閑話三十 その先を言うなら、命を賭けろ

「こっちは大丈夫。任せて」

 

 イリーナが気負いなく応える。オルトは安堵したのか、僅かに表情を緩めて頷いた。

 

「俺達も出発までの間に、少しでも面倒事を片づけておく。途中で抜ける形になって済まないが、後は頼む」

 

 オルトが詫びを述べ、部屋を出て行く。

 

 

 

 静まり返った室内には、ここまでギルド長を護衛してきたメンバーに加えて、ミアや病み上がりのショットも集まっていた。【菫の庭園】がマルセロ討伐の為に別行動を取るというのは、誰にとっても寝耳に水の話であった。

 

 ――バチッ!

 

 イリーナは突然、自らの頬を叩いた。視線が集まる。

 

「私達が不甲斐無ければ、オルトだって心配で別行動出来ないよ。こっちはギルド長とガルフを、ウラカンまで無事に連れて行く事を考えよう」

 

 仲間達を鼓舞こぶしたイリーナに、同じ北セレスタ支部のパーティー【明けの一番鶏】のアラベラは冷静に指摘する。

 

「そうは言ってもイリーナさん、この一団は帝都支部と情報局、研究所の同行希望者を受け入れて五十名を超える大所帯です。護衛に割く人手の不足は否めません」

 

 アルテナ帝国北東部の都市ウラカンは、北の国境を越えて侵攻したドワーフ族の支配下にある。帝国とギルドの和平交渉が決裂した今、帝国の勢力圏を安全に抜けるのは困難だとアラベラは見ていた。

 

「あの……」

 

 おずおずと挙手をしたのは、ショットに付き添っているナディーヌだった。

 

「わ、私は帝国民で、冒険者ギルドには無関係なのにお、お邪魔してしまって――」

「ホラン、カード渡してないの?」

 

 緊張のあまりつっかえながらの話を、ヒンギスが途中で遮る。ホランは内ポケットから一枚のカードを取り出した。

 

「すみませんナディーヌさん、こちらも多忙でお渡しするのが遅れました。再発行は有料ですから、失くさないようにして下さいね」

「あっはい」

「これで問題無いわね?」

 

 両手で受け取った冒険者証をマジマジと見るナディーヌに、ヒンギスが尋ねる。ナディーヌはハッとした。

 

「で、でも! 私がいては皆さんにご迷惑を――」

「ストップ」

 

 右手を前に突き出し、ヒンギスが再び言葉を遮る。

 

「人前だから細かい話はしないわ。貴女がどうしたいかだけ教えて頂戴、ナディーヌ。ショットもナディーヌと一緒に残る気なの?」

 

 問われた二人が無言で頷く。ヒンギスはわざとらしく肩を竦める。

 

「ムーバリ伯爵とは話がついているのだけど?」

『へっ?』

 

 二人が揃って声を上げ、目を丸くした。少し俯き加減だったミアも、聞き覚えのある名前が出て顔を上げる。

 

 ムーバリ伯爵は帝国軍の重鎮の一人だ。軍の密偵だったミアは、彼に良くない噂があるのも知っている。特に性癖の部分で。

 

 伯爵の噂、ショットへの情報局の苛烈な暴行、そしてナディーヌ。ミアの頭の中で、ピースがカチリと填まる。視線を感じてそちらを見れば、ショットと目が合った。ショットが微かに首を横に振る。何も話すなと言わんばかりに。

 

「今日、ここに戻る途中で寄り道してきたの」

「ど、どうして……」

 

 ナディーヌの顔色が変わり、声も震えだす。ヒンギスは肩を竦めた。

 

「言っておくけど、私は何も知らないわ。寄り道はオルトの提案だから」

「私もギルド長も、何も聞かされていません」

 

 ヒンギスとホランは何も聞いていないと口を揃え、ナディーヌにも話さなくていいと伝えた。

 

「伯爵邸は風通しの良さそうな、前衛的なお屋敷になったわね」

「帝都の一等地ですし、かなり人目を引くでしょう」

「えっ?」

 

 聞いていたミアが首を傾げる。ムーバリ伯爵邸は確かに目立つが、押し出しが強くお世辞にも趣味が良いとは言えない、悪目立ちする建物だった筈なのだ。

 

 ヒンギスはナディーヌの前に、一枚の紙を差し出した。

 

「貴女と伯爵に一切の関係が無い事を認め、今後も関わらず何も口外しないと誓約する書類よ。オルトが念入りに『お願い』してたし、反古ほごにされる事は無いと思うわ」

 

