第百五十六話 商工会の副会頭
突如コンコンと、個室の扉が外から叩かれた。レストランの従業員がゲストの到着を告げる。
「大変遅くなりました。歓談中に失礼致します」
小太りの中年男性が入室する。急いでやって来たのか、男性は額に汗を浮かべていた。
「ダ・シルバ副会頭、お久し振りです」
「スミス様、ご無沙汰しております」
腰の低い男性を、スミスが立ち上がって迎える。二人はガッチリと握手を交わした。
「レナ様……は大分雰囲気が変わりましたか」
「今が本来のあたしですよ。もう『聖女』ではありませんから」
ダ・シルバが目を丸くし、レナは苦笑しながら手を取る。
勇者パーティー当時のレナは、ゆったりした神官服に化粧も最低限、髪を後ろで一纏めにしただけ。そんな『聖女』の姿しか知らなければ、ダ・シルバの反応は無理もない。
「チェルシーはどうしたのかな?」
「いえ、あの。ちょっと感激してしまいまして」
話を向けられたチェルシーが、慌てて涙を拭う。
着席したダ・シルバにスミスが仲間達を紹介し、一行は改めて酒杯を合わせた。
「人としても商売人としても、良いご縁は得難いものです。チェルシー、大事になさい」
「はい」
言いながら杯を呷るダ・シルバに、チェルシーが頷く。
元々アイルトンの商会で働いていたチェルシーは、ファラの供をして商工会に行く機会があった。そこでダ・シルバとの面識が出来て、ヴィオラ商会設立後も何かと相談に乗って貰っているのだという。
「ファラもチェルシーも礼儀正しく、努力家です。何よりヴィオラ商会は、我がアイルトン商工会のビジター会員ですからね。若い商人への助力は惜しみませんよ」
ヴィオラ商会は、本店を構えるシルファリオの商工会の正会員である。だが『通商都市』アイルトンの商工会にも年会費を払い、ビジター会員として加盟していた。
それにより限定的ながら、都市国家連合最大の商工会からサービスやサポートを受ける事が可能になる。ヴィオラ商会にビジター会員になる事を勧めたのは、ダ・シルバであった。
「実は私は、二人を高く買っていましてね。彼女達がアイルトンを離れたと聞いて、私の商会に迎えようと声をかけた事もあったんです。フラレてしまいましたが」
「えっ」
ネーナが驚きの声をあげた。
『通商都市』アイルトンの商工会副会頭であるダ・シルバの商会が、ヴィオラ商会より小さいという事は無いだろう。
素人のネーナが見ても、ヴィオラ商会をあっという間に軌道に乗せたファラとチェルシーが、優れた商人であり経営者なのはわかる。そんな二人が、ダ・シルバの誘いを断っていた。
ヴィオラ商会やネーナ達に義理を立てたのか。そんなネーナの思いを察したのか、チェルシーは静かに頭を振った。
「オーナー。私もお嬢様も、他の従業員達も。私達にヴィオラ商会という居場所を与えて頂いた事を、オーナーや皆様に心から感謝しているんですよ」
ファラとチェルシー、そしてユノとダン。アイルトンを離れた四人は、ヴィオラ商会で再び共に働ける事になった。新たな仲間達とも出逢えた。
「オーナーのお陰で、ローザは母親を失わずに済みました。プリムは孤独な贖罪と育児の日々に押し潰されずに済みました。マリアとルチアとセシリアは、三人だけで夫の帰りを待ち続ける不安から解放されました」
引退した冒険者を中心に、従業員は今も増えているという。
チェルシーもファラも、これまで懸命に働いてきた。必死に成果を追い、上げられるだけの利益を上げることが仕事だと考えていた。自分達の仕事が誰かを幸せに出来る、自分自身をも幸せに出来るとは思ってもみなかった。
チェルシーは正直な所、ネーナが経営理念を決めた時、実現出来るか半信半疑だったのである。
「でもローザは私達と働くようになり、輝くような笑顔を見せてくれるようになりました。悲愴だったプリムの表情も柔らかくなりました。この喜びを知ったら、ヴィオラ商会を辞める事なんて考えられませんよ」
「チェルシーさん……」
チェルシーが本心で言っていると理解し、ネーナは安堵していた。ダ・シルバが杯を掲げる。
「素晴らしい。私も従業員にそこまで言わせるような商会にしたいものです」
強力なライバルが誕生してしまったようだ、とダ・シルバが悪戯っぽく笑い、杯を飲み干した。
「今日は良き日です。チェルシーが【菫の庭園】の皆様を商工会にお連れしたと聞いて、年甲斐もなくワクワクしましてね。午後は仕事が手に付きませんでしたよ」
商工会の副会頭という立場上、多忙であろう事はネーナにも察しがつく。この会食に駆けつける為に、ダ・シルバはスケジュールを詰めたに違いなかった。
「皆様のご活躍は聞き及んでおります。王侯貴族の方々から士官のお誘いもあるとか」
「流石はダ・シルバ殿、お耳が早いですね」
「商人にとって、情報の早さと精度は生命線ですからね。それでもやはり、伝聞ではわからぬ事もあります」
ダ・シルバはそう言って、オルトを見た。
「『
オルトが苦笑する。
ダ・シルバの物言いは、決してオルトを見下すものではない。伝え聞いた情報に自らの耳目で得た情報を合わせ、正確に対象者を見定めようとしていた。
「彼はどちらかと言えば、物静かな青年ですよ。ですが必要ならば、Sランク冒険者や聖堂騎士が腰を引く程の気迫を見せる事もあります。ダ・シルバ殿の情報は半分正解といった所ですね」
