第百六十四話 今の俺は、アイツに遠く及ばない

「他に誰か追って来てるか?」

「ううん、いないよ」


 オルトに問われたエイミーは、フルフルと頭を振った。




【菫の庭園】一行は居住区で追手と思しき一団を足止めし、都市の中心から遠ざかりながら、別の居住区に足を踏み入れていた。


 森の中の開けた場所がそれぞれ集落のようになって、ドリアノンには幾つもの居住区が存在している。都市の中心に近い居住区程、地位や収入の高い者が住むのだ。


「思ったよりも貧困化が進んでいるのかもしれません」


 家並みを見たスミスが眉を顰める。先程通過した居住区では気にならなかったが、ここでは家屋や塀、道の傷みが目立っている。庭が荒れ放題なのは言うに及ばず。


 まだ都市の中心からはそう離れておらず、一行が現在通っている区画に住むのは、中流以上の世帯である筈なのだ。それが住居に金を回す余裕も無く、補修工事のような公共サービスは滞っている。


 フェスタは溜息をつく。


「ハイネッサ盗賊ギルドの情報は概ね合っているどころか、実際はもっと悪い状況って事ね」


 外を歩いている者は少ない。いても、明らかに余所者然とした【菫の庭園】の面々を見ると、慌てて建物に逃げ込んでしまう。フェスタは彼等の身なりから、生活レベルは決して高くないと感じた。


 ドリアノンが魔族の支配下より脱して、まだ五年も経っていない。


 人口を大きく減らして経済力も落ちた都市に、『災厄の大蛇グローツラング』という凶悪な犯罪組織が拠点を置いた。そして今や、その拠点である『ラボ』が都市を掌握しているという。


 間違いなく、一つの都市国家を揺るがす程の何かが、短期間の内に起きている。不気味に静まり返った居住区を足早に抜け、仲間達は同じ認識を共有していた。


「私の記憶と一致しない場所があるわ。若い木を植えたのではなく、精霊術によって通路が塞がれてる。今までにはこういう事は無かった」

「地図上に記載は無いけれど、奥に何か存在しているような場所はいくつもあります」


 以前に訪れた記憶を掘り起こし、首を捻るテルミナに、地図で俯瞰してドリアノンを見ているネーナが同意を示した。




 一行は話しながらも足を止めず、次の居住区に入る。


 そこは完全に貧民街スラムと化していた。何種類ものすえた臭いが入り混じり、鼻腔を刺激する。ネーナは少し吐き気をもよおして、慌てて服の袖で鼻を塞いだ。


 人の気配はあるが、決してネーナ達の前に姿を現さない。物陰でじっと息を潜め、招かれざる客である【菫の庭園】一行の様子を窺っている。気配を感じ取るのが得意と言えないネーナでも、ハッキリとわかる。


 開けているとはいえ森の中、日は沈もうとしていて辺りは薄暗い。なのに灯りの一つも点っていない。


「誰も関わってこないのは今までと同じだけど、このスラムはちょっと感じが違うかな」


 レナが鼻を鳴らす。ネーナもその雰囲気の変化を感じ取り、少し不安気にオルトの上着の裾を握る。


 左腕を自分の鼻に当て、右手はオルトの裾を掴むというおかしな状態だが、ネーナには自分の格好を気にしている余裕は無かった。




 スラムを出ると、スミスが何度も立ち止まって通路脇の茂みを指差し、テルミナと話すようになった。テルミナは傍らにエイミーを呼んで説明しながら、精霊術の実践をして見せる。


 最初の茂みでは何も起きなかったが、二番目の茂みはテルミナの詠唱で扉が開くかのように左右に分かれ、暗闇に真っ直ぐ伸びる、古い通路が現れた。仲間達の声が揃う。


『おおっ!』


 通路の先には、旧ドリアノン軍の駐屯地跡があった。破壊された建物、焼け焦げ奇妙に変形した武器の残骸、瓦礫もそのまま打ち捨てられている。


 夜露をしのぐ屋根は無くとも、遮蔽物が焚き火を隠してくれる。既に日は暮れている。追手の無いのは確認済み。近くを流れる小川は『生きている』とテルミナが告げた。


 一行はそこで一晩を明かす事に決め、野営の準備を始めたのだった。




 焚き火を囲んで干し肉のスープと硬いパンで夕食を済ませ、仲間達は一様に人心地がついたような顔をしている。小川で汗を拭く事が出来たのも大きい。野営の場所としては好条件が揃っていた。


「最初の茂みの先には聖堂があった筈です。ストラ聖教ではなく、今では伝承も失われた古の神を祀る為のものだったのでしょうね」

「向こうは私の力では開けなかったの。多分だけど、精霊王の封印がかかってるわ」


 スミスは当初、かつての戦禍でも破壊を免れた聖堂を探して、魔力感知をしていたのだという。だがその通路の封印は、高位の精霊術師であるテルミナの力をもってしても解除出来なかった。


 テルミナが解除したのは、精霊術師の封印であった。他にも術によらず、木を植えて道を塞いでいる箇所があるという。


「精霊王の封印が生きているなら、エルフの旧王族も生き残ってるのでしょう。『妖精の森』の中で起きている事は大体把握している筈よ」

「その王族が『ラボ』に与している可能性は?」

「可能性だけならあるけれど」


 オルトの問いに、テルミナは否定的な見解を示した。


【菫の庭園】一行がドリアノンで見てきたものは、都市に何らかの異変が起きていると確信させるだけの説得力を有していた。それだけの存在が旧王族と手を組んだなら、自分達がこうしてのんびりしていられる訳が無い。テルミナの主張に反論は無かった。


