第百三十話 支部長の引き継ぎ
オルトが机の上でトントンと書類の角を揃えた。
「引き継ぎ事項は以上。この書類に纏めてあるから、後で確認して貰えれば。出向期限で交代する各部門担当者も報告に来るよう通達を出してあるが、せっかく同席しているのだから、今聞いてもいいだろう」
目の前の人物に書類を手渡し、オルトはニヤリと笑った。
「ここまでで何か質問は? マーサ・ルイーズ新支部長」
「……何もありません、オルト・へーネス支部長代行」
ギルド本部がヴァレーゼ支部に送り込んだ新支部長は、オルト達の知己でもあるマーサであった。
「支部長の椅子が良くお似合いですよ、ルイーズ新支部長」
オルトがすまし顔でマーサを茶化す。その後ろには笑顔のネーナが立っている。ネーナは職員ではないが、冒険者として新支部長の質問に答える為に引き継ぎに立ち会っていた。
「からかうのはそれくらいにしておくれよ。まさかあたし、じゃない私に、支部長の椅子が回って来るとはねえ……」
落ち着かない様子で支部長の椅子に座り、マーサはしみじみと言った。同席するギルド支部の職員達から、クスクスと笑いが起きる。
「俺から言わせれば、ラスタンを寄越すくらいなら最初からあんたを支部長にしろよって話だけどな」
「それは買いかぶりさ。今の偉い連中とはよくぶつかるから折り合いが悪くてね。シルファリオに戻す気も無さそうだし、本部で定年まで飼い殺しだと思ってたよ」
元はシルファリオの冒険者であったマーサは、リベルタでAランクにまで昇格して活躍した後、ギルド職員へと転向した。職員になってから何度も出したシルファリオ支部への異動願いは、一度も通らなかったのだという。
「スタッフが優秀だから、左団扇で暮らせるさ。何かあっても、新支部長殿が出張って解決してしまえばいい」
「私に『剣聖』と戦えって? 言っとくけど、全支部を探してもそんな支部長はいやしないよ」
マーサは深い溜息をついた。その後で表情を改める。
「それで、あんた達はこれからどうするんだい?」
冒険者ギルドヴァレーゼ支部は、エルーシャが作成した行程表に従って運営を拡大してきた。現在は職員の現地採用と育成を進めながら、更に二つの支部をヴァレーゼ自治州に展開しようとしている。
ギルド支部の運営は既に軌道に乗っているが、腕の立つ冒険者を集める事は喫緊の課題と言えた。
何せ逃走した『剣聖』マルセロの足取りが全く掴めておらず、ヴァレーゼ自治州内に潜んでいる可能性も否定出来ないのである。職員達の不安も無視出来ない。
「当面の話をすれば、何か仕事をしつつ――」
「一週間、完全休養です。仕事など以ての外です」
オルトの発言はネーナによって遮られた。
「お兄様はマルセロと戦った後、二日間眠り続けたのですよ。それまでも厳しい連戦だったではありませんか。相応の事情が無い限り、完全休養です。これはパーティーメンバーの総意です」
「……まあ、そういう事だ。カナカーナか北セレスタか、どちらかにはいるよ」
ネーナにキッパリと言い切られ、抵抗が無駄と悟ったオルトは言葉少なに肯定する。暫くの間ネーナとエイミーは、オルトがどこへ行くにもついて来ようとするに違いない。油断するとトイレや風呂にまで一緒に入ろうとするのだ。オルトは小さく溜息をついた。
しかし完全休養とは言いながら、マリスアリアからの招待で【菫の庭園】は北セレスタに行く用事がある。オルトとしても、早い内にマリスアリアとの会談を実現しておく必要があった。
「それ以降の話については何とも言えない。こっちからギルド本部に要求を突きつけてる最中で、俺達【菫の庭園】が冒険者のままでいるかどうかもわからないからな」
オルトはギルド本部への要求を全て公開した。フリードマンがその要求を持ち帰り、マーサが支部長として赴任したものの要求に対する回答はまだ無い。