「成程、成程」
スミスの解説に、ダ・シルバは納得したように何度も頷いた。
「『人中に五剣あり』と言われましてね。今やオルト様は、五指に数えられる剣士だと専らの噂なのですよ」
「はあ」
気の抜けた返事をするオルトを、仲間達が笑う。オルトとしては、他人の評価などどうでもいいのである。だが、どうでも良くない者達もいた。
ネーナとエイミーが、ダ・シルバに掴みかからんぼかりの勢いで問い質す。
「ダ・シルバ様。五剣の他の四名は、どのような方なのですか?」
「お兄さんが一番に決まってるよ!」
「はっはっは」
失礼が無いかとハラハラするオルトをよそに、ダ・シルバはさも愉快そうに笑った。
ここ数年は『剣聖』マルセロ、『勇者』トウヤ、『戦鬼』バラカス、『剣の使徒』ファルカオ、『剣客』ムラクモの五人の名が挙がっていたという。ファルカオは聖堂騎士、ムラクモは個人Sランク冒険者である。
だがトウヤは死に、バラカスは衰えたと評価された。
「現在ではその二人に代わり、オルト様とアルテナ帝国の『
『む〜……』
「二人とも、ダ・シルバ殿を困らせるんじゃない」
不満そうに唸るネーナとエイミーを、オルトが宥める。
「ムラクモって、前に本部でオルトにちょっかい出してきた奴でしょ? あの時返り討ちに遭ってから引きこもってるんじゃなかった?」
「それ、私も見たかったな。あの男、普段から何かとマヌエルを見下すような事言ってたから」
レナとテルミナも参戦して、オルトがお手上げとばかりに両手を上げた。
「誰が強いかなんて、どこの誰が美人だって話と同じで――」
「お兄様もそのようなお話をするのですか?」
「美人って誰の事!?」
「あたしも聞きたいな〜」
藪から蛇を出してしまったオルトに、三人が詰め寄る。仲間達から笑いが起きた。
「所で、チェルシーは明日の面会だったね。用件は海産物の仕入れの件かな?」
ダ・シルバに水を向けられ、ボンヤリしていたチェルシーがハッと我に返る。
「あ、はい。品薄の上に例年より高値がついてしまって、副会頭のお知恵を拝借出来ないかと思いまして」
「価格は当分落ちないだろう。品は私の方から少し融通出来るよ。それで良ければ、後で必要な量を教えてくれるかな」
「有難うございます」
二人のやり取りを聞いていたスミスが不漁なのかと尋ねるが、ダ・シルバは肩を竦めて頭を振った。
「都市国家連合は内陸ですから、海産物は貴重品です。基本的には陸路で運ばなければならないのですが、交易路が……」
「野盗や山賊の類ですか」
「ええ。各国とも対応に苦慮しているようです」
交易路に出没する野盗の正体はハッキリしている。対魔族の戦線に投入されていた兵士、傭兵、冒険者といった戦闘職達である。
その多くは戦時中だからこそ兵士として働く事が出来たが、所謂ろくでなし、鼻つまみ者と呼ばれる輩だ。戦いが終わっても社会生活に復帰出来ず、流されて犯罪に手を染めるようになる。
「腕っぷしが強く、実戦経験もある。何と言っても、戦いに明け暮れた日々を生き延びた連中だ。徒党を組まれたら、正規軍でも簡単には制圧出来ない」
「オルト様の仰る通りです。嘆かわしい事に、一部の商人や権力者がその野盗と結びつき、商品価格を釣り上げようとしているとも言われているのです」
「そんな事が……」
ネーナは絶句した。
面倒な事に、野盗達のスタンスは一律ではない。積荷の一部を要求する代わりに、危険度の高い区間の安全を保証する押しかけ用心棒のような者もいれば、何もかも奪い去る獣のような者もいる。
与し易いからと適当に潰していけば、残党が凶悪で戦闘力の高い集団に合流してしまうのである。
間が悪いというべきか、こういう時期に乗じてというべきか。地域全体の治安が悪化し、流通にも影響が出ているのだとチェルシーが説明する。
「例えば都市国家連合域内でも、このアイルトンやピックス、リベルタの様に軍備の充実した都市と、そうでない都市の治安に差が出ているのが現状です」
盗賊ギルドが盤石な『暗黒都市』ハイネッサよりも、政治的に混乱が続いている『深緑都市』ドリアノンの方が危険というのは皮肉としか言い様がない。
「ドリアノン近郊を中心に、行方不明者の届けが複数出ています。【菫の庭園】の皆様に心配は無用でしょうが、今がそのような時期である事にはご留意下さい」
「ダ・シルバ殿のご忠告、肝に銘じます」
頭を下げるスミスの前に、ダ・シルバがスッと何かの書付けを差し出した。スミスは顔を上げ、パチンと指を鳴らす。
ネーナは室内に結界が展開されたのを感じ取った。
「これで外に声が漏れる事はありません」
「お手数をおかけしました、スミス様」
ダ・シルバがネーナに視線を向ける。
「サン・ジハール王国の情報をお伝えしておこうと思いまして。商人仲間からの、最新の国内情勢です」
ダ・シルバは自分の素性を知った上で、話を聞くかどうか問うて来ているのだとネーナは確信した。
オルトは軽く頷いてみせた。自分で決めていい、そう判断し、ネーナは答えた。
「お聞かせ、頂けますか」
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