第百五十五話 お二人にも、幸せになって欲しいです

【菫の庭園】一行が『鉱山都市』ピックスの次に立ち寄ったのは、『通商都市』アイルトンであった。


 都市国家連合の流通と商取引の拠点らしく、肌の色はおろか種族も違う人々が忙しなく行き交い、往来は活気に溢れている。


 服装も建物も統一感が無く、様々な文化圏から来た者が都市を構成しているのがネーナにも見て取れた。


「この町の商工会には、勇者パーティーを経済的に支援して頂きましてね。当時窓口になった副会頭に挨拶をしたいのですよ」

「ダ・シルバとかいう人だっけ?」

「ええ」


 元勇者パーティーのスミスとレナは、以前にアイルトンを訪れていた。エイミーはまだ加入していない時期である。


 オルトもこの町は初めてではない。暴行され、心身共に傷ついたファラの帰郷に付き添った事があった。


 そんなファラに対する元家族、元婚約者の振る舞いは不快の一言に尽きた。オルトにとっては全く良い思い出の無い町だったが、それをあえて口に出す事は無かった。


 面白そうにキョロキョロと周囲を見回していたエイミーが、突然前方を指さして素っ頓狂な声を上げる。


「あれぇ、チェルシーお姉さんがいるよ?」

「本当です!」


 ネーナにも、どこかに向かっている様子のチェルシーの姿を捉えられた。身軽なエイミーが駆け出し、馬車や牛車の間をヒョイヒョイと走り抜けてチェルシーに追いつく。


 エイミーに声をかけられ、ネーナ達の存在に気づいたチェルシーが目を丸くする。


「オーナー、皆さんもアイルトンに来られていたのですね」


 お辞儀をするチェルシーは、花束と木の桶を持っていた。ネーナが不思議そうに尋ねる。


「チェルシーさんはお仕事ですか? お一人で?」

「一昨日到着しまして、商談や仕入れ、取引先やお世話になっている方への挨拶回りをしています。今日はお休みで、私用を済ませていました」


 ヴィオラ商会は時折、シルファリオ支部に護衛依頼を出している。それは商会オーナーのネーナも知っていた。同行している冒険者達も、今日はチェルシーに合わせて休みなのだという。


『ヴィオラ商会』のオーナーはネーナだが、実務を取り仕切っているのは代表のファラと、大番頭のチェルシーである。ファラに代わってチェルシーが大きな取引の決裁をする事も多い。


 ファラは従業員の出張は必ず複数で行かせるか、冒険者の護衛をつけるのだとチェルシーは説明した。かつて一人で商談に行き、酷い目に遭った経験を持つファラは、従業員の安全確保に妥協が無かった。


 チェルシーは元々アイルトンに住んでいた事もあり、町中では単独で動く。護衛は宿に預けた荷馬車と積荷の管理をしていて、毎日一度、点呼も兼ねて顔を合わせる以外は自由時間である。


「取引先にゾロゾロ護衛の方を連れてはいけませんし、少し力仕事をお願いする以外は、シルファリオとの往復に同行して貰うだけですね」


 オルトがチェルシーの木の桶を持ち、ネーナは花束を預かる。恐縮するチェルシーを促し、一行は歩き出した。


「アイルトンへはお嬢様――ファラ代表ではなく、私が来るようにしているんです」


 ファラは嫌な思い出に加えて、この町には会いたくない顔もある。ずっと苦しんで来たファラには穏やかに過ごして欲しい。それはチェルシーだけでなく、他の従業員達の思いでもあった。


「それと、私はこちらに夫の墓がありまして。それもアイルトンへの出張が私である理由です」

「えっ」


 左手の薬指に輝く指輪で、チェルシーが既婚なのはわかっていた。彼女が単身でシルファリオに来た事情について、誰も踏み込んで尋ねはしなかったが、夫が亡くなっていたというのは、ネーナは勿論仲間達も初耳であった。


