第六十四話 待ち人来る
その時、冒険者ギルド職員のエルーシャは、カウンターで依頼人と打ち合わせをしていた。
淀みなく流れるように話す姿は自信と矜持に満ち、相手に大きな安心感を与える。質疑応答も滞りなく終え、契約書を作成して依頼料を受領する。
満足そうに帰る依頼人を見送ると、エルーシャはフウッと一息ついた。
新人の職員からは尊敬と羨望の眼差しを向けられ、冒険者からは信頼と共に、何としてもお近づきになりたいという熱っぽい好意の視線を送られる。
この三ヶ月半、エルーシャは機能不全を起こしていたギルド支部の中で、獅子奮迅と呼ぶに相応しい働きをしていた。弟の病状が芳しく無く、職場に顔を出せないジェシカの分もカウンター業務を引き受ける献身ぶりで高い評価を得た。
現在はチーフに昇格し、すっかり様変わりした顔触れのギルド支部で後輩の指導をしながら、自らもカウンターで対応に当たっている。職員を代表して、新たに派遣された支部長と職場環境の改善の折衝まで行っていた。すっかり『デキる女』、仕事が恋人の風情である。
「あ、あの、エルーシャさん。今度俺と食事でも!」
「僕いいお店知ってるんですよ! 是非一緒に」
「――ごめんなさいね。皆に公平にしたいし、プライベートの時間も大事にしたいし。特定の方とのお付き合いは考えてないんです」
誘いの言葉をサラリと交わし、後輩の職員に業務の確認を行うエルーシャ。颯爽とした様子に男性女性問わず、ため息がもれる。
カランカラン。
ギルド支部の入り口で鐘が鳴った。誰かが扉を開けようとしている。内側に人はいないから、外からであろう。エルーシャを含めた手すきのカウンター職員は、来客を迎えようと扉に視線を向けた。
「【菫の庭園】、ただいま戻りました!」
エルーシャが忘れもしない声と共に、ストロベリーブロンドショートの人目を引く美少女が入ってくる。
「あ、ああああ……」
そして彼女にとって恩人である剣士の姿を見た瞬間、エルーシャの頭は真っ白になった。
「あああああ!!!」
四つん這いでカウンターを乗り越え、着地に失敗してベチャっと落ちるエルーシャ。ギルド内の空気が凍りつく。が、再び動き出したエルーシャはギクシャクとした四つん這いのままオルトにに近づき、その足下に縋り付いて号泣した。
「皆ざん゛よ゛ぐぞご無事でえ゛え゛えええうわああ゛あ゛ん!!!」
「え? ああ、ただいまエルーシャ。ずっと頑張ってたんだってな、大したもんだ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛!!!」
オルトに労われ、エルーシャの歓喜が限界突破する。ギルド内にいる全員がその様子を見てドン引きしていた。
「無事で良かった。皆心配していたんだぞ」
気配を感じさせずに現れたのは、【路傍の石】のテツヤ。相変わらずの影の薄さである。
「こっちも色々あってな」
苦笑しつつ、オルトはカウンターの奥に目を向けた。
「ジェシカはいないのか?」
「屋敷に寄ってないのか? なら急いで行ってくれ。ベルントの容体が良くなくて、ジェシカは休んでるんだ。薬は?」
「あるさ。エイミー、トーマス先生を捕『わかった!』まえてきてくれ」
エイミーが外に駆けていく。ネーナがオルトに聞いた。
「お兄様は?」
「これをどうにかして、支部長に帰還の報告をしてから行く」
オルトは足下にへたり込んで泣いているエルーシャを指差した。
「わかりました」
「頼むな」
ネーナがコクリと頷き、オルト以外のメンバーがギルド支部を出て行った。オルトはエグエグと泣いているエルーシャを見た。
「ギルド本部のマーサもエルーシャを褒めてたし、メシでも奢ってやるかなあ」
その言葉に反応し、エルーシャがすごい勢いで立ち上がる。
「ご褒美ですか!? 行く行くイキます! どこへでもお伴します! 何ならセッティングします! 二人っきり大歓迎ですっ!」
「プライベートはどうとか言ってたよな、エルーシャさん……」
つい先程、エルーシャにフラレたばかりの冒険者がボヤく。別な古株の冒険者が肩をポンと叩いた。
「よせよせ、お前は最近この支部に来たから知らんだろうが、ありゃ相手が悪い。張り合っちゃいけない奴さ」
◆◆◆◆◆
「ただいまジェシカさん!」
「ネーナさん!? 皆さんもよくご無事で! おかえりなさい!」
「先生連れて来たよ!」
「エイミーさん! トーマス先生も!?」
ネーナ達の到着と時を同じくして、エイミーもトーマス医師を連れて来た。トーマスは言葉も出ない様子で、荒い呼吸を繰り返している。
「先生、お水をどうぞ」
「ハァハァ……有難う」
カップを受け取り、水を一気に飲み干すトーマス。玄関での騒ぎを聞きつけて、ベルントの部屋からニコットが顔を出した。
