閑話三 近衛騎士の馴れ初め

 騎士学校時代のトーンとステフは、初めは接点が無かった。


 トーンは入学早々、後に騎士団長となる一学年先輩のヴァンサーンのグループに目をつけられていた。


 ヴァンサーンの実家であるレオニス侯爵家は代々王国騎士を輩出し、中には騎士団の要職を務める者もいる家柄。騎士学校にも大きな影響力を持っており、教師も生徒も、ヴァンサーンに睨まれたトーンを腫れ物を触るように扱っていた。


 片やステフは両親の反対を押し切り、憧れの女性騎士を目指して騎士学校の門を叩いていた。


 決して不真面目な生徒では無かったが、実力の不足は如何ともし難かった。学校では数少ない女子にして下級貴族という事もあり、他の貴族の子弟から侮られたり、下品な言葉をかけられたり。時には無体を働こうとする者さえいた。


 ステフはそれでも、必死に鍛錬を続けた。授業や稽古が終われば友人の誘いも断り、一人で汗を流した。だがその努力が実を結ぶ事はなく、ままならない現実は少しずつステフの精神を削っていった。心が折れそうだった。


 ある日ステフが修練場で剣を振っていると、騒がしい物音が近づいてきた。ステフは慌てて物陰に隠れ、様子を窺った。


 やってきたのは男子生徒のグループだった。王様のように振る舞っているのは、上級生のヴァンサーンという侯爵家の子弟だ。

 そのヴァンサーンと対峙している男子生徒は、ステフの同級生であった。寡黙で、教室でも孤立している少年。ステフは彼の事を覚えていた。


 ヴァンサーンは少年に何かを言っていたが、いきなり練習用の木剣で打ちかかった。少年は防戦一方。周囲が囃し立てる中、ひたすらヴァンサーンの攻撃を受け続ける。


 ステフの目には、ただの私刑にしか見えなかった。それは延々と続き、少年が三度地面に膝をついた所で漸く終わった。肩で息をするヴァンサーンが何かを言い捨て、仲間と共に修練場を出ていく。少年はそれを見届けると、ふらつきながら立ち上がった。




 怪我だらけの少年は重い足取りで修練場を出て、旧校舎裏へ向かった。ステフも少年を追いかける。それは少年の手当てをする為であったが、単純に少年に興味を持ったからでもあった。


 人気の無い場所まで来て、少年は振り返った。尾行した形のステフも、ピタリと立ち止まる。


「どうした? この辺はたまにガラの悪い連中が来るから、本校舎に戻った方がいいよ」

「あ。ご、ごめんなさい。あの、修練場で見てて。怪我してるから、その」


 何となくしどろもどろになるステフ。少年は微笑んだ。


「そっか、ありがとう。でも大丈夫。これから稽古だから」

「えっ!?」


 目を丸くするステフに見せるように、少年は強く木剣を振る。身体のどこかが痛むのか、歯を食いしばっている。


「実戦で負傷したままなんて事、いくらでもあるだろ? そんな時も剣を思い通りに操れないとね」


 少年は手当てもせずに型の稽古を始めた。剣を振りながらステフに話しかける。


「オレはトーン。さっきも言ったけど本校舎に戻った方がいいよ。女の子が一人でここに来るのはよくない」

「う、うん……」


 返事をしながらもステフはその場から動かない。いや、動けなくなっていた。トーンと名乗った少年の動きが、ステフの心を捉えて離さなかった。


 肌の露出した部分は腫れ上がり、大量の汗が流れている。ヴァンサーンに打たれた所は酷く痛んでいるはずなのに、トーンの流れるような動きの型は美しかった。結局ステフはその場を動く事なく、最後までトーンの稽古を見続けた。