 オルトはテルミナに同意しつつ、仲間達に警戒を促す。


「言う程のんびりはしてないけどな。だが明日からは、刻一刻と状況が変わるだろう」


 ドリアノンの住民達が【菫の庭園】一行を見ている。ギルド支部ではパーティー名を名乗った。『ラボ』が知るのは時間の問題で、知れば【菫の庭園】が『災厄の大蛇』の最大拠点を壊滅させた冒険者パーティーの一つだと気づく。


「黙って見逃してはくれないだろうな」

「『ラボ』の所長も、あの時拘束されかけたんだものね」


 フェスタが残念そうに言う。


『ラボ』の所長のミリ・ヴァールは、【菫の庭園】が参加した『災厄の大蛇』の拠点強襲戦で、辛くも包囲を突破して逃走した幹部の一人だ。【菫の庭園】に恨みを向けても不思議ではないし、警戒はするだろう。


 更にラボには、『剣聖』マルセロがいる可能性もある。マルセロがいなくても、ドリアノン軍を返り討ちにして抵抗を断念させるだけの戦力は保持しているのだ。


 ならば、とレナは仲間達に提案した。


「今晩休む前に、最後に立ち寄ったスラムだけでも見ておかない?」


 レナは気になっていたのである。自分達に向けられた意識の違いが。


 商業区と幾つかの居住区で見かけた者達は、自分達菫の庭園と関わる事を恐れていた。言い換えれば、自分達と関わり合いになった結果に起こる事を恐れていた。


 だがスラムの住民は、自分達菫の庭園を恐れていた。自分達に直接向けられる恐怖の感情を、久しく戦いの中にあったレナが間違える筈は無いのだ。


「あたしらがあのスラムに行ったのは初めてでしょ。薄暗くても、帽子で顔が見えなくても、怖がられる理由なんて無いじゃない」

「あそこで住民達を標的にした何かが、何度も繰り返されている、という事ですか」


 ネーナの言葉に、レナだけでなくスミスも頷きを返した。


 反対する者はいないと判断し、オルトは慎重を期して釘を刺す。


「行くなら全員でだ。それと、俺達の動向はギルド本部も把握してる。アーカイブからドリアノンに向かった俺達に何かあれば、本部が動く。情報を持ち帰る為の撤退も視野に入れるのは承知してくれ」


 もたもたしても、下手を打っても、都市を丸ごと敵に回す事になりかねない。面子より生存を重視し撤退の可能性を明言したオルトに、パーティーに加わって日が浅いテルミナは素直に感心していた。


「マルセロがいるとすれば、パーティー分割は各個撃破の的になりかねない。向こうが私達を捕捉するのが先かもしれない。私も全員で行動すべきだと思う」

「じゃあ、決まりね。あたしら全員揃ってれば、この町くらいは楽勝で落とせるし」


 フェスタに続いたレナが、笑顔で物騒な事を言う。仲間達は苦笑しながら焚き火を消して出発の準備を始めた。


「ネーナは大丈夫? 疲れてない?」

「お夕食も頂いたし、少し休めたから平気です」


 エイミーの気遣いに、ネーナが笑顔を見せる。オルトは仲間達の様子を確かめた後で、自身の長剣の点検を始めた。




【菫の庭園】一行、中でもオルトは、何よりも『剣聖』マルセロの存在を警戒していた。現時点でマルセロがドリアノンにいる事を示す確たる情報は無い。だが、オルト達は間違いなくいると考えていた。


 かつて勇者トウヤが施した魔剣の封印を解く為、マルセロは『災厄の大蛇』に身を寄せた。それは前回の邂逅でマルセロ自身が言った事である。実際に封印は解除されていた。


『災厄の大蛇』の下部組織の中でも、それを達成出来る知識と技術を持つのは『ラボ』であろう。現在も続いている拘束された幹部への尋問、その概要から、オルト達はそう判断していた。


 オルトと戦い左腕を失ったマルセロは、魔剣の力を解放して異形の左腕を生み出した。その場に居合わせた四名の賢者、スミス、ネーナ、マリン、メラニアの見解は、『そのままではマルセロは魔剣に呑まれる』で一致したのである。


 その名も『魔神の尾デビルエンド』と呼ばれる魔剣の力は、いかにマルセロと言えど御しきれない。自我を失い魔剣の意思に従う傀儡となるか、吸収されて魔剣の一部になるか。いずれマルセロは、破滅を迎えるだろう。


 確かに言えるのは、魔剣の力を解放する時、所有者は魔剣に付け入る隙を与えているという事。それはマルセロもわかっている筈で、何らかの対処をしようと思えば、ファーストチョイスは『ラボ』になる。


 マルセロが『ラボ』を避ける理由は思いつかない。故に『剣聖』はこのドリアノンにいる。オルトはそう考え、覚悟を決めていた。




 カチッと音を立てて、長剣が鞘に収まる。誰にも言えない、恋人にも妹達にも、仲間達にも言えない思いを強靭な精神力でねじ伏せて、オルトは立ち上がった。


 夜の闇が、一瞬オルトの横顔に差した翳を隠した。その為、普段ならオルトの些細な変化も見逃さないネーナもフェスタも、何も気づかなかった。


 たった一人でマルセロと切り結んだからオルトだからこそ、痛感している事がある。彼との初戦は、幸運の女神が全力でこちらに肩入れした結果の痛み分けである事。マルセロが紛れも無い天才である事、現状のオルトの手の内は全て晒してしまっている事。




 ――わかってる、認めるよ。今の俺はアイツに遠く及ばない。だが――




「準備はいいか?」


 その声に仲間達が目を向けた時、オルトの表情はいつもと変わらぬものであった。




 ――それでも次は、が勝つ。仲間は誰も死なせない――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る