閑話二十七 俺は親父の息子だから
「……ここよ」
ナナリーが立ち止まり、廃材で組んだような小汚い長屋の一室を指し示す。
「有難うございます、ナナリーさん。助かりました」
チェルシーが深々と頭を下げるも、ナナリーは苦い表情で周囲を見回し、眉を顰めた。
「チェルシーさんの依頼で探して、ここまで連れてきたけどさ。あんまり長居するような場所じゃないよ」
そこかしこから、自分達を窺う視線を感じる。それらは決して好意的なものではない。時折、怒声や狂ったような笑い声が聞こえる。
多少は荒事に慣れているナナリーでも、緊張を強いられる。調査の為に初めて足を踏み入れた前回は勿論、今回もパーティーメンバー全員で来ていた。
ナナリーはシルファリオ支部のCランク冒険者。ネーナやエイミーと仲が良く、姉御肌で面倒見の良さから支部の冒険者達に慕われている。
ヴィオラ商会のチェルシーから指名依頼を受け、人探しをしていた。結果的にシルファリオの町で完結した事もあり、聞き込みをして三日程で相手の男に辿り着いた。
シルファリオでは悪い意味で有名だったその男を、ナナリーは知っていた。
急速に発展しているシルファリオは、市街を拡大させつつ街道の反対側の林を切り拓き、馬車の待機場や倉庫街を新設して流通拠点の機能も獲得した。
その奥に、労働者や浮浪者が流れ込む
この貧民街は、厳密に言えばシルファリオの町の外にある。町の人間が近づく事も無い。どんな危険な者が潜んでいるかもわからず、犯罪の温床にもなりかねない。
町への影響も危惧され、対応が協議されている最中。
ナナリーがチェルシーを伴って来たのは、そんな場所であった。
「お届け物と、お伝えする事があるだけです。それが終われば早々に退散します」
チェルシーが苦笑する。商会の業務で各地へ出張する彼女も、無用なトラブルを避けるべきだと考えていた。
「私も一緒に行こうか?」
「いえ、プライバシーに関わる情報もありますから。こちらでお待ち頂けますか?」
ナナリーの申し出を断り、チェルシーが微笑む。
「わかった。何か怪しいと思ったら踏み込むよ」
「お手数おかけします」
肩を竦めるナナリーに、チェルシーは頭を下げた。
「……金は無えぞ」
酷く痩せた男が一人、壁にもたれて座っていた。
狭い室内に窓は無いが、壁や天井に空いた無数の隙間から光が差し込んでいる。
寝床らしい
チェルシーは入口に立ったまま応えた。
「借金取りではありませんよ、ゴードンさん。私はヴィオラ商会のチェルシーと申します。ご子息のレオンさんより言伝と、お届け物を預かって参りました」
レオン、と聞いた男の肩が、ピクリと動く。
許可を取って手紙の封を切り、壁際の男に渡す。チェルシーは再び入口に戻り、便箋の文字に目を落とすゴードンの様子を見守った。
ややあって、ゴードンが口を開いた。
「カリタスってのは、どこにあるんだ」
「アルテナ帝国やワイマール大公国など、数か国の緩衝地帯です。ここからですと、西に馬車を乗り継いで半月程でしょうか」
レオンからの短い文には近況に加えて、結婚を考えている女性がいると書かれていた。
「あいつは……レオンは、元気でやってるのか」
「大分苦労はされたようですが、今はパートナーの方と一緒に暮らしています」
「そうか……」
ゴードンが目を閉じる。
「一つ、お聞きしても宜しいでしょうか?」
「…………」
チェルシーは、沈黙を肯定と受け取った。
「ゴードンさん、失礼ですが貴方の事は調べさせて頂きました」
エイミーが屋敷に乗り込み大暴れした後、町の顔役であったゴードンは、住民達の訴えで多くの不正や脅迫などの悪事が白日の下に晒された。
それらの示談や弁済で財産を失い、町にもいられなくなり、貧民街で日雇いの労働者をしている。僅かな収入は全て代理人に渡し、支給の弁当と作業着で暮らす日々。