「私に支部長の辞令が下ったのも、反執行部色を鮮明にしたオルトを外したかったからだろうし。【菫の庭園】が暫く公国に滞在するというだけで、私達は良しとしなければならないね」
「本部の横槍に対する牽制の為にも自治州、公国、それと北セレスタ支部とは良い関係を維持しておくべきだと思うぞ。俺達からも口添えはしておくが」
『剣聖』マルセロについては、行方を掴む事は難しいと考えられていた。前回に北セレスタで多数の死傷者を出して逃走した後、誰もマルセロを見つけられなかったのだ。オルト達が遭遇したのも全くの偶然であった。
マルセロがいつ頃、どのような経緯で『
オルトが振り返ると、背後に控えていたネーナが頷いて話し始めた。スミスやレナ、マリン、メラニアも同様の見解である、と前置きをする。
「『剣聖』マルセロは、当分の間は目立つ動きをしないと思います」
スミスやレナは、勇者パーティーで一時期マルセロと行動を共にしている。マルセロという人物は自分の力への自信と強い警戒心を併せ持つ、それが二人の見立てであった。
表に出て動き回れば、勇者トウヤの仲間達や冒険者ギルドの刺客が飛んで来る。一つ一つの敵はどうにかなっても、徒党を組まれたり絶えず追われるのは厄介だ。それは『剣聖』とて変わらない。
「そしてマルセロの左腕を、お兄様が消し飛ばしました。マルセロは異形の腕を生やして代用としましたが、魔剣の力を開放したのではないかとスミス様はお考えのようです」
マルセロの魔剣、『
左腕を生やした時、マルセロ自身が魔剣の力を使うのは本意ではないと発言している。魔剣の力を開放するに当たって使用者に大きなデメリットがあるのではないか、そうスミス達は推測していた。
「――つまり。マルセロは魔剣の力を抑え込む為に、今は動き回れない。そういう事?」
「仰る通りです、マーサさん」
マルセロが魔剣の力に呑まれてしまうというケースも考えられるが、基本的な対応は変わらない。結局、マルセロに対処出来る人間など数える程しかいないのだから。
「『剣聖』は以前に勇者トウヤ殿に捕縛されているが、それで懲りているだろうからな。わざわざ自分の居場所を晒すような愚は犯すまい」
「確かにね。公国がSランク冒険者の行動範囲に入るように要請を出しておくよ。それと、公国や自治州と連携した緊急事態対応の仕組みを作らないとね」
マーサが差配をするよう指示を出すと、エルーシャはその旨を書き留めた。
「俺達の所属については、仮に冒険者としてギルドに残るとしてもシルファリオ支部との協議が必要だし、俺達自身にも目的があって一箇所に腰を落ち着ける事が無いから、期待はしないでくれ。勿論、必要な時には駆けつけるがな」
オルトの言葉にマーサが頷く。
「まずは支部としてやれる事を全部やるよ。でも、何かあったら遠慮なくコネを使わせてもらうからね?」
「ああ」
オルトが短く返事をすると、マーサは面倒な話は終わりだとばかりに、椅子の背もたれに身体を預けて大きく息を吐いた。すっかり冷めてしまった紅茶のカップを、カミラが新しいものに取り替える。
「ところでオルト。Sランク昇格の打診を断ったって聞いたけど、実際の所はどうなんだい?」
「正確には、フリードマンに『対マルセロ戦の映像を本部に持ち帰ったらSランク昇格の話が出る』と言われたから、来ても受けないと伝えたんだがな」
マーサも他の職員達も苦笑する。
「その場で見たかったよ。でもハッキリ断ってるじゃないか。理由を聞いてもいいのかい?」
「一番の理由は、フリードマンを含めて本部から来た三人が気に入らなかったからだ」
「…………」
オルトが不機嫌そうに答えると、マーサはカップを手にしたまま固まった。
フリードマンに同行して来た二人の副部長は、最後までヴァレーゼ支部の職員に対して労いの言葉の一つさえも無かった。ギャバンが人事副部長、もう一人は総務副部長のコールで、リベルタでのレベッカの上司である。
