第百六十一話 帝国勇者計画

「可愛い顔して、おっかねえ嬢ちゃんだな」


 ドリューが肩を竦めて言うと、ネーナは微笑みを返した。


「兄さんは、『深緑都市』ドリアノン周辺で行方不明者が多いって話は知ってるか?」

「それに近い話は聞いた」

「なら、話は早い」


 オルトの返事に満足そうに頷き、ドリューが話を続ける。


 元々都市国家連合域内でも、ドリアノン周辺は行方不明者数の多い地域ではあった。とはいえ他地域と比較すれば、という程度。その行方不明者数が、ある時を境に、目に見えて増えているのである。


 時期的には、【菫の庭園】がシュムレイ公国のヴァレーゼ自治州で『災厄の大蛇グローツラング』の最大拠点を叩いた後から。


 当時は連合加盟の各国が競うように、首領と大幹部が捕縛されて混乱の極みにある『災厄の大蛇』の国内拠点を叩いた。自国の恥部を闇に葬り去る絶好の機会に、各国とも全力で臨んでいた。


「これは公にされていないが、軍の出動を要請したドリアノンは掃討作戦に失敗している。特殊部隊が全滅したそうだ」


 報復として治安隊や軍の幹部、議員への襲撃が相次ぎ、その結果ドリアノン国内の力の天秤は、完全に『災厄の大蛇』に傾いてしまった。行方不明者のさらなる増加は、その後に起きている。


「シュムレイ公国を脱出した幹部の内、『神をも恐れぬ』ミリ・ヴァールがドリアノンに入国したのも確認済みだ。ドリアノンの『災厄の大蛇』の拠点が『研究所ラボ』なのは間違いない」


 ミリ・ヴァールはラボの所長と目され、加虐趣味と研究に強い執着を見せる人物と言われている。首領が捕縛され、他国の拠点が軒並み潰される中で、ドリアノンだけは活動が活発に、かつ強硬になっていたのだ。


「俺達から見ても『災厄の大蛇グローツラング』はイカれてたが、あれでもボスの蛇頭スネークヘッドは、しっかりラボを掌握していたのかもしれんな」


 ドリューは嘆息した。ミリ・ヴァールの二つ名である『神をも恐れぬ』は、タブーも倫理観も介在させない研究者としての姿を評されたものであった。




「――大変だなとは思うけど。何でこの話をあたしらにするの?」


 レナの疑問は、仲間達も同様に感じていたものであった。その言葉を予測していたのか、ドリューは落ち着いて答える。


「ドリアノン軍特殊部隊が全滅した戦いを、俺達盗賊ギルドの諜報員が遠目に見ていた。敵は三人、ないしは四人。全員手練だったが、うち一人は恐ろしく強い剣士だったそうだ」

『!?』


『災厄の大蛇』の、恐ろしく強い剣士。仲間達の間で、一気に緊張感が高まる。対峙した経験の無いテルミナ以外の全員が、同じ男を思い浮かべていた。


 ――『剣聖』マルセロ――


「シュムレイ公国とドリアノン、離れているが有り得ない話ではないな。逃げた幹部が戻っている訳だから」


 オルトが考え込む。だがフェスタは首を傾げた。


「わからないのは、ハイネッサ盗賊ギルドの考えね」

「当然だな」


 その盗賊ギルド幹部、ドリューは気を悪くした風もなく頷く。


 ドリューが伝えた情報によって【菫の庭園】がどう動くか、盗賊ギルドに確証があるとは考えられない。『災厄の大蛇』のラボや『剣聖』マルセロ、【菫の庭園】がどうなっても構わないからこその情報提供。