「皆おかえり! 薬は?」
「バッチリよ」
フェスタが親指を立てる。話が飲み込めないジェシカが首を傾げた。
「薬?」
「ジェシカ、彼女達はベルントの治療薬を持ち帰ってくれたんだ」
往診かばんを担ぎ直しながら、トーマスが答える。
「治療薬? え?」
「患者が衰弱していて危険だが時間が無い。早速治療を始めるぞ。ネーナ君、手伝って貰えるか」
「勿論です。強い薬ですから、一度の使用は三滴程度にしてください」
「了解した」
慌ただしく準備を始める一同。混乱しているジェシカをスミスとエイミーが落ち着かせ、ベッドから離れて治療の様子を眺めている。
ニコットは洗面器とお湯を用意し、フェスタは清潔な布を大量に持って来た。その間にトーマスとネーナが、荒縄と毛布でベルントの身体をベッドに拘束する。
ジェシカがオロオロしながら、傍らのエイミーとスミスに問いかける。
「エイミーさん、スミスさん。薬って何ですか? 皆さんは依頼を受けて出かけたんじゃないんですか?」
「ジェシカお姉さんごめんね。私達、ベルントのお薬を取りに行ってたの」
「治療法を調べる所から始めたのです。少々危険が伴う可能性がありましたし、必ず入手出来る保証も無かったので無責任に期待を持たせるような事は言えなかったのですよ」
「…………」
ジェシカは絶句した。ジェシカもベルントも、【菫の庭園】は昔の伝手の指名依頼を受けて出かけたと聞いていたのだ。それが帰還の予定を大きく過ぎて心配していたら、ベルントの治療薬を持って来た。そして、夢でしかないと思っていた治療が目の前で行われている。
薬を飲み込むと少し間を置いて、ベルントの身体が痙攣するようにビクンと大きく跳ね始めた。懸命に押さえつけるフェスタが悲鳴混じりに言う。
「病人のどこにこんな力があるのよ! エイミーも手伝って!」
「うん!」
エイミーもベッドに駆け寄る。ネーナがトーマス医師に説明する。
「ワルター症候群の正体は、長期間に渡り人の体内で活動する、非常に強い毒性を持った病原体です。この病原体を人間本来の抵抗力で倒せる程度に弱体化させる為、特効があり浄化作用が強い月光草が必要なのです」
ベルントの身体が激しく動いているのは、病原体が悪あがきをしているからだ。治療薬投与し始めの、二回ないし三回はこうして患者を物理的に押さえなければならない。
他の薬の併用や魔法での拘束や沈静化が可能なのか、検証している余裕は今は無かった。それ程までにベルントの容体は厳しかったのだ。少しでもベルントの体力がある内に治療薬を服用させる必要があった。
「絵面はあまり良くないですが、こうしないとベルントさんが大怪我をしてしまうかもしれないんです。今だけは勘弁してください、ジェシカさん」
ネーナの言葉にハッとするジェシカ。ベルントの枕元へ行き、苦痛で顔が歪む弟に必死で呼びかける。
「ベルント! 皆が貴方の為に力を尽くしてくれてる! 負けないで! 戻ってきて!」
ベルントの胸に覆い被さるようにして押さえるニコットも叫んだ。
「私の事、お嫁さんにしてくれるんでしょう! うちの宿のお婿さんに入ってくれるって言ったでしょう! ベルント!!」
ジェシカは強く願った。
――お父さんお母さん! お願い、ベルントを助けて!
◆◆◆◆◆
三時間の後。部屋の扉が静かに開いた。
「すまん、遅くなった」
入ってきたオルトが室内の状況を見る。
トーマスがベルントの脈を測り、フェスタが穏やかな顔で眠るベルントの汗を拭き取っている。スミスは寝息を立てるネーナ達に毛布をかけて回っていた。
「先生」
「見ての通りだ。容体は安定している。油断は出来ないが、治療薬の服用を続ければ病を克服出来るだろう。失われた体力や機能の回復に時間がかかる事など、大した問題ではない」
「有難う、先生」
オルトの謝意に対して、トーマスは頭を振った。
「礼を言うのは私の方だよ、オルト君」
「え?」
「私はね、幾つもの奇跡が起きない限り、ベルントは治らないと思っていた。それが奇跡に依らずに成し遂げられるのを目の当たりにしたんだ。冒険者とは凄いものだね」
手放しの称賛を受けたオルトは、フェスタやスミスと顔を見合わせて微笑んだ。
「それは違うよ、先生。貴方は投げ出さなかった。逃げ出さずに力を尽くした。貴方の仕事が、俺達を間に合わせたんだ」
「……そう言って貰えて、報われた気持ちになるよ」
トーマスは目頭を抑えた。
「でも、まあ」
オルトは眠るネーナを抱え上げた。
「うちの妹達は褒めてやって下さい。本当に頑張ったので」
オルトの腕の中のネーナは、やり遂げたような、誇らしげな表情に見えた。
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