第百二十九話 お兄さんはすごいんだよ
『乾杯!!』
酒場の一角に唱和が響く。
ギルド支部を退出した三つの冒険者パーティーは、早めの夕食を取ろうと酒場に繰り出していた。仲間達が思い思いに酒を飲み、料理に手を伸ばし、談笑する。
リチャード達【
【運命の輪】は当面の間ヴァレーゼ支部に留まる予定で、【菫の庭園】の予定は未定。今夜が三つのパーティーがカナカーナで集まれる最後の機会。
この日の夕食は気心知れた仲間達の慰労会を兼ねており、直接の面識が無かった【四葉の幸福】と【運命の輪】の面々は親交を深めていた。
ネーナはイリーナやリチャード、サファイア、フェスタの所で熱心に話を聞いている。
そんな中、手にしたジョッキを豪快に空けて、イリーナが首を傾げた。
「……結局さ。どうしてオルトは、Sランク昇格を辞退するなんて言ったの? あ、お姉さんエールおかわり」
イリーナの横では、恋人のクロスがチビチビとワイングラスに口をつけている。
「あたしにはわかんないなあ。スミスは?」
レナは興味なさそうに、回答をスミスに投げた。知恵者のスミスに視線が集まる。
「そうですね……ギルド本部に対する牽制と、意思の表明ではないかと」
「牽制?」
「はい」
イリーナが聞き返すと、スミスは鷹揚に頷いた。
オルトが自身の個人ランクとパーティーランクの乖離を問題視していた事は、仲間達も知っていた。それを解消する気配の見えないギルド本部に対して、強い不信感を持っている事も。
「確かに、オルトさんが個人でAランクなのに【菫の庭園】がBランクというのは不自然よね」
「ギルド本部としては、異例の早さで昇格する【菫の庭園】は足止めしたかったんだよ。だけどオルトの戦績が広まってしまったものだから、個人で昇格させるという手段を取ったんだ。誰が考えたか知らないけど、悪手だよね」
マリンの指摘に、ギルド本部にもパイプを持ち事情に通じたリチャードが答える。ギルド本部が担当者の思惑を優先した結果、【菫の庭園】は歪な構成のパーティーになってしまったのだ。
オルトがAランクの依頼を受けて仲間達を連れて行くというやり方もあるが、それは冒険者ギルドの推奨する所ではない。オルトが加わっていても【菫の庭園】の評価はBランクなのだ。依頼にイレギュラーやトラブルが発生した場合、全責任をオルトが負う事になってしまう。
「かといって、ギルド本部は【菫の庭園】のパーティーランクを上げる気は無いからね。酷い話さ。パーティーで動くならばBランクの依頼を受けるしかないのに、オルト個人にはAランクの依頼が打診されるんだ」
リチャードが肩を竦めて言う。
オルト達が自身の判断でパーティーを分割して行動した事はあったが、ギルドがそれを指示する権限は無い。にもかかわらず、ギルド本部は度重なるシルファリオ支部からのパーティーランク昇格要請を却下し続けていた。
「問題は、パーティーとしての【菫の庭園】の実力が全く考慮されていない所ではないでしょうか。元勇者パーティーの三人は勿論、フェスタさんとネーナさんを加えた五人だけでもAランクに不足があるとは、私には思えません」
「同感だね。ギルド本部は【菫の庭園】の査定をする気も無かったからね」
リチャードがメラニアに同意を示す。
それでも、通常であればギルド本部に対して冒険者サイドが泣き寝入りする形で、話は収まっていたのだろう。ギルド本部の幹部連にとって不運だったのは、【菫の庭園】が規格外の実力を有していた事であった。
「……私はオルトにSランクに上がって欲しい。そのオルトに、私は勝つから」
「イリーナ、飲み過ぎだよ……」
完全に目が据わっているイリーナに、クロスが苦笑する。
「私達が支部を出た後、オルトは自分の要望をフリードマン達に伝えたと思います。もう支部長室での駆け引きは終わっているかもしれませんね」
「要望、ですか?」
「ええ」
首を傾げるネーナに、スミスは微笑んだ。
オルトは破格の実績を積み上げ、ギルド本部に対して自らの価値を示して見せた。シュムレイ公爵マリスアリアの高評価を盾に、オルトは自らの要求を本部に突きつけるだろう。
世界広しといえども、これまで『剣聖』マルセロに互する剣士はいなかった。そこに彗星のように現れたオルトが、ギルド本部の対応いかんでは冒険者を辞めるかもしれない。となれば、本部もおざなりな対応は出来ない。
普段なら荒唐無稽と笑い飛ばす話に信憑性を持たせるのが、小国とはいえ元首のマリスアリアの存在なのである。結果こそ拗らせたが、ギャバンの反応は必ずしも的外れではなかったのだ。
フェスタは柔らかく笑いながら、仲間達の話に耳を傾けている。ネーナがそのフェスタに問いかける。
「フェスタは、お兄様がどうしてSランク昇格を辞退したのか知っているの?」
「え? まあ、その事を直接話した訳じゃないけれどね。ネーナは知りたいの?」
問い返されて、ネーナはコクリと肯く。
「そうねえ……多分だけど、そんなに難しい理由じゃないと思う。――私が教えてもいいけど、折角だから本人に聞いてみたら?」
「えっ?」
フェスタが騒がしくなった酒場の入り口を指し示す。そこには、ギルド支部の職員や冒険者達と共に店内に入ってくるオルトの姿があった。
「ここにいたのか、リチャード? 食事だと言うからレストランに行ったとばかり思ってたよ」
「あまり気取った集まりじゃないからね。お店も混んでるし、皆こっちにおいでよ」
「助かる」
そこそこ広い酒場の三割ほどがギルド支部の関係者で埋め尽くされる。オルトはウェイトレスに声をかけて貨幣を数枚とメモを手渡し、フェスタの隣に座った。
「お疲れ様、オルト。飲み物は?」
「お疲れ様。ああ、少ししたら出るから――」
「オルトさん、温かいお茶でいい?」
オルトと話していたウェイトレスが、大きめのカップを持ってやって来る。オルトが礼を言って受け取ると、土産はすぐに用意出来る旨を告げてウェイトレスは立ち去った。
「お兄様、お出かけですか?」
「ん、ああ。エルーシャ達が当直だし、警備の冒険者もいるからな。差し入れをしてくるよ」
「でしたら私も――」
「一人で大丈夫さ。外も冷えてきたしな」
ついて来ようとするネーナの頭を撫でて、オルトはカップの中身を飲み干した。
「オルト。話は終わったのですか?」
「終わったと言うか、終わらされたと言うか……」
スミスに答え、オルトが苦笑する。支部の職員や冒険者達が気まずそうな顔をした。
支部長室に場所を移した話し合いは、ギルド支部の職員や冒険者達の乱入によって早々に終了したのだった。
「本当にお前等は……公爵殿下がいる部屋に押しかけるなんて、最早テロだぞ。あの後謝罪が大変だったんだからな」
「だって、レベッカが……」
「あうう、ごめんなさいい!!」
オルトの愚痴に職員の一人が言い訳をし、レベッカが平謝りに謝る。
会合にギルド支部の関係者として参加していたレベッカが他の職員達に会合の様子を伝え、それが支部にいた冒険者達の耳に入り。かねてよりギルドに不満のあった冒険者と、ヴァレーゼ支部立ち上げからの本部の対応に不信感を募らせていた職員達が支部長室に殺到したというのが事の真相であった。
混乱はしたもののオルト自身は話を打ち切る前に、フリードマンにしっかりと要求を伝えている。
まずは正式なヴァレーゼ支部長の派遣。次に冒険者のランク認定システムの公平公正な運用。更に、オルトと【菫の庭園】が受けた様々な不利益に対するギルドからの謝罪と改善の確約。