だがゴードンは酒浸りになるでもなく、自暴自棄にもならず、底辺の生活で弁済を続けている。その事は酒瓶一つ無い室内を見れば、チェルシーにもわかった。
何故投げ出さないのか。チェルシーにそう問われたゴードンは、暫し沈黙した。
「……投げればレオンに迷惑がかかる。そんな事出来ねえ」
ゴードンが苦笑する。
「意外か? これでも俺は、あいつを可愛がってきたつもりだ。やり方は間違えたかもしれねえがな」
妻に逃げられ、一人息子のレオンが生き甲斐だった。金と力を残してやれば、自分が死んでもレオンは生きていけると思った。
だが、世間に放り出され荒波に揉まれたレオンは、自力で何とかやっているようだった。
「だったら、俺が親父としてあいつにしてやれる事と言えば、迷惑かけんように生きて死ぬだけだろ」
「そうですか」
チェルシーは表情を変えずに頷いた。
「あいつに返事はしねえ。会う気も無え。達者でやれ、嫁さんを大事にしろとだけ伝えてくれ」
手紙には、カリタスに来ないかと書かれていた。大変な事も多いが、シルファリオにいて白い目で見られるよりはいいだろうと。
俺は親父の息子だから、面倒見させてくれ。そう書かれていた。だからこそ、絶対に世話になる訳には行かないと、ゴードンは思った。
いつか、少しでも祝儀を包んで送ってやるつもりだった。
「承知しました。それと、ゴードンさんにまだお伝えしていない事がありまして」
怪訝な顔をするゴードンに、チェルシーが告げる。
「ゴードンさんの弁済は、レオンさんが立て替えて完了しています。不足分は私どものヴィオラ商会が、レオンさんに貸し付けています」
「は?」
ゴードンが間抜けな声をあげた。
「もう一つ。ヴィオラ商会では、『通商都市』アイルトンに事務所を構える予定がありまして。住み込みで建物を管理して頂ける方を探しています。応募してみませんか、ゴードンさん?」
「ちょ、ちょっと待て。俺には商売の事なんてわかんねえぞ」
ゴードンが今度は慌てる。
この誘いは、チェルシーの独断である。カリタスでレオンを見、今ここでゴードンと話して決めた。
仕事柄、多少なりとも人を見る目は養われていると、チェルシーは自負している。ゴードンの生活に少しでも乱れがあるようならば、従業員に誘うつもりは無かった。
シルファリオにはゴードンが傷つけた者達がいる。中にはゴードンが苦しむ事を望む者もいるだろう。それだけの事を、彼はしたのだから。
ただレオンやアイリーンのように、反省をし償いを続ける為に、遠く離れた地でしっかり生きて働くという選択もあるのではないか。チェルシーはそう考えたのであった。
「大事なのは貴方が真摯に生きる気があるか、学ぶ気があるかですよ、ゴードンさん。少しの間、外で連れと待っています。気持ちが決まりましたらお越し下さい」
チェルシーが出ていく。
狭い部屋で一人、ゴードンはレオンからの手紙に再び目を落とす。
ポタリと水滴が落ち、文字が滲んだ。涙を流したのはいつ以来だったかと思い返す。
「心配でしょうがなかったのに、あいつに助けられるなんてなあ……」
ポツリと呟く。脳裏に幼い頃の息子の姿が
こんな自分でも、まだ何かの役に立つのなら。ゴードンは腹を決めた。
◆◆◆◆◆
「冒険者ギルドとアルテナ帝国の交渉は、軍務省情報局と軍研究所による暴走という線を落とし所に行われています」
百人近く入った、冒険者ギルド帝都支部のホールが静まり返る。
職員や所属冒険者の反応は様々だが、ギルド長秘書であるホランの発言が大きな衝撃を与えたのは確かだった。
帝国によるカリタスへの工作活動と軍事行動、取り決めを破った『迷宮都市』での探索活動。『カリタス事変』と呼称される一連の事件の収束を図る為、ギルド長ヒンギスと帝国首脳陣との間で、連日に渡って協議が続けられていた。