「……ふう。っ!」

「あっ!」


 よろめいたトーンにステフが駆け寄る。問題ないとアピールするトーンを無視して、ステフは手当てを始めた。苦笑しながらもトーンは礼を言った。


「有難う……君の名前は?」

「あっ。ステフって言います、トーン君」

「オレの事は呼び捨てでいいよ。とりあえず本校舎に戻ろう」




 少し前を歩くトーンに、ステフが話しかける。


「……トーンは、いつもああやって虐められてるの?」

「ん? ああ。いつもって事は無いよ」

「そうなんだ。……強いんだね」


 ステフの言葉を、トーンは肯定も否定もしなかった。二人はいつの間にか本校舎の中庭まで来ていた。トーンは立ち止まりステフの顔をじっと見ていたが、おもむろに口を開いた。


「オレは少し休んでから寮に行くよ。手当てしてくれてありがとう、ステフ」

「うん……」


 トーンは近くのベンチに腰掛けた。ステフは立ち去り難い気持ちでトーンを見つめていたが、ある事に気づいた。

 彼が座っているベンチはそれほど大きくない。そのベンチにトーンは片側を空けて座っていたのだった。ステフが座る為のスペースのようにも見える。


 ――気を遣ってくれてるの、かな。


 ステフは少し迷った末、意を決してトーンに尋ねた。


「と、隣に座っても……いい、かな?」

「もちろん」


 ステフはホッとしながらトーンの隣に腰を下ろした。

 俯いたまま、無言の時間が流れる。


「苦しいの? ステフ」

「!?」


 不意に聞こえた言葉に、ステフは動揺した。頭を上げて横を見ると、トーンが心配そうな顔でこちらを見ていた。


 生傷だらけの少年が、自分自身の事より私の事を気遣ってくれている。そう思ったら、ステフの目に涙が溢れてきた。ずっと気を張って抑えていた感情を止められなくなった。


 トーンは黙ってステフの手を握り、ステフが泣き止むのを待っていた。


 暫くして落ち着くと、ステフは急に恥ずかしくなって再び俯いた。それでも黙って手を握ってくれるトーンに礼を言うと、自身の事を話し始めた。


 実の母は亡くなっていて、父の後妻に辛く当たられて実家にステフの居場所は無い事。


 生前の母が話してくれた、おとぎ話の女騎士に憧れたのが数少ない実母との思い出である事。


 父の温情で騎士学校に入れたが、後妻はステフを他家に嫁がせようとしている事。


 入学以来勉学や稽古に懸命に励んできたものの、力不足を痛感するばかりな事。


 一部の男子生徒の干渉や中傷が陰湿で、耐えきれなくなっている事。


 教官から今のままの成績では、学校に残るのは難しいと告げられた事。


「ステフはずっと、一人で頑張ってきたんだね」

「…………」


 トーンの言葉に、ステフは鼻をすすって頷いた。優しげな声が、ステフの心に染みるように入ってくる。


「ステフは十分に頑張ったと思う。もしも違う道へ進んでも、オレは応援するよ。――でも、諦められるの? 憧れなんだろう? 騎士が」

「っ!?」


 再びステフは動揺した。顔を上げると、トーンが先程と同じようにステフを見つめていた。一度引いた熱いものが、またステフの目にこみ上げてきた。


「諦めたく……諦めたくないよ! トーン!」


 トーンは涙でクシャクシャになりながら思いを叫んだステフの髪を撫で、微笑んだ。


「じゃあさ。もう少しだけ、頑張ってみようよ。一緒にさ」

「一緒に?」

「一緒に。絶対にとは言えないけど。きっと何とかなるよ。二人なら」


 トーンの微笑みがまた涙で滲んできて、ステフは懸命に目元を拭った。




 ◆◆◆◆◆




「……それで何とか、退学の危機を脱しまして。トーン先生のおかげで成績も平均以上になって、卒業時に騎士に推薦してもらえて、今に至ります」

『は〜』




 ステフの話が終わると、馬車の中の女性陣が羨望のため息をついた。

