第六話 ネズミとネコと籠の鳥

 スミスの考えは翌日に聞く事にして、アンとユルゲンは話を切り上げた。ファーストコンタクトで協力を得られる事になったのだから、それ以上欲張る必要は無い。


「明日、王女殿下のお部屋にエイミーを向かわせます。何かご予定は?」

「大丈夫です。お待ちしております、エイミーさん」


 アンはスミスに答え、ブンブン手を振るエイミーには控えめに手を振り返す。同年代の人懐こい少女にまた会えるのが、アンは今から楽しみだった。


 アンとユルゲンが部屋を出ると、廊下に騎士団長の姿は無かった。遠くで聞こえていた宴会の喧騒も、既に無く、辺りは静まり返っている。


 アンの部屋に辿り着くまで、二人は警備の近衛騎士以外を見かける事は無かった。しかしユルゲンは、確かに人の気配を感じ取っていた。明らかにこちらに向いている、複数の意識を。


 ユルゲンが、扉の脇に立つ女性の近衛騎士に声をかける。


「ご苦労。儂等が出た後に部屋を出入りした者や部屋に近づいた者はあるか?」

「ありません。こちらを窺う気配は感じますが、視認していません」

「そうか。引き続き頼むぞ」

「はっ」


 このやり取りで、ユルゲンは近衛騎士の忠誠がアンに向いてる事を感じ取り安堵する。部屋に残ったフラウスを心配していたが、部屋の扉を開けてすぐに杞憂である事がわかった。


「姫様、ユルゲン様、おかえりなさいませ」


 出迎えたフラウスの様子は、二人が部屋を出る前と変わらなかった。ユルゲンが安堵しながら留守中の首尾を尋ねる。


「儂らが部屋を出た後に変わった事は無かったかの?」

「はい、特には。ネズミはいたようですが」

「ネズミ?」


 フラウスの返事に首を傾げるアン。苦笑するユルゲン。『ネズミ』が部屋の周辺にいたであろう見張りの事だと察したユルゲンは、フラウスとお互いの出来事を話し、情報を共有する。


 廊下でアンと遭遇した騎士団長は、アンとユルゲンが勇者パーティーと接触した事を報告する為、国王の下へ向かった筈。


 この部屋に戻る途中にユルゲンが感じた気配とフラウスが気付いた気配は、恐らく王国の暗部のものだ。国王の許可無くして王女の部屋の周りに配置出来るとは考えられない。


 ユルゲンは悩んだものの、翌日には王城を離れて東部の国境に戻る事を二人に伝えた。


「直接手は出せんじゃろうが、儂も国王陛下の覚えはめでたくない。今の状況で姫様の傍に居ても、助けになれる事は無いのでな」


 アンはユルゲンに駆け寄り、その大きな身体に抱きついた。そして目一杯の感謝を伝える。


「いいえ、おじ様が来て下さってどれほど心強かったか」

「ふむ。そうであれば、老骨に鞭打って来た甲斐もあったかの」


 アンは後戻り出来ない道を走り出した。それは国王の耳に入ったと考えて間違いない。


 国王の意に沿わぬ言動をし、勇者パーティーと接触したアンの傍に、国王に疎まれているユルゲンがいれば余計に注意を引いてしまう。国王が強権を振るえば、アンを軟禁する事も容易なのだ。


 他方でユルゲンは、自分が王城を離れた後のアンの事については全く心配していなかった。この部屋に戻る前、バラカスと最後に交わした言葉を思い出す。




『姫様を頼む。儂の命より大切なお方だ』

『しょうがねえな、貸し一つだぞ』




 やり取りはそれだけだった。それで十分だった。

『ヤツが引き受けたならば、結果は疑うべくもない』と、ユルゲンは本気で思っていた。


 スミスやバラカスの動きを邪魔しない為にも、ユルゲンは東の国境に戻る事を選択したのだった。


「さて。儂もそろそろお暇するとしよう。フラウス、日が昇れば勇者パーティーのエイミーがここに来る。後は頼む」

「お任せください」


 ユルゲンは椅子に腰を下ろす事なく、アンに一礼すると用件は済んだとばかりに扉へ向かう。


「おじ様、ありがとうございました。またお手紙を送りますね」

「それは楽しみじゃのう。モノクルを調整しておかねばな」


 アンとフラウスは、ユルゲンを見送ると慌ただしく就寝の準備を始める。唐突ではあったが賽は投げられた。明日から刻々と変化する状況に立ち遅れない為にも、まずすべきは十分に睡眠を取る事だ。