「情報局と研究所にはギルドが調査に入っており、帝国首脳陣は強硬な制止をしていません。それをすれば、ギルドの職員や冒険者が死傷した事態に帝国が国ぐるみで関与していると見なされるからです」
帝都支部のメンバーが何人か、息を呑んだ。ミアはそれらの顔をしっかりと頭に叩き込む。
帝国の上層部が関与していない事など有り得ない。それを情報局と研究所だけ狙い撃ちにしたのは、上層部を見逃して大きな貸しを作り、力関係でギルドが上位に立つ為。そして、ギルドにとって有益な情報が、その二箇所にある為だった。
「既にご存知の方も多いでしょうが、帝国軍をカリタスに引き入れようとしたSランクパーティー【
一部で小さなどよめきが起きる。まだ知らなかったと見えるが、冒険者としては致命的な情報の遅さだ。
シュタインの処刑を執行した当人であるオルトは、窓際で腕を組み、目を瞑っていた。
ホランは険しい表情を見せる。
「ギルドとその関係者に危害を加える者、不利益を与える者達を、ギルドは絶対に許しません。鼠は必ず炙り出します。ですが――」
そこで一旦言葉を切り、僅かに表情を緩めた。横で見ていたミアは、上手いなと舌を巻いた。
「事情のある方は相談に乗ります。自ら申し出て、情報提供する方にも考慮します」
情報局に入った調査が進めば、帝都支部に潜り込んだ密偵や軍の協力者は全て明らかになる。自らの責任問題を回避したい帝国上層部がトカゲの尻尾切りに走るのは目に見えていた。
自分が黙っていてもバレる。他の誰かが言ってしまうかもしれない。身に覚えがあれば、首筋に氷の刃を当てられた心地になる筈だ。
ホランがテーブルに置かれた封筒を手に取り、中から書類の束を引き出す。明言せずとも、見た者は密偵のリストだと受け取るだろう。
ギルドか、帝国か。どちらに忠誠を誓うかの踏み絵が行われようとしていた。
「うっ」
仮眠室に入った途端、ミアはよろめいた。
「ミア!」
慌ててイリーナが支え、ベッドに寝かせる。自らは側の椅子に腰を下ろす。
神官のクロスが申し訳無さそうな顔をする。
「すみませんミアさん。僕の力では……」
「謝らないで、クロス。傷が残らなかったのは、貴方のお陰よ」
ミアは頭を振って、クロスの謝罪を遮った。
同じパーティーに神官がいるミアにはわかる。法術で傷を癒やす事は出来ても、失われた血や体力は自然に回復するのを待たねばならないのだ。
『聖女』と呼ばれるレナならば完全回復も可能だが、後に反動が出るという。レナも緊急時以外では滅多に行う事は無い。クロスとて冒険者としてはBランクに評価される神官で、決して未熟な訳ではない。
ミアがパトリック伯の屋敷から救出されて、まだ二日。それ以前の五日間は食事も取らず、拘束されて時には激しい暴行も受けていた。当然、回復には相当な時間がかかる。
パーティーメンバーのガルフとショットは未だ消息が掴めないというのに、自分で探しに行く事も出来ない。ミアは情けない思いで一杯であった。
「クロス!!」
仮眠室の扉が、乱暴に開けられる。飛び込んできたのはモリーだった。
その尋常でない様子に、イリーナが立ち上がる。
「どうしたの?」
「オルトさんが戻ってきたけど、酷い負傷者を連れてて。医務室にいるから!」
クロスが駆け出し、モリーも続く。イリーナの肩を借り、ミアも後を追った。
帝都支部のギルド所属メンバーに対するホランの通知が終わると、オルトは情報局へ調査に向かった筈であった。戻るのが早過ぎると、ミアは思った。
嫌な予感を覚えつつ、医務室に入る。
ミアはベッドに横たわる人物を見て、愕然とした。
「ショット……」
そこには、全身に拷問の痕が残る仲間の姿があった。
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