 侍女のパティは胸の前で両手を組み、妄想の世界に飛んでしまっている。


「何て尊いんでしょう……」

「あははは……」


 乾いた笑いを返しながら、ステフは少し後悔していた。秘蔵ネタを公開し過ぎて、他の女性達のトーンに対する好感度を上げすぎてしまった感は否めない。


 トーンを信じていても心配なものは心配だし、自分から不安要素をバラまくのは論外である。

 そんなステフの気持ちを察したのか、リリィがフォローを入れる。


「ステフ様、心配無用です。あのトーン様が他の女性に靡く所など想像出来ませんし。これだけ鼻血もののエピソードを聞いてから、トーン様に手を出そうと思う女性もおりませんよ」

「そうですよ、ステフ。でも私達は、まだ大事な話を聞いていません」


 興奮気味のアンが、前のめりになってステフに詰め寄る。


「今まで聞いたのは、二人が親しくなるきっかけ。私が聞きたいのは、ステフとトーンが恋人同士になったエピソードです!」

『おお〜!』

「うう……」


 ステフも恥ずかしいので言わずに済まそうとしていたのだが、流石に甘かったようだ。期待を込めた視線が、ステフに集まる。


「そ、それはですね……私が不良生徒に絡まれた事件がありまして。トーンが助けに来てくれて――」

『何ですとっ!!』


 アンと侍女二人、そしてエイミーの声が重なる。物凄い食いつきに引きながら、ステフはさもありなんと思った。自分が聞く立場でも、そこは食いついたに違いないのだ。


「どうしてそんな大事な話を隠していたのですか!? そこが一番肝心な所ではありませんか、ステフ!?」

「トーン様が王子様、ステフ様はお姫様……尊い」

「あははは……」


 アンは興奮しているし、パティは妄想の世界に入り込んでいる。乾いた笑いを漏らすステフも、その気持ちは良くわかった。


 確かにあの時のトーンは、いつにも増して格好良かった。トーンが白馬の王子様のように見えたものだ。


 ――今だって格好良いけどね。


 ニマニマ笑うステフに、エイミーが豪速球を投げ込む。


「お姉さんお姉さん。それで、恋人同士になる時の告白はどっちがしたの? 何て言ったの?」

「エイミーさんそれ大事です!」

「イエーイ!!」


 アンとエイミーがハイタッチをし、リリィとパティが獲物を狙う猛禽類のような視線をステフに向けた。

 居たたまれなくなったステフは顔を逸らし、窓の外を見る。


「そろそろトーン隊長が戻る頃かと――うわっ!?」


 そこには、不思議そうな顔で馬車を覗き込むトーンがいた。車中の女性達が硬直する。


「……何か、ありましたか?」

「何も! 何も無いです! 無いですね姫様!?」

「はい無いです! 何もありません!」

「はあ……」


 怪訝そうな表情を引っ込め、トーンは帰還と現状の報告をした。馬車から離れる前に、チラリとステフを見る。


 ――何やってんのステフ?

 ――な、何でもないよ!?


 無言のやり取りの後、解せないような顔をしてトーンは離れていった。馬車の中の女性陣が安堵の息を吐く。


 その中でもステフだけは、話題が逸れた事で安堵していた。例えアンが相手でも、告白の言葉だけは教えたくなかったからだ。


 それは自分だけの宝物。


 騎士学校時代。不良生徒から助けてくれた時のトーンの言葉を、ステフは思い起こす。




『ステフは危なっかしいね。必ず守るから、俺の傍にいて』




 その一言で、ステフの居場所が決まった。そこにいる為に、ステフはあらゆる努力を惜しまない。ステフにとってそうするだけの価値が、その場所にはあるのだ。


 ステフは盛り上がる女性達をよそに馬車の外を見る。ブレーメと話していたトーンと視線が合うと、ステフは満面の笑みで小さく手を振るのだった。

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