 アンは床に入り瞼を閉じた。様々な感情で昂る気持ちを鎮めながら、アンは今後の事や勇者トウヤの事に思いを馳せるのであった。




 ◆◆◆◆◆




 翌日、エイミーはアンが朝食を終えた頃にやってきた。


 部屋に戻ったアンが扉の方を見ると、フラウスは別な侍女と廊下で話している。一度アッシュベージュの髪の近衛騎士が部屋の入口を塞ぐように立ったが、フラウスが手を上げて制すると元の位置に戻った。


 アンが椅子に腰を下ろすタイミングでフラウスは話を終え、扉を閉じる。


「どちら様でしょうか?」

「……フラウス?」


 扉を閉じ、アンの傍に寄るとフラウスは問いかける。

 しかしその視線は、誰もいない部屋の隅に注がれていた。


「……にゃ、にゃー」

「おや、ネコでしたか」

「納得するの!?」

「っ!?」


 驚愕の声と共にエイミーが姿を現す。同じく驚愕するアンとは対照的に、フラウスは涼しい顔でエイミーを席に案内し、お茶の用意を始めた。


「王女様、あの侍女さん何者なの? この部屋に来るまで誰にも気づかれなかったのに」

「フラウスは凄いんですよ……」

「フラウスと申します、エイミー様。お褒めに預かり光栄ですが、これでも第二王女殿下付きの侍女ですので。それと、部屋の入口の近衛騎士も気づいておりましたよ」

「そ、そうなんだ」


 軽く凹み気味のエイミー。本人は全く気づかれていないつもりだったのだ。


「エイミー様。ご用の向きは昨晩のお話の件でしょうか?」

「あっと。そうだった」


 フラウスが用向きを尋ねると、微妙な表情だったエイミーも気を取り直して懐から書状を取り出した。

 そこに書かれていたのは、賢者スミスの発案によるアン王女国外脱出作戦の概要だ。


「ミッションコード『籠の鳥は飛び出した』だって」

『…………』


 微妙なネーミングに感想が言えないアンとフラウス。だがネーミングはともかく、作戦案自体は十分な説得力を感じさせるものだった。


 治世が上手く行っていないとはいえ、人事権を度々行使して自らに追従する者で重臣を固めているサン・ジハール国王ラットムに対し、アンが正面切って抵抗するのは利口でない。


 まして、アンが知りたいと願う勇者トウヤについて、国としては明らかされたくない話がいくつもある様子。その勇者トウヤの功績を調べたいと言っても、アンが了承を得られる事は無いだろう。

 さらにアンには、国王が強引に進める騎士団長との婚約の件もあり、じっくり構える時間は無い。


『ならばどうするか?』

 一息つける時間を作る。


『国内ではどこにいても難しい?』

 ならば国外へ。


『国外のどこへ?』

 近隣の強国。歴史あるサン・ジハール王国に圧力をかける事が可能な、ワイマール大公国へ。


『どうやって?』

 ワイマール大公妃は、アンの姉でありサン・ジハール王国第一王女であったセーラだ。大公夫妻には長男が誕生しているが、アンは嫁いだ後の姉にも甥っ子にも会っていない。それを理由に使う。


 既に魔王軍の脅威は去り、両国の行き来にその点からの支障は無い。そして大公国と王国の力関係、セーラが大公国に嫁ぐ事になった経緯、セーラと父である国王ラットムの関係性から、大公国がアンの来訪を求めれば王国は断れない。


 そもそもアンは以前から、姉に会う事を希望していた。許可が出なかったのは国王ラットムの意向だ。

 一先ず大公国へ行って時間を稼ぎ、国王の横槍が入らない状況で先の事を考えればいい。


「まあ、スミスおじいちゃんの考えはそんな感じみたい。だから王女様は、言うべき時が来たら『お姉ちゃんと甥っ子に会いたい!』ってはっきり言って欲しいの」

「わかりました……それにしても、昨晩の今日でこんな事を考えつくなんて」

「えへへ、おじいちゃんは凄いんだよ」


 エイミーはカップの紅茶を飲み干し、焼き菓子を二枚包んで懐に入れると席を立った。


「もう戻られるのですか?」

「うん。今は王女様が上手くお城を出るのが最優先だから。お城を出たら、たっくさんお話出来るしね」

「はい、楽しみにしていますね」


 心得たようにフラウスが部屋の扉を開けに行く。

 エイミーは部屋を出る前に振り返った。アンに向かって小さく手を振ると、来た時と同じように姿を消すのだった。


 イタズラっ子のような笑顔と、一時の別れの言葉を残して。






「また来るね、王女様。にゃーん♪」

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