第二百四十一話 そんだけ期待してんのよ

「ハッ!」

「悪くない踏み込みだ」

 

 自らに迫る渾身の一撃を、オルトは『処刑剣』スタインベルガーの刃先を滑らすように受け流した。

 

 驚愕の表情を浮かべてつんのめるアラベラを躱し、難なく体を入れ替える。

 

「くうっ、まだです!」

「正式に剣術を習っている事もあるが――」

 

 オルトは言いながら、踏み止まって反撃に転じようとするアラベラの剣の腹を叩く。

 

「アラベラは器用で筋が良い」

 

 発動される寸前の魔法が解除され、少女は悔しげな表情を見せた。

 

「魔力の流れを読まれれば、相手も対処してくるぞ。魔力隠蔽、或いは偽装が必要だ」

「あっ!」

 

 剣を絡め取られて、アラベラが地面に倒れ込む。

 

「――だが今は、もう少し体力が欲しいな。この剣に見合うだけの」

 

 オルトは宙を舞う剣を掴み、アラベラの傍らに置いた。

 

「次は私!」

「来い」

 

 大剣を手にしたイリーナが猛然と挑みかかり、真っ向から受けて立ったオルトとの激しい打ち合いが始まった。

 

「アラベラさん、お水です」

 

 地面に座り込み荒い呼吸を繰り返すアラベラに、ネーナが駆け寄る。

 

 ヤカンの口から流れ出す水を両手で受けて喉を潤し、プハッと貴族の子女らしくない息を漏らす。ようやく人心地がつくと、アラベラは慌ててネーナに礼を述べた。

 

 周囲では先に音を上げた者達が、信じられないものを見るような目でオルトとイリーナの稽古を眺めている。

 

「イリーナさんは私よりずっと長く打ち合っているのに、まだしっかりと大剣を振り切っています。軸もブレていません」

 

 アラベラは傍らにある、魔力を帯びた剣に目を落とす。

 

 剣はシュムレイ公爵家に仕えた忠義の騎士、ウーベ・ラーンから譲り受けたものだ。故人となった元の持ち主にちなんで、アラベラはその剣を『ラーンブレイド』と呼んでいる。

 

 生前のラーンに合わせたあつらえの剣は、アラベラが取り回すには少々重い。鍛錬してはいるものの、まだ剣に振り回され加減だ。見る者が見れば、アラベラがラーンブレイドを持て余しているとわかる。

 

 だがアラベラは、ラーンが自分に託した剣を手放す気は無かった。オルトもそれをわかっているから、まだ体力が不足しているとだけ指摘したのである。

 

 親切心ではあろうが、アラベラに対してもっと軽い剣を使うよう勧める者も少なくない。だから自分の意志を尊重した上で前向きなアドバイスをくれるオルトの存在は、とても有難かった。

 

「『心技体』の三要素はお互いに補完し合う関係にあるが、一番大事なのは最後の『体』だ。不撓不屈ふとうふくつの精神も、磨き抜かれた技術も、鍛え上げられた体躯たいくが無ければ十全に発揮されない。まあ、俺個人の見解だけどな」

 

 オルトは一歩も引かずに、絶え間なく続く大剣の連撃を淡々と捌いていく。

 

「それはわかるよ。精神が肉体を超えるとかいうけど、そんな状態は長く続かないからね。体力が尽きると余裕も無くなるし、無茶しなきゃいけなくなるしさ。『元気があれば、何でもできる』ってやつ?」

「そうでしょうか……」

 

 レナが納得したように頷くが、ネーナは首を傾げた。

 

 最後の例えはともかく、聖女として勇者トウヤと共に魔族と戦い続け、生き残った者の言葉には重みがあった。そのレナはイリーナの次にオルトに挑もうと、屈伸を繰り返している。

 

 二人の話は、ネーナにも概ね理解出来た。初めはパーティーについていくだけで精一杯だったが、体力が備わった事で余裕が生まれ、出来る事が増えた。仲間達はネーナの気持ちが折れないように体力強化を急いだのだと、今ならわかる。

 

「イリーナは本当に隙が無くなったな。いつ終わるかわからない連撃は、相手に大きなプレッシャーを与えて体力の消耗を早め、ミスを誘発する」

「ミスしない、じゃ、ないのっ!」

 

 黙々と剣を振り続けていたイリーナが、我慢出来ずに抗議する。

 

「呼吸も気持ちも乱すな」

「あうっ」

 

 額に手刀を入れられ、イリーナは膝を折った。見ていたネーナが、あっと口許に手を当てる。

 

「お兄様はイリーナさんには厳しいです」

「そんだけ期待してんのよ。今度はあたしの番!」

 

 レナが飛び出し、ヤカンを両手で持ったネーナはイリーナに駆け寄った。

 

 呼吸を整える暇さえ与えまいと、レナが両拳を繰り出す。オルトはそれを軽く躱してレナの懐に入り、額をパチンと弾く。

 

たッ!」

「それだけ期待されてるんだろ?」

「意地悪!」

 

 軽口を叩き合いながらの攻防。しかしオルトの攻撃は、イリーナの時より明らかに鋭さを増している。

 

 二人の立ち合いを食い入るように見ていたアラベラは素振りを始める。イリーナは頭からヤカンの水を被り、フェスタを相手に大剣を構えた。

 

 他にも触発されたように立ち上がり、稽古をする者が現れる。その中には、帝都支部からやってきた若い冒険者パーティーもいた。

 

「思考を止めるな。相手より長く、良質な思考を重ね最善手を選び続けて、自分と仲間達を勝利に導け」

 

 オルトが素早く間合いを詰め、手を伸ばす。

 

「あと、レナは跳ねすぎ。癖になってるだろ」

「わわっ!?」

 

 後方に転回しようとしたレナが、空中で腰を叩かれて地面に落ちる。

 

「攻撃でも回避でも、多用すれば狙われるぞ。完全に視線が切れてるし、足が地面から離れてる間は行動も限定されるからな」

「うぅ〜、お尻触られたっ」

「冤罪だ、腰だろ腰」

 

 レナは恨みがましい目で唸りつつも、オルトが差し出した手を取って立ち上がった。

 

 

 

 ――今日のお兄様は、サービス満点です。

 

 ネーナは呟く。普段も不親切な訳では無いオルトが、今日は稽古相手だけでなく、周囲の者まで諭すように話し続けている。

 

 これから【菫の庭園】はギルド長のいる本隊を離脱し、『剣聖』マルセロの討伐に向かう。残された護衛は、多くの非戦闘員をウラカンに連れて行かなければならない。別行動を控えて、オルトは少しでも彼等の力になりたいのだと、ネーナは察していた。

 

「すごい活気ね」

 

 振り返ればギルド長のヒンギスが近づいていた。その後ろにはホランとスミス、さらに帝国軍の制服を着た若者達が続いている。

 

「お疲れ様です、ヒンギスさん」

 

 ネーナが労いの言葉をかけ、稽古をしていた者達も集まってくる。

 

「ウラカンまでのルート上に領地のある貴族の取り込みが終わったわ。恫喝したとも言うけれど」

 

 アルテナ帝国の貴族が、敵対している冒険者ギルド一行の通過を簡単に認める事は無い。情報局で仕入れた弱みを存分に突いて、貴族達に要求を認めさせたのである。

 

「オルトが連れて来た子達、凄く優秀ね」

 

 ヒンギスが情報局の職員達を褒めると、オルトは肩を竦めた。

 

「優秀だから無能な上司に使い倒されて、戦功を挙げられない情報局では出世出来ずに飼い殺され、挙げ句にそれでも仕事を頑張ったのが仇になって、スケープゴートとして上の連中の失態の責任を取らされそうになってたんだ」

「もうちょっと言い方……」

 

 オルトを窘たしなめるヒンギスに、職員達が苦笑する。

 

「事実ですので。上司にゴマを擦れず、同僚の足も引っ張れず、家庭の事情や弱みを抱えて逃げ出す事も出来ず。オルト・ヘーネス様に地下牢から解放して貰えなければ、我々は身に覚えのない罪で処刑されるのを待つだけでした」

 

 むうっ、とネーナが唸る。職員達の目が、オルトを崇拝するエルーシャやレベッカに似ているように感じられたのだ。

 