 墓参の為に休みを取るならば、出張と休みを合わせてはどうか。ファラの方からそう提案があり、チェルシーは気遣いを有難く受け取ったのである。


 チェルシーが一本の路地を前にして立ち止まる。


「墓地はこの先なのですが、後でお時間が合うようでしたら、お食事をご一緒しませんか?」

『ん?』

「え?」


 チェルシーの誘いに、ネーナ達が顔を見合わせる。それを見たチェルシーは、自分が何かおかしな事を言ったかと首を傾げた。


「ここは普通に、あたしらも墓参りに行く流れよね?」

「ええっ!?」


 レナの言葉に仲間達が同意する。常に冷静な印象のチェルシーが、珍しく驚きを露わにした。




 ◆◆◆◆◆




「皆、飲み物持った?」


 自分の顔程もある大きさの木製ジョッキを持ち上げ、レナが仲間達を見回す。


 一行はチェルシーが予約したレストランの個室に集まっていた。テーブルの上は、料理の皿で埋め尽くされている。


「じゃあ、チェルシーの旦那さんへの献杯と、あたしら【菫の庭園】のAランク昇格の乾杯と、その他諸々引っくるめて――」


 献杯も兼ねている為に掛け声は無く、杯を合わせる音も無い。静かに食事会が始まった。


「急に大勢で押しかけて済まなかったな」


 オルトが詫びると、チェルシーは慌てて両手を振った。


「驚きましたけど、嬉しかったですよ。夫は賑やかなのが好きな人でしたから」

「チェルシーさんはお休みなのに、宿やレストランも案内させてしまって……」


 ネーナが申し訳無さそうな顔をした。


 墓参りが済むと、チェルシーは【菫の庭園】一行を引き連れて宿を決め、冒険者ギルド支部に案内し、アイルトンの商工会を訪ねてアポイントを取った。あまりの手際の良さに、オルト達が二日がかりでやろうとした事は全て、半日程で終わってしまっていた。


 アイルトン支部の受付を訪れたネーナ達は、本部からの通達で【菫の庭園】のパーティーランクがAになった事を知らされた。


【菫の庭園】があれこれ理由をつけて呼び出しを断り、さっさと旅に出てしまった為に、本部も諦めて支部での昇格手続きを認めたのである。それを聞いたチェルシーがお祝いをしようと個室を予約したのだった。


「何を言ってるんですか、オーナー? 【菫の庭園】の皆さんと一緒に食事をしたら、他の人に自慢が出来るんですよ? 夫のお墓参りのお礼もありますし」


 チェルシーは笑って応えた。


「皆さんに一緒に見舞って頂いて、夫は安心したと思います。私も夫も身寄りが無くて、彼は『僕は君より先に死ねない』と口癖のように言っていましたから」


 しんみりした空気を振り払うように、レナが思いつきを口にする。


「旦那のお墓が遠いのは寂しいよね。いっその事、アイルトン駐在にして貰えばいいんじゃない?」


『通商都市』アイルトンには多くの商会や商店が拠点を置いている。順調に業績を伸ばしているヴィオラ商会もアイルトンに足を運ぶ機会が多く、事務所を設置するメリットは少なからずある。


 だがチェルシーは、レナの思いつきをキッパリと否定した。


「私はファラお嬢様をお傍でお支えしたいですし、アイルトンという町も好きではないんです」

『…………』


 言い終えたチェルシーは、気まずそうな顔をした。いつになく厳しいチェルシーの口調にネーナ達が驚き、場が静まり返っていたのである。


 チェルシーは俯き、溜息をつく。その表情は、ネーナ達がこれまで見た事の無いものであった。


「……夫の墓を立ててくれたのは、ファラお嬢様なんです――」




 チェルシーとその夫ウェールズは、ファラの実家の商会の従業員として出会った。優しく、明るい性格のウェールズにチェルシーが惚れ込み、二人は恋人になった。


 住み込みの奉公人であった二人は必死に働き、一人前と認められるとすぐに所帯を持った。魔族との戦いが本格化し、勤め先の商会も業績は右肩下がり。先行きの不安はあったが、お互いに支え合い、仲睦まじく暮らしていた。