ラスタンに詰られながら歯を食いしばり、女性が一人で出歩くのも憚られる程に町の治安が悪かった時期、同僚たちの為に夜間の買い出しに出かけたレベッカの姿を知るオルトには、到底容認出来ない事であった。
「フリードマンだって本人は兎も角、連れて来る冒険者が悉くハズレだったろう。それで仲間達の査定の話も無く俺だけSランクなんて言われても、ハイそうですかとは返事が出来んよ。あの調子だと『自分達がSランクに推薦してやった』くらいの事は平気で言って恩を着せて来そうだったしな」
「でもそれを言ったら、先に個人でAランクになってるじゃないか」
「――それは私達が必要としたからですよ、支部長」
【菫の庭園】と同じくシルファリオ支部から派遣されているエルーシャが口を挟む。
当時のシルファリオ支部は、依頼の受注と達成の実績を大きく向上させ、規模を拡大していた。Aランクパーティーの【四葉の幸福】が新たな拠点としたものの、長期的に所属するかどうかは未定であったのだ。
「オルトさんが昇格する事で、シルファリオ支部がAランク冒険者を輩出したという評価になったんです。町の発展にも大きな影響がありましたよ」
「そういう事かい。それはシルファリオの出身者としても礼を言わなきゃならないね」
Dランクパーティーとしてシルファリオに流れ着いた【菫の庭園】は、シルファリオ支部が育てた冒険者と見られるのである。エルーシャとマーサのやり取りに、オルトは居心地悪そうな顔をした。
「……過分に持ち上げられてるが、俺達には俺達の思惑があったからな。正直、一人だけランクが上がる弊害を軽く見ていた部分もあったし、言うほど立派な話では無い――どうした、ネーナ?」
「うふふ、何でもありません」
笑顔のネーナを見て、オルトが苦笑する。エルーシャの介入で、オルトが何を言っても好意的にしか受け取られない流れが出来てしまっていた。
結果的にオルトがAランクに上がった事で、全く足取りの掴めなかったマルセロに遭遇する事になった。オルト個人はハイネッサの盗賊ギルドにパイプが出来た。恩恵はあったが、冒険者ギルドの役員達には何の恩義も無いのである。
「諦めな、オルト。このカナカーナであんたと仕事をした職員達は、出向期限で元の支部に戻ったら盛りに盛ってあんたと【菫の庭園】の武勇伝をぶち上げるんだからね」
ニヤニヤ笑うマーサ。職員達はネーナと同じように、何かわかってる風に微笑んでいる。オルトは頭を抱えたくなった。
「オルトさん、私、『
「私も! 支部長代行だったって話しちゃう!」
「俺も!」
少年少女のように目を輝かせる職員達。助けを求めてネーナを見たオルトは、ガクリと肩を落として全てを諦めた。
「お兄様が正当な評価を受けるのは、大変喜ばしい事です!」
「ネーナは最初からそんなんだったな……」
全くブレないネーナに再度苦笑しながら、オルトが席を立つ。
「まあ、引き継ぎも終わったし俺達は帰るよ。北セレスタに行く日程は追って連絡する」
「ああ、お疲れ様」
『お疲れ様でした!』
マーサに続いてギルド職員が一斉に立ち上がり、『支部長代行』を送り出す。オルトは片手を上げて応え、ネーナはペコリとお辞儀をして支部長室を後にした。
オルト達が退出すると、マーサがパンパンと手を叩いた。
「さあ! 私達の仕事はこれからだよ! 出向期限の者も残留する者も、引き続きしっかり頼むよ!」
『はい!!』
声を揃えて返事をし、持ち場に戻っていく職員達。新支部長のマーサは手応えと同時に軌道に乗った支部を任された重圧を感じ、自分の頬をピシャリと叩いて気合を入れるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます