第八十七話 悪役令嬢の告解
ファラの告解めいた言葉に、室内が静まり返る。その後を引き取るようにオルトが言った。
「俺はファラを連れて、アイルトンにあるファラの実家に行った。だがそこに、ファラの居場所は無かった。両親はファラを勘当し、婚約者はファラとの婚約を破棄してファラの妹との婚約を宣言したんだ」
「そんな……理由は何ですか!?」
憤懣遣る方ないといった様子で、ネーナがオルトに聞く。ネーナの怒りは当然だろう。犯罪に巻き込まれて漸く帰って来た娘に対して、家族や婚約者がしてもいい仕打ちではない。
オルトが向けた視線を受け、ファラが答えた。
「……婚姻前に純潔を失くしたから、だそうです」
「ご両親も、婚約者の方もそう仰ったのですか?」
悲しげにファラが頷く。ネーナは絶句した。レナが首を捻りながら疑問を口にした。
「帰って早々、純潔の話をしたの?」
「いや、こっちからじゃない。誘拐、監禁された所まで話した時点で、向こうが『そうに決まっている』って体で言ってきた。それと、経営に不正があったという理由で商会の代表も解任された」
「オルト様にまで心無い言葉を……申し訳ございません」
当時のやり取りを思い出したファラが謝罪する。オルトは頭を振った。
レナが眉間に皺を寄せて言う。
「それだと話が大分変わってくるわよ。向こうにとって『ファラがそういう目に遭う』所まで織り込み済みのシナリオが出来てたって事じゃないの? ファラはハイネッサで誘拐されたの?」
「はい」
「じゃあ、どうしてハイネッサに行ったの?」
「……番頭さんが取ってきた、大きな取り引きの商談の為です。私の、その……『元』婚約者の家も商会をやってまして。私達の結婚を機に合併を進める事になっていました」
ファラの実家の商会は創業した曽祖父から堅実に商いを続けていたが、ファラの父の代で時流に乗り損ねて業績が先細りになっていた。
ファラが経営に関わるようになって乗り出した新規事業が当たり、商会が大きく浮上した所にファラの元婚約者の実家との合併話が湧いて出たのである。
「番頭さんや多くの従業員が頑張ってくれていましたが……父や昔ながらのやり方に拘る人達は不満を口にしていました」
「あのさ、ファラ。その番頭に言い寄られたりしてなかった?」
「…………」
レナの問いに俯き、気まずそうに沈黙を返すファラ。レナは深い溜息をついた。
「最初から敵だらけだったって事じゃないの。家族にしたって、商会の件だけでそんなにはならないわよね? 何があったの?」
ファラは俯きながら、ポツリポツリと身の上を語り始めた。
物心ついた頃には、両親は遠い存在だった。乳母代わりの古い従業員から、ファラが父方の祖母によく似た容姿なのだと教えられた。
厳しく育てられた父も、嫁として商会や家の仕事を厳しく仕込まれた母も厳格な祖母を疎んでいたのだ。
ファラは両親に褒められたい一心で勉強や稽古をしたが、両親はファラを見向きもしなかった。両親との会話や食事の記憶も無く、ララという名の妹が生まれてからは、両親と妹の団らんを遠目に眺めるようになった。
ファラには幼馴染がいた。幼馴染は両親が付き合いのある商会の跡取り息子で、幼馴染もその両親もファラに優しかった。
『ファラちゃんがお嫁に来てくれたら嬉しいわねえ』
ファラは幼馴染の母親の言葉を支えに、商会の仕事に繋がる事を片っ端から学んでいった。いつかこの冷たい家を出て、幼馴染と共に歩む日の為に。商会の経営に関わるようになり、成果を上げ続けた。
でも、ファラが夢見た日が訪れる事は無かった。
ファラの両親が、妹の訴えを聞き入れてファラを幼馴染から遠ざけたのだ。
『ララの邪魔をするな。身の程を弁えろ』
それが、何年かぶりにファラに向けられた父親の言葉だった。そこで初めて、ファラは妹も幼馴染に好意を持っている事を知った。
今度は妹と幼馴染の逢瀬を遠目に眺める日々が始まった。
ある日ファラは、妹と幼馴染が抱き合い口づけを交わす場面を見てしまった。幼馴染の好意を向ける相手が、ファラから妹に変わったのを知ってしまった。
ファラは自分の中に、猛烈な嫉妬と怒りが満ちていくのを感じた。
色々なものを諦めてきたファラが、この時はどうしても諦められなかった。幼馴染との未来を。幸せな生活を。
既に商会で大きな影響力を持っていたファラは、父親を引退させた。部下を叱責するばかりだった父親は、ファラとの力関係の変化に気づいていなかったのだ。謂わばクーデターである。
続いて妹と幼馴染を引き離し、悪評を流し続けて仲を裂いた。幼馴染の両親はファラを気に入っていた為、噂を信じて幼馴染とファラが結ばれる事を望んだ。幼馴染もそれを受け入れた。
その間、商会でファラの仕事をサポートする番頭が何度も言い寄ってきたが、ファラはハッキリと断った。
ファラの望みが叶う時が、間近に迫っていた。後はハイネッサで商談を纏め、それを手土産に幼馴染の商会と合併するだけだった。
ファラは番頭や従業員に後を任せ、勇んで単身ハイネッサに出発をした。かの町で自らが筆舌に尽くし難い苦しみを味わう羽目になるとは、夢にも思わずに。
「……その後、ハイネッサで誘拐されてからの事は、先にお話した通りです」
話し終えたファラは、俯いたまま大きく溜息をついた。
「実家を出た直後にファラが倒れてしまって、体調を見ながらの移動で帰りが遅くなってしまったんだ」
オルトが補足してからは、誰も口を開かない時間が続いた。
最初に言葉を発したのはレナだった。
「予想を超えて重い話だったわ。オルト」
「ん」
「番頭とファラの妹はその場にいたの?」
「ああ」
「どう感じた?」
「疑うなという方が無理だ」
オルトは即座に言い切った。
ただ、ファラの実家に行った目的はファラを送り届けるだけであった。勘当されてそれが叶わなかった以上は、オルトがその場に留まる理由は無かった。
「私自身にも非のある話ですから。もう実家に関わるつもりはありませんし、真実を明らかにしようとも、誰かを問い詰めようとも考えていません」
「ファラの誘拐に関わった者がいるなら、ハイネッサなりアイルトンなりから捜査の手が伸びるかもしれんがな。アイルトンにも通報はしてきたぞ」
黙って聞いていたフェスタが、オルトに問いかけた。
「……それで、オルト。ファラは暫くうちに滞在するって事でいいのね?」
「そのつもりだ。ファラの『元』家族、私物すら持ち出させずにファラを追い出したからな」
オルトが答えると、ファラは椅子から立ち上がり、【菫の庭園】一同に深々と頭を下げた。
「厚かましいお願いですが、一晩でも泊めて頂けると助かります。手持ちも少なくて……夜が明けたらアーカイブか『湖上都市』ネオファムへ向かいます。もう純潔も関係ありませんし、身体一つで出来る仕事もありますから」
犯罪に巻き込まれ純潔を汚され、従業員にも裏切られた。家族は元より敵だった。自業自得の部分はあっても、ネーナ達はファラを一方的に非難する事は出来なかった。
そんな状況でもファラは自暴自棄になる事なく、生きようとしている。
だからネーナは、『惜しい』と思った。
「ファラさん。勿体無いですよ」
「えっ?」
ファラが気の抜けた返事をする。ファラは厳しい言葉を浴びせられて当然だと思っていたのだ。
「私は誰でも助けようとして、お兄様を困らせてしまうんです。でもお兄様はそうではありません。あっ、冷たい人ではありませんよ?」
ネーナは、苦笑するオルトの下へ行くと、オルトの足の間にちょこんと腰を下ろした。
「ファラさんがすぐに助けなければならない状態で、かつ助けられた事の対価を支払える人だから助けたんです。そうですよね?」
オルトは答えなかったが、ネーナの頭を撫でた。ネーナが笑みを浮かべる。
ネーナの気遣いに、オルトは感謝していた。オルトがいくら「気にせずともいい」と言っても、ファラがその言葉を額面通りに受け取る事は無い。
だが、ネーナはファラの価値を肯定した。辛い記憶を消す事は出来ずとも、ファラの心が僅かでも軽くなり、前に進む力になるのではないか。オルトはそう感じていた。
「成程。少なくとも、商売のノウハウと商会経営の経験は、この町でも役立てる事が出来そうですね」
スミスが頷きながら言った。
「仕事に貴賎は無いし、貴女が娼館で働く事を選ぶなら止めないけれど。でも貴女、対人恐怖症みたいだけど大丈夫なの?」
「…………」
フェスタに苦しい所を突かれて、ファラが黙り込む。ネーナが優しく語りかける。
「ファラさん。罪の償いも次の行動も大事ですけど、その前に少し休みませんか? 大丈夫ですよ、ここにはファラさんの敵になる人はいませんから」
「それでも罪悪感があるなら、あたし達が一緒にいる状況に無理にでも慣れて貰うかな」
「じゃあまずはお風呂だね!」
エイミーが勢いよく立ち上がり、ファラの手を掴む。ファラは驚いたものの、アロマキャンドルが効いているのか拒否はしなかった。手を引かれるままに応接室を出て行く。レナもついて行った。
「お兄様も一緒に入りましょう!」
「入る訳無いだろ……」
「お兄様が冷たいです……」
ネーナがしょんぼりしながら部屋を出る。
「心配したんだからね」
フェスタは少し背伸びをしてオルトの首に手を回し、お帰りなさいのキスをすると浴場へ向かった。
「改めて、お疲れ様でした。連絡が無くて肝を冷やしましたよ」
女性陣がいなくなった部屋で、スミスがオルトを労う。
「ブルーノの件は、こちらの状況が状況だったので特に何も伝えていません。今は【
「有難う、スミス。ブルーノの事は心配していたんだ」
「彼等が戻って来たら、移籍の話をしてあげて下さいね」
オルトは頷くと席を立った。
「ギルド支部に顔を出して来る。帰還の報告と、ファラの仕事の件についても少し話してくるよ」
「そうですね。外注に決まってしまってからでは変更が難しくなりますからね」
「そういう事だ」
ゆっくり休む間もなく外出するオルトを、スミスは気遣わしげに見送るのだった。
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