「まぁた信者を増やしちゃって。オルト教団立ち上げるなら、あたしが聖女か教皇やったげるよ?」

 

 稽古でオルトにやり込められたレナが、意趣返しとばかりに茶化した。ヒンギスも楽しげに言う。

 

「冒険者ギルドは宗教問題にはノータッチだから。仲良くやってよ?」

「……ギルド長まで。勘弁してくれ」

 

 ストラ聖教の聖女であったレナが、冗談でも別な宗教団体の要職に就いたなどと言えば戦争待ったなしだ。そもそも、レナが聖女を辞めた事を、ストラ聖教は公式に認めていない。

 

 オルトは両手を挙げ、困り顔で降参のポーズを取る。ヒンギスは真顔に戻った。

 

「ウラカンへの撤退は問題無いわ。道中の領主の大半は独立か、新たなドワーフの国への従属を希望しているの。皇族や上位貴族は随分と恨みを買っていたようね」

 

 ギルド一行の安全な通過を保証する代わりに、ドワーフ族への執り成しやその他の見返りを求める領主もいるという。貴族達も帝国の崩壊は避けられないと見て動き始めている。

 

「この先は込み入った話になるから、汗を流してからにしましょう」

 

 ヒンギスが研究所の敷地内に設置されたテントを指差す。その側ではエイミーが、精霊術のシャワー準備完了とばかりに手を振っていた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「ここに来て、地方貴族達の一部が帝都に攻め上がる動きを見せているの」

 

 ヒンギスが切り出す。部屋に集まったのは、【菫の庭園】を含むごく一部の者だけだ。

 

 帝国南部の反乱は広範な地域に拡大し、北部のドワーフ族と東部の人族の少数民族はそれぞれ国境を突破して、帝国領内に深く侵入している。

 

 南部はさらなる拡大か現状維持かで足並みが揃わず、東部は背後のコーラリアが気になりそれ以上攻め入れない。対してドワーフ族は悲願である先祖の土地の奪還を達成した後、周辺を固める事に注力して北部は比較的安定していた。

 

「ドワーフ族は遺恨の残る相手と敵対的な相手を追放するに止めたわ。それ以外の北部の領主達が、帝都で人質に取られている身内を取り戻そうとしているの」

 

 成程、とネーナは納得した。

 

 例外はあるものの、アルテナ帝国は帝都近くに住み、古くから帝国に籍がある程ステータスが高い。待遇の格差は貴族であっても変わらず、当然不満も溜まる。

 

 だが反乱抑止の為、表向きは教育や後宮への出仕名目で帝国貴族の妻子は帝都に留め置かれており、事実上の人質となっていた。

 

「私達がいる事で帝城は混乱していますが、落ち着けば敵の侵入を許した地方領主の妻子が処罰されるという事ですか?」

「少なくとも、地方領主達はそう考えているわ」

 

 ヒンギスが肯定し、ネーナが訴えるような目でオルトを見る。人質を取り戻すならば、帝国が混乱しているこの機に乗じるのも手ではあるのだ。

 

「俺達に出来る事は無いぞ」

 

 しかしオルトは頭を振り、地方領主達への協力に否定的な物言いをした。言い辛そうに続ける。

 

「数が多過ぎるし範囲も広い。そこまでの内政干渉をする大義も無い。それに……帝国暮らしの『人質』が全員、地元への帰還を望んでいるとも限らない」

「半ば軟禁状態で皇族や上位貴族の妾が実態だとしても、ね。対象者全員の意思を確かめる事も出来ないし」

 

 ヒンギスにそう言われてしまえば、ネーナも助けたいとは口に出せない。何よりネーナ達はギルド長の護衛であり、じきにマルセロ討伐に出立しなければならないのだ。

 

「だから、こちらはこちらの思惑で動く。家庭の問題は当事者同士で何とかして貰おう」

「……はい」

 

 オルトに頭を撫でられ、ネーナは承服した。元より優先順位は理解しており、パーティーの方針に異議を唱えるつもりは無い。

 

「では、私達は陽動ですか?」

「ああ」

 

 ネーナが問いかけると、肯定の答えが返ってきた。

 

 ギルド長の一行に追手がかからぬよう、【菫の庭園】は帝国中の注意を引きつけようとしていた。

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