 ナディーヌが震える手で書類を持ち、ショットと共に確認する。そこには確かに、ムーバリ伯爵直筆の署名と印があった。

 

「伯爵は物分りの良い方でしたよ。首が痛くなりそうな程、凄い勢いで頷いていました」

「帝都も物騒だし、あまりお痛が過ぎると、こわ〜い剣士が来てしまうものね」

 

 オルトが伯爵を脅しつけたのだと、ミアは察した。ポカンと口を開いたナディーヌに、ホランとヒンギスが笑みを浮かべる。

 

「今度こそ障害は無いと思うけれど。もう一度聞くわよ、ナディーヌ。貴女がどうしたいか教えて頂戴」

「私は……」

 

 傍らに寄り添うショットが優しく微笑み、頷く。ナディーヌはハラハラと涙を溢した。

 

「……私も、ご一緒させて下さい。この、御恩は、忘れません」

「礼ならオルトに言ってあげて。私達は証人というか、立会人として連れて行かれたようなものだから」

 

 ヒンギスがミアに視線を向ける。

 

「ミアのご実家にも寄って来たわよ。お父様はご高齢のせいか、お怪我を召されていたわね。でも、娘は帰って来なくていいそうよ。好きにしなさいって」

「お手数おかけしました」

 

 ミアが頭を下げると、ヒンギスは浮かない顔で溜息を漏らした。

 

 後から考えれば、そういう事かと納得は出来る。諜報や工作に深く関わる情報局は職務の特殊性から、常に貴族や皇族、軍上層部に責任を負わされ、トカゲの尻尾のように切り捨てられるリスクがある。

 

 裏切りを牽制する為にも相手の弱みを握っておく。ムーバリ伯爵やミアの実家の男爵家の情報はそこに属する機密であり、オルトはそれらを活用して相手を恫喝したのだ。

 

 また国防的な観点から『剣聖』マルセロは大きな脅威であり、未だ領土拡張の野心を隠さない帝国にとって魅力的な実験体でもある。情報局がその所在を捕捉しているのは当然だ。

 

「冒険者ギルドに揺さぶりをかける為の情報だってあるでしょう。オルトは最初からそれらを狙ってたのね」

 

 オルトは部屋を出る前、面倒事を片づけると言っていた。これから生きて戻れるかわからない戦いに赴くというのに、最後までギルド長一行のサポートをするのだと誰もが理解していた。

 

「……私達も無様は晒せないよ」

 

 イリーナの決意に満ちた声が、静かな室内に広がる。

 

「護衛の人手不足に関しては、当てが無い事もない。期待は出来ないけど」

「居場所は把握してるわ」

 

 ミアが声をかけると、イリーナは立ち上がって大剣を背負った。

 

「じゃ、ちょっと出かけてくるね」

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「セドリックさん、ご在宅ですか?」

『!?』

 

 乱暴なノックの後に扉の向こうから呼びかけられて、【真なる勇気】のメンバーは硬直した。

 

「冒険者ギルドの方から来たんだけど、いないの? いるよね、これ?」

「いるわね」

 

 来訪者は二名らしく、ガンガンとノックの音が大きさを増す。扉がガタガタと揺れる。

 

「セドリックさーん。鍵かかってるし、居留守とかやる事セコ過ぎない? 前から思ってたけど。開けてくれないと困るんだけどなあ――」

『あっ』

 

 バキッと音がして、外にいる二人の声が揃った。

 

 把手が室内に落ち、扉に開いた小さな穴から人の目が中を窺う。

 

「やっぱりいるじゃないの。しかしチャチな鍵使ってるね。ああ、修繕費はギルドに請求して」

 

 壊れたのは鍵が悪いと言わんばかりに、ズカズカとイリーナが入って来た。後に続くミアは、幾分気まずそうにしている。

 

「……何の用だ」

 

 セドリックが虚勢を張るも、イリーナは臆する事なく【真なる勇気】の面々が囲むテーブルに歩み寄り、右手をバンと叩きつけた。

 

「ギルドと帝国の交渉は決裂した。ギルド長は避難希望者と傷病者を引き連れて帝都から撤収する。同行する人数が膨らんで護衛が心許ないから、お前達の手を借りに来た」

 

 内容は頼み事だが、イリーナの言い草は半ば確定事項だ。セドリックが顔を顰める。

 

「どうして手が足りなくなったかと言えば、『剣聖』マルセロの居場所が判明して、【菫の庭園】がギルド長の護衛から外れて討伐に向かうからなんだけど」

 

 マルセロ、そして【菫の庭園】の名を聞いたセドリック達は一様に俯いた。彼等にとって、決して無関係な話ではないのだと理解したからだ。

 

