただろう。


 元より勇者パーティーに同行していたエイミーではあるが、そう遠くない将来に底意地の悪いエルフ達が震え上がる程の実力を身に着ける。彼女に手ほどきをしたテルミナは、そこまでの評価をしていた。


 エイミーがゴソゴソとオルトに近付いて行く。


「お兄さん褒めて褒めて〜」

「はいはい」


 得意気にオルトの膝の上に乗るエイミーは、どこにでもいそうな普通の少女にしか見えない。そんな彼女の成長を実感するのは、テルミナにとってこの旅における大きな楽しみとなっていた。


 ドリアノン近郊の行方不明者が増えていると聞いて警戒していたオルト達だが、それは杞憂なようであった。




 ◆◆◆◆◆




 駅馬車は小高い丘と見間違うような森に吸い込まれていく。


 街道の両側は鬱蒼と茂った木々で視界を遮られるようになり、『深緑都市』ドリアノンに近づいた事を仲間達は知る。


「相変わらず見事な原始林ですね」

「原始林、ですか?」


 スミスの呟きを聞き、ネーナが尋ねた。地図で見る限りサン・ジハール王国の大森林よりも広大で、市街地や居住区は森の一割にも満たない。


 スミスのドリアノンの思い出は、魔王軍により陥落した都市の奪還戦や亡き戦友イイーガなのだ。ネーナは彼の表情からその事を察して慮った。


「この『妖精の森』はね、神代から続くものだと言われてるの。市街地や人族の居住区は開けているけど、それ以外の場所はほぼ手つかずね」


 ネーナの問いに答えたのはスミスではなく、エルフのテルミナであった。


『妖精の森』には古の盟約により、精霊王の強力な加護がかかっている。その加護を受けた精霊によって護られた森は、ドリアノンを陥落させた魔王軍ですら破壊出来なかったのである。


 森は長きに渡り幾多もの災害に耐え抜き、今も原初の姿を保っている、そうテルミナは言った。スミスが補足する。


「元々この森はエルフ族の大集落があって、ある時結界を開いて外の民を受け入れたのが、ドリアノンの成り立ちなのだそうです」


 集落のエルフ族が王族となって君主制国家を立ち上げたのは『鉱山都市』ピックスのドワーフと似ているが、ドリアノンは魔王軍の侵攻で都市が陥落した際に、多くの王族が殺された。


 連合軍による都市解放後、生き残った王族は君主制の終了を宣言して実権を議会に委譲。元王族は全員、古の盟約を維持する為に森の奥へと姿を消した。


「ドリアノンでは政治も市民生活も混乱が続いています。我々が出向していたヴァレーゼ自治州と状況は違いますが、どちらも犯罪組織が潜むにはうってつけでしょうね」

「あたしらも犯罪組織の仕込みで向かってるんだけどね」


 レナが肩を竦め、スミスは苦笑する。


【菫の庭園】がハイネッサ盗賊ギルドの情報を元に動いているのは皮肉だが、『ラボ』の存在に『剣聖』マルセロの潜伏、『帝国勇者計画』研究の疑い、急増した行方不明者、どれ一つ取っても見過ごせない案件である。


「ギルド支部には寄りますか?」

「行かないのも不自然だからな」


 ネーナの問いを、オルトが肯定する。スミスは気を利かせて遮音結界を展開した。


 ハイネッサ盗賊ギルドの情報では、軍の討伐部隊が返り討ちに遭った事で、ドリアノンの中枢は『ラボ』に掌握されているという。情報を集めようと無闇に動き回れば、かえって注意を引いてしまう。


「まずはギルド支部へ。その後は宿を取らないといけないが、出来れば治安隊にも顔を出したい」

「治安隊は微妙な所だし、人族至上主義の秘密結社だかも気になるわね」


 フェスタが言うように不安材料には事欠かない。だが、時間をかけて状況が好転する要素は無いのだ。危険だと判断すれば、即ドリアノン離脱も視野に入ってくる。


 仲間達が帽子を取り出す。


『純血の誓い』と名乗る人族至上主義の秘密結社がいる以上、ハーフエルフのエイミーとエルフのテルミナが素顔を晒していれば確実に面倒に巻き込まれる。ならば町に着いたら、皆で帽子を被って歩こう。フェスタの提案に反対する者はいなかった。




 ◆◆◆◆◆




「これは……」


 オルトが絶句する。傍らのネーナは身を硬くし、オルトの上着の袖をキュッと握った。


 森の中の開けた場所で駅馬車を降りた【菫の庭園】一行は、早々にドリアノンの洗礼を受けた。


 人がいない訳ではない。だがオルト達に近づいて来る者は誰もいない。オルト達の存在には気づいているが、誰もが無視している。レナが声をかけた男は、知らない風を装って足早に離れて行った。