 だが二人の幸せな生活は、長くは続かなかった。


 都市国家連合域内にも対魔族の戦線が拡大した事で、物流が止まってしまったのである。チェルシーが働く商会の経営は一気に苦しくなった。


 資金力に物を言わせて傭兵を雇ったアイルトンは戦線から離れている事もあり、然程危険は無かったが商売どころではない。


 商会の代表を務めていたファラの父はプライドが高く、経営者としての資質にも大きく欠けていた。商会は時流に乗り損ねて顧客が離れ、前二代で積み上げた資産を食い潰した。ファラの父は打開策を打ち出す事も現状維持も出来ず、従業員を怒鳴るばかりであった。


 あろうことかファラの父は、危険を鑑みて他の商会が控えていた仕入れを画策した。どの商会も動かない中で独占的な商取引を行えば、大きな利益が見込めるのは誰でもわかる。ファラの父は負け分を一気に取り返そうとしたのである。


 だが戦いが激しさを増す中、行った者が無事に帰って来れる保証は皆無。リスクが大き過ぎる事は誰が見ても明らかだった。嫌がる従業員達に対しファラの父は、行かないのなら解雇して転職も邪魔をすると恫喝した。


 見かねたウェールズは、自分が行くと名乗りを上げた。チェルシーは勿論、同僚達が止めるのも振り切りウェールズは荷馬車を出したのだった。


 そしてウェールズは、帰らぬ人となった。




「……旦那様は、まだ封鎖されていない街道の最短距離で戻るよう、夫に命じました。夫はドリアノンから押し寄せて来た魔族に殺されたのだそうです」


 後二日早ければ、間に合ったかもしれなかった。チェルシーのその呟きを聞いたレナとスミスは、沈痛な表情になった。


「ドリアノン陥落、ですか……」


 チェルシーは黙って頷き、スミスの問いを肯定した。




 悲報に接し呆然とするチェルシーの前で、ファラの父は商品を持ち帰る事なく死んだウェールズを激しく罵った。


 更にチェルシーに対して、『夫が出した損失を身体を売って補填しろ、そうでなければ自分の妾になれ』と言った。ファラの父は、妻に内緒で何人かの女性従業員を囲っていた。チェルシーもそこに加われと迫ったのである。


 チェルシーを救ったのはファラであった。偶々チェルシー達のやり取りを聞いたファラは憤慨し、かねてから準備していたクーデターを前倒しして決行し、ファラの父を追い落として自ら代表に就いた。


 ファラは父に代わってチェルシーに謝罪し、賠償と葬儀費用の一切を商会で持った。




「……お嬢様が代表になった事で、商会は一時的に持ち直しました。ですが準備不足で体制変更を行った為に、お嬢様のやり方に不満を持つ者達が結託し、巻き返しを許してしまったのです」


 更にファラが巻き込まれた、あの忌まわしい事件に繋がっていく。ネーナはここまで話を聞き、チェルシーがファラに尽くす理由を漸く理解したのだった。


「チェルシーさんは、ファラさんが妹さんから婚約者を奪った事はご存知なのですか?」

「はい。お嬢様はその事もお話になったのですね」


 チェルシーは取り繕う事なく首肯した。


 勿論、最初はファラを止めようとした。だがファラの婚約者に対する想いや、ファラに対する家族の仕打ちを知っていれば止められるものではなかった。そもそも、ファラの家族が先にファラから婚約者を取り上げたのである。


 何よりチェルシー自身が、ファラの父に強い恨みがあった。チェルシーは迷う事なくファラに協力していた。


「……申し訳ありません、オーナー、皆さん。私はこのような醜い人間なんです」


 懺悔するかのようなチェルシーに対し、ネーナは頭を振った。ネーナは元より、チェルシーを責める気持ちなど無かった。


「私はチェルシーさんやファラさんが苦しんでいる間も何も知らず、レナさんやスミス様、エイミーが苦しみながら戦っている事も知らず、何不自由の無い生活をしていました。そんな私が、お二人に偉そうな事は言えません」


 ネーナはチェルシーの手を取った。チェルシーが顔を上げる。


「でも私は、お二人にヴィオラ商会にいて欲しい。皆を幸せにして、そしてお二人にも幸せになって欲しい。商会の理念を実現して欲しいです」

「オーナー……はい、これからも宜しくお願いします」


 私もお嬢様も幸せ者です。チェルシーはそう言い、ネーナの手を握って涙ぐむのだった。

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