加えて各種ガイドラインの策定と公表、そして強い権限を持つ外部監査の導入を求めたのだった。要求が受け入れられないなら冒険者証を返上してギルドを離脱する。時間稼ぎには応じないと釘を刺す事も忘れなかった。
「本部に期待はしてないさ。色々と啖呵を切って来たから、事後報告で済まないが後で話をしよう」
「構わないのでは? 公爵殿下ともお話はしたのですよね?」
「ああ」
「では私から言う事はありませんよ」
スミスが納得すると、パーティーの仲間達も同意を示す。オルトは少しホッとしたような表情を見せた。基本的に自分の話ではあるが、仲間達に図らず進めた事を気にしていたのだ。
「オルトさん、お土産出来たよ! いつも贔屓にして貰ってるから、沢山おまけしたよ!」
「有難う。何も頼まずに席を取ってしまって悪かったな」
「いいからいいから。温かい内に持っていってあげて!」
ウェイトレスから大きな包みを受け取り、オルトは席を立つ。
「お前達、明日に響かない程度にしておけよ? お代は渡してあるが、足が出た分は実費だからな。それと店に迷惑かけるなよ!」
『支部長、ご馳走さまでーす!!』
オルトが一言釘を刺すと、乾杯をするように沢山のジョッキが掲げられた。
同行しようとする職員達の申し出を断り、オルトが酒場を出て行く。扉の向こうに消えたオルトを見送ると、ウェイトレスは呟いた。
「あの人、冒険者ギルドの支部長さんだったんだ……」
ネーナとフェスタは顔を見合わせて微笑む。
「お姉さん、お兄様はよくここにお見えになるのですか?」
「えっ? そ、そうね、この半月くらいかしら。貴女、オルトさんの妹さん?」
「はい、ネーナと申します」
急に話しかけられて驚いた様子のウェイトレスと、ギルドの職員や冒険者達がネーナの知らなかったオルトの話を教えてくれた。
旧伯爵領から自治州へ移行した後も、カナカーナの町は治安の回復が中々進まなかった。酒場や食堂で無法を働く者がいても治安隊の手が回らず、客の入りにも影響する有り様。
来店した際に店員からその事を聞いたオルトは、何度も足を運んでくれるようになったのだという。【菫の庭園】がカナカーナに来てから、まだ三週間にもならない。オルトは支部長代行を引き受けた時には、町の状況をも気にかけていた事になる。
「うちだけじゃなく、他の店にも職員や冒険者が来てくれるようになったの。変な客が寄りつかなくなって売り上げも少しずつ伸びてきてさ。みんな感謝してるよ」
ウェイトレスが礼を言うと、職員や冒険者が面映ゆそうな表情をした。
「伯爵様が領主の時も町は酷かったけど、その頃にあった冒険者ギルドも評判良くなかったからね。だから、またギルドが出来るって聞いてどうなる事かと思ってたんだよ。オルトさんが支部長さんだったのね」
「お兄さんはすごいんだよ!」
食事に夢中になっていたエイミーが顔を上げ、胸を張って応えるとウェイトレスも笑顔を見せる。ネーナは自分が褒められたような誇らしい気持ちになった。
「フェスタ。私、お兄様の所に行ってきます」
「あっ、わたしも行く!」
フェスタは慌ただしく席を立つ二人にコートを着せ、ボタンを留めて髪を整えた。
「行ってらっしゃい。私達は先に家に帰ってるから、オルトに伝えてね」
『行ってきまーす!』
声を合わせて走り出し、ネーナとエイミーが酒場を出て行く。
「まあ、あの娘達がああやって追いかけてくるんだから、一人でSランク冒険者なんてやってらんないわよね」
「そうね」
ニヤニヤ笑うレナが掲げるジョッキに、フェスタはグラスを合わせた。
フェスタは最初から何も心配していなかった。オルトが自分と、仲間達と共に歩む意思を持っている。それがわかっていれば、フェスタには十分だったのである。
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