 余所者が関わってくれるな、面倒事を持って来るな。そんな様子がありありと見える。


 ドリアノンのギルド支部に行っても状況は同じ。出迎えたギルド職員にパーティー名を告げると、一瞬支部内の空気が凍りついた。


 冒険者達は視線を合わせようともせず、まるでオルト達が存在しないかのように振る舞っている。帽子を被った女性職員の泣きそうな顔を見て、不満をぶつけようとしていたレナは怒りを抑えた。


 冒険者のレナが何か言えば、職員は相手をしなければいけない。フェスタにポンと肩を叩かれ、レナはカウンターに背を向ける。


「何か、私達と関わり合って不利益を被る事を恐れているような……」

「そんな所だろうな」


 ネーナとオルトが小声で話し合う。そこにテルミナが加わる。


「この町には何度も来たけど、こんなの初めてよ」

「でも、どうしましょう。これでは宿も取れそうにありませんが……」


 駅馬車から降りたのが【菫の庭園】一行だけだった為、どうしてこのような状況になっているのか、ネーナもスミスもわからずにいた。


 一行はギルド支部から表通りに出た。道行く人々は距離を取って通り過ぎる。とても情報収集どころの騒ぎではなく、治安隊の詰所に立ち寄ってもトラブルが起きる予感しかない。


「俺達が行く事で迷惑になるなら、宿泊も買い物も駄目だよな。保存食は多めにあるが」

「念の為のつもりだったんだけど、町の中で必要になるとはね」


 保存食の追加を提案したフェスタが苦笑する。


 冒険者ギルドは兎も角、一般市民は他支部の冒険者など知る筈が無い。外部からドリアノンを訪れた者には、総じて同じような対応をしていると考えるのが自然である。


 最悪、都市全体が敵という想定もしていただけに、『菫の庭園』一行にとって許容範囲の状況ではあった。


「じゃあプランDか。早めに野営の場所を確保して落ち着こう」


 オルトの言葉に仲間達が頷く。


『深緑都市』の名の通り、フィールドは森だ。エルフのテルミナと山育ちのエイミーの存在が、水場と安全に夜露をしのげる場所を見つける力になるだろう。


 さらにスミスとレナは、かつてドリアノン奪還戦に参戦して土地勘がある。住民が退去したまま打ち捨てられた区域ならば、人が来る事も無い。来るとすれば、ほぼ敵だ。


「まずはこの商業区から出て、廃棄地区に向かおう。ネーナ」

「はい」


 ネーナを先頭に路地に入る。


 表通りから一本裏に入ると、通行人がいなくなった。不自然ではあるが、一行を窺う不快な視線や向けられる意識が無くなるだけで、ストレスは格段に減る。


 面白い事に、『鉱山都市』ピックスと『深緑都市』ドリアノンは市街の構成がよく似ていた。山中の坑道を利用したピックスは立体的で、ドリアノンは森をショートカット出来る違いはあれど、開けた場所を通路で繋いでいる所は同じ。


「ネーナは地図覚えてるんだよね? わたし地図見るの苦手〜」


 エイミーが顔を顰めると笑いが起きた。地図の上下左右を持ち替えてはクルクル回し、目を白黒させているのを仲間達は知っているのだ。


 ネーナはオルトに地図の見方を教えて貰った。その時はエイミーもいたのだが、早々にギブアップして寝てしまったのである。




「――皆、気づいてる?」




 居住区に入ると、視線を動かす事なくレナが仲間達に尋ねた。


 路地に入って暫くしてから、再び【菫の庭園】一行に向けられる視線を感じ取れるようになっていたのだ。視線の主は複数。それまで意識を向けて来た者達とは違い、居住区に向かう一行を付かず離れずの距離を保って追ってくる。


「手練って感じじゃないけど、仲良く出来そうにはないね。どうする?」


 戦るか。そう問われたオルトは頭を振った。


「壁で暫く足止めをすればいいかしら?」

「頼む、テルミナ」


 提案が採用され、テルミナが微笑む。傍らのエイミーは真剣な表情で、テルミナの所作を見つめている。


 ――我が友、大地の精霊。越える事叶わぬ高き壁を――


 後方が急に騒がしくなるが、気配は追って来ない。オルト達はテルミナの作った時間を無駄にする事無く、足早にその場を離れるのだった。


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