「行けるものなら、私だって行ってオルト達の力になりたい。他にもそう思ってる者はいるけど、マルセロと戦り合えるのは【菫の庭園】だけで、託すしかない。それなのにオルトは、『途中で護衛から抜けて済まない』と謝罪したんだ。そんな事をする必要は無いのにっ!」

 

 拳を押しつけられたテーブルが悲鳴を上げる。

 

「イリーナ」

「……わかってる」

 

 ミアの呼びかけに応え、イリーナは心のたかぶりを鎮めようと、深く息を吐いた。

 

「言っておくけど。私は、お前達が護衛に加わってもそうでなくても、どっちでもいい。いや違うな、むしろ来るなと思ってる。邪魔だから」

 

 ミアは内心驚いていた。イリーナとの付き合いはそう深くないが、【真なる勇気】の面々にここまで敵意を表すとは思ってもみなかったのだ。少なくとも、手を借りに来た者の言い草ではない。

 

「お前達には何も期待してない。足を引っ張りさえしなければ、それでいい。私がここに来たのは、私の友人で恩人でもある【菫の庭園】の為。形だけのAランクでも護衛が増えれば、彼等が罪悪感を覚えずにマルセロを倒しに行けるから」

 

 イリーナと【真なる勇気】は互いに面識がある。開設されて間もないヴァレーゼ支部に派遣され、巨大犯罪組織『災厄の大蛇グローツラング』の拠点強襲にも参加している。だからこそ、イリーナの相手に対する心象は最悪だ。

 

「帝都支部の人員の半数は、ギルド長と面談して契約を解除された。帝国から売られた喧嘩に収拾をつける為に来たギルド長に対して、反抗的で非協力的な態度を取ってれば当たり前だよ。ギルド長がどうするかは聞いてないけど、非協力的なのはお前達も同じじゃないか」

 

 非難される一方のセドリックが唇を噛む。イリーナの言葉には反感を覚えるが、日和見ひよりみを決め込んでいたと言われても全く反論出来なかったからだ。

 

 帝都支部が危険な状況だと理解していながら駆けつけず、それどころか義勇軍の勢力圏に出向いて攻撃した事実もある。最悪の場合は帝国にくみしたとして処断されかねない。

  

「はっきり言えば私は、ヴァレーゼでお前達を助ける価値は無かったと思ってる。マルセロの首を取る方が、どう考えても有益だった。せめてここで、命を救ってくれたネーナの役に立て」

 

 イリーナが言い放つと、怒りに震えていたセドリックは、堪えきれずに立ち上がった。

 

「私が助けてくれと――」

「セドリック」

「っ!?」

 

 助けてくれなんて言ってない、侮辱を受けるいわれは無い。半ば自棄やけになった彼の激情はしかし、目の前で大剣を背負う女性が、一言名前を呼んだだけでねじ伏せられる。

 

 セドリックだけではない。仮にもAランクパーティーである【真なる勇気】のメンバー全員が、Bランクパーティーの一戦士に過ぎないイリーナに気圧されていた。

 

「一つだけ忠告しておくよ。その先を言うなら、命を賭けろ」

「っ!?」

 

 怒りを露わにしたセドリックも、漸くわかった。イリーナが自分達にぶつけてきた敵意は、自分のものなど比較にならない激しい怒りによるのだと。

 

「お前達が死のうが生きようが知った事じゃない。だけどネーナが、あの優しい娘が、マルセロを逃したのは自分のせいだと悔やんでいる。その後マルセロが出したであろう被害に心を痛めてるんだ」

 

 マルセロの逃亡は結果でしかない。しかしそこに、予定外の【真なる勇気】救出というアクションが加わっていたのは事実。それはセドリック達の無謀な行動が招いたものだ。

 

「オルトはマルセロとの死闘の中で、それでもネーナの思いを汲んだ。助けられたお前達は、それに見合う働きをしていない。あの娘の心根を踏みにじるのならば、私が息の根を止めてやる」

 

 本気だ、そうセドリックは感じた。イリーナは、今にも背中の大剣に手をかけそうな殺気を孕んでいた。

 

 だがセドリックが懸命に絞り出した言葉は、相手を納得させるものではなかった。

 

「……後宮に、私の母上がいる。私は、帝国に剣を向ける事は出来ない」

 

 室内に満ちた殺気が霧散した。

 

「母のせいね、わかった」

 

 イリーナが背を向ける。その目に宿るのは、失望の色であった。

 

 ミアが扉を閉め、二人は去って行く。

 

 部屋に残された【真なる勇気】の面々は、何も言う事が出来なかった。

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