「あたしらがドリアノンに行っても行かなくてもいい。盗賊ギルドも助力しない、その代わり邪魔もしない。確かによくわかんないね」


 レナが難しい顔のスミスに視線を送る。


「ハイネッサ盗賊ギルドは、見極めたいのでしょう」


 ネーナが盗賊ギルドを見極めようと考えたように、盗賊ギルドも見極めたいと考えている。スミスがそう述べると、ドリューの眉がピクリと動いた。


 ネーナが首を傾げながら尋ねる。


「見極めたい……私達【菫の庭園】を、ですか?」

「それは二番目でしょう。一番は『ラボ』ではないかと。正確には『ラボの戦力』ですかね」


 それを聞いたドリューが、表情を変えずにスッと席を立つ。


「……俺達盗賊ギルドと『災厄の大蛇』は、同じ闇の中で蠢いていても相容れん。それに奴等ラボは、最近増えてる行方不明者を、俺達盗賊ギルドの仕業だと吹聴してる。俺達も鬱陶しくは感じてるのさ」


 俺から言えるのはここまでだ。ドリューはそう告げ、ニヤリと笑った。


「やっぱりおっかねえな、兄さん達は。ボロを出しても拙いから、俺はこの辺で退散させて貰うぜ」




 ドリューが退出してパタン、と扉が閉まり、スミスは執事に断って遮音結界を展開した。


「今のは何だったの?」


 レナがドリューの発言の真意を尋ねる。スミスは少し考えた後で答えた。


「ハイネッサ盗賊ギルドとしては、今すぐとは言わないまでも、『ラボ』と事を構える理由があるのだと伝えたかったのでしょう」


 ラボの母体である『災厄の大蛇』は壊滅状態で、組織としてはもう終わっている。活動範囲はそう被っておらず、急いで叩く必要性は無い。


「『ラボ』が何か、ヤバいものを飼ってるんじゃないかって疑ってる?」

「ドリアノン軍はお世辞にも精強とは言えませんが、それを全滅させたとあれば警戒するでしょうね」


 ただ、とスミスは前置きした。


「藪を突いて出て来るのは、マルセロじゃないかもしれません」

『??』


 仲間達が顔を見合わせる。スミスは懐から書類を取り出し、テーブルの上に置いた。


「これは、リチャードが届けてくれたものです」


『外部持ち出し厳禁』の判が押された、死体検案書。死亡したルーファス達【七面鳥の尾ターキー・テイル】の四名のものである。


 凄惨な現場を思い出したネーナが、形の良い眉を顰める。


「ルーファスには致命傷となった刺し傷の他、手術痕のような深い傷痕がいくつも見られたそうです。同じ場所を何度も切開して縫合した痕跡もあります」


 スミスが検案書の一部分を仲間達に指し示す。そこには、通常の治療と無関係な手術であるとの医師の証言があった。


「元恋人のプリムは、シルファリオを離れる前のルーファスには、そのような傷は無かったと証言しています」


 ルーファスの傷痕はそう新しいものではなく、シルファリオに復帰する前、つまりドリアノンに拠点を置いている間のものという事になる。


 パーティーメンバーでもあった奴隷の双子の片割れは、自爆して身体が四散し検証不能。もう片方は自ら脇腹を裂き、体内に仕込まれた暗器を抜き出してルーファスへの止めと自害に使った。ルーシーの死因は、奴隷の自爆による重度の火傷。


「ルーファスの手術痕、双子の奴隷紋とそれぞれ体内に仕込まれた暗器と、恐らくは爆発する魔道具。それらは『ラボ』によるものと見るのが妥当でしょう」


 ルーファスの遺品にはCランク冒険者程度には手が出ない高額なものや、『災厄の大蛇』の構成員から入手したと見られる品があった。


「少なくともルーファスと双子を合わせた三名は、『災厄の大蛇』と何らかの関係があったのではないかと」

「どういう関係よ……」


 レナが呟く。仲間達の思いを代弁したようなその呟きに、思いがけない答えがあった。




「――帝国、勇者計画」




 それを聞いたスミスとレナの表情が険しくなる。


「テルミナは知っていましたか」

「詳しくはないけれど。サン・ジハール王国の勇者召喚に対する、アルテナ帝国のアンチテーゼだったかしら」


 テルミナの答えに、スミスは重々しく肯いた。




 トウヤの成長と共に少しずつ成果を上げ始めていた勇者パーティーに対抗するように、アルテナ帝国はかねてより行われていた支援魔法の研究をベースにした兵士強化計画を、『帝国勇者計画』として強力に推進する方向へと舵を切った。


 自分達の世界と、そこに生きる者の命運を、異世界からの召喚勇者に託していいのか。アルテナ帝国皇帝の主張は当初、多くの国に受け入れられた。だが期待に反して計画は頓挫した。


 志願者や死刑囚を用いた数多くの実験も、英雄や勇者に迫る強者を生み出す事は出来なかった。力を得た者はその力に肉体が耐え切れず、自我が崩壊して廃人になる者も少なくなかった。


 潜在能力を引き出す為に洗脳や拷問、薬物、魔術による人格破壊と人体改造が行われているとの情報がリークされると、計画は非人道的だと指摘され、批判を受けるようになった。芳しい成果も無かった帝国は計画の凍結を発表し、研究部門は解散した。その筈であった。


「ちょっと待ってよ。それなら話の筋は繋がるけど、何で帝国の極秘の研究がドリアノンで行われてるの?」

「研究者や研究成果が流出した。帝国と『災厄の大蛇』が繋がっていた。考えられる可能性は色々ありますが、それを調べるのは捜査機関の仕事です」


 今大事なのは、『帝国勇者計画』と同様な研究がドリアノンで行われている可能性が高いという事だ。スミスがそう告げると、レナは口を噤んだ。


「『災厄の大蛇』の拠点があり、マルセロがいるかもしれない。それだけで俺達がドリアノンに行くには十分な理由だが、『帝国勇者計画』の方は確かなのか?」


 話をずっと聞いていたオルトが、スミスに尋ねる。


「ルーファス達の死体検案書と、ルーファスを知る冒険者達の証言。そこにドリアノンという場所と『ラボ』の存在が加われば、強く疑わない訳にはいきません」


 恋人から受けた手酷い裏切り、故郷を離れて生活する苦労。それらを考慮しても、シルファリオに戻ったルーファスの変わりようは、知人達が絶句する程であった。


 会話は噛み合わず、パーティーメンバー以外と積極的に交流する事もない。時には急に怒り出したり、興味を失ったように黙り込む事もあったという。かつての純朴な青年の面影はどこにも無く、別人になったと言っても差し支えない。


 Cランク戦士であったルーファスは、ドリアノンではBランク昇格も視野に入っていた。ギルド支部でトラブルを起こし昇格は流れ、逃げるように古巣のシルファリオに戻ったが、その時にはBランク相当の実力をルーファスから感じ取った者はいなかった。


「手術や実験の後遺症、副作用と考えると、ルーファスの変化も腑に落ちるのです」


 様々な衝動や欲求が抑えられなくなる。ルーファスの遺体に残っていた手術痕。それらはスミスが記憶している『帝国勇者計画』の概要に一致していた。


 それを聞いたネーナは、自分がルーファスに襲われかけた時の彼の様子を思い出す。シルファリオに戻って来たルーファスは、ネーナに異常な執着や興味を示していた。


 今ならばわかる。シルファリオに戻ったばかりで戸惑っていたルーファス達に、ネーナは声をかけた。その時にロックオンされたのである。


 依頼をダシにルーファスに引き合わされ、山中で夜を明かす羽目になったあの時。友人のメルルが一緒に来てくれなかったらどうなっていたか。ネーナは想像するのも恐ろしかった。


 ルーファスの妹、ルーシーの遺品として死体検案書に記載された品には、向精神薬や避妊薬があったのである。プリムと別れた後のルーファスは勿論、ルーシーにも浮いた話は無かった。


 ルーシーが実の兄であるルーファスを受け止める事で、トラブルの発生を抑えていた。その推測に辿り着いたネーナは、震えが止まらなかった。

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