第百九十九話 冒険者として、最後の仕事
――川を見たい――
ヒーロ・ニムスは、オルトにそう言った。
カリタス域内には川は無い。ニムスの言う『川』が『エクウス・カル・リヴァーレ』である事は、オルトの横で聞いていたネーナにもわかった。
支援チームが東から堀を越えてカリタスに入った為、ニムス達【
ただ、何故それを、オルトに言いに来たのか。その事はネーナの腑に落ちなかった。
ネーナの知る限り、オルトとニムスが特別親しい訳ではない。パーティー同士もそうだ。ヴァレーゼ支部では、最高戦力である両パーティーが共に行動する機会も、同じタイミングで休む事も無かった。
強いて言うなら、今回の『エクウス川』を導いたのがオルトだという事。思い当たるのは、それだけだ。
オルトがカリタス住民と支援チームの関わりについてリベック達と話している間、ニムスは会議室の出入り口付近の席で、静かに待っていた。
その表情から思いを読み取る事は、ネーナには出来なかった。
ニムスの願いを聞いたオルトは何も詮索せず、二つのパーティーがカリタス域外に出る許可を取った。
ネーナ達はギルド支部の建物を出て、木箱や酒樽を抱えた【野鴨戦団】のメンバーと合流する。彼等はニムスと共に来て、ここで待っていたという事になる。
ネーナがチラリと振り返ると、ニムスも含めた八人の【野鴨戦団】メンバーは誰一人口を開かず、黙々とついて来ている。
ネーナは、ニムスの意図を知りたい、とオルトの外套の裾を軽く引いた。
オルトは、俺にもわからないよ、と頭を振った。
◆◆◆◆◆
『おお……』
溢れんばかりに水を湛えた川を見て、ニムス達【野鴨戦団】メンバーの声が揃う。感極まったように涙を流す者もいる。驚愕、感嘆、その他様々な感情を、ネーナは彼等から感じ取った。
幾つか疑問が湧いたものの、非常にデリケートな質問のように思えて、それをニムス達に聞く事は憚られた。
「――『
帝国領から荒野に緩やかなカーブを描いて伸びる水の流れを指差し、ニムスが問うた。
山からカリタスまでの分についてはその通りだと、オルトは事実を述べた。川が溢れないよう逃げ道を作ったのは、テルミナだからだ。
するとニムスを皮切りに、【野鴨戦団】のメンバーが我先にとオルトへ握手を求め始めた。
「済まない、こちらで勝手に盛り上がってしまった」
事情が飲み込めない様子のネーナ達を見て、ニムスが苦笑いをする。
「勇者エクウスの伝説は知っているか?」
「荒地に川を引いた、と聞きました」
ネーナの返事に、ニムスは満足そうに頷く。
「俺達にとって、この川は特別なんだ」
そう言いながら木箱から鉄鍋を取り出し、川の水を汲んでキャベツと豆、干し肉を放り込む。その間にニムスの仲間達は、手際良く火を起こした。
鍋を火にかけると、オルト達も集まって来る。ニムスは横倒しにした酒樽を、ポンと叩いた。
「ヴァレーゼでは、お前達と酒を酌み交わす機会も無かったからな」
ほう、とスミスが呟く。その視線は、酒樽に書き込まれた文字に注がれていた。
「ゴルドン語で『
「流石は『大賢者』スミス。気づいたか」
ニムスがニヤリと笑い、【野鴨戦団】のメンバーは驚きを露わにした。
かつてゴルドンという小王国がカリタスの北に存在していたのは、ネーナも知っていた。今から十六年前、国境を接するダーラン、バルディ両王国に続いてアルテナ帝国に併合されたのだ。
そのゴルドン王国唯一の蒸溜所で作られていたシングルモルトウイスキーが『黄金色の勇者』。王国が三百七十四年で歴史に幕を下ろした為、三七三が最後のウイスキーとなった。
「通常、ウイスキーは品質を一定にする為にブレンドされる事が多いのですが、『黄金色の勇者』は一切ブレンドをしない特別なウイスキーなんです」
「その通り」
スミスの
ブレンドしなければ生産した年ごとに、蒸溜所ごとに、ウイスキーを寝かせた樽ごとに味が変わり、当たり外れが出てしまってもおかしくない。
だが『黄金色の勇者』は、一樽として同じ味でないのに外れが無い、稀有なウイスキーなのだとニムスは言った。
「『外れない』から、縁起物としても人気があったんだ。エクウス川の水と、黄金色の麦畑。どちらが欠けても『黄金色の勇者』は生まれない」
木箱を漁ってつまみを探していたレナが慌てて振り返り、酒樽とニムスを見比べる。
「じゃあこれ、十六年ものって事!? そんな貴重なお酒を頂いちゃっていいの?」
「構わん。俺達は今回が冒険者として、最後の仕事になるからな。その記念だ」
『ええっ!?』
驚く【菫の庭園】メンバーに対して、ニムスは淡々と告げた。
ニムス達がそれを決断したのは、【野鴨戦団】が支援チームに合流してからだった。
元々、ニムス達の耳に入った時点では、カリタスでアクシデントが発生して全住民が避難を余儀なくされ、その救援、復旧、支援の為に人員と物資を送るという話であった。
シルファリオ支部長から打診を受けた【野鴨戦団】は参加を即決した。ヴァレーゼ自治州で奮迅の働きを見せた【菫の庭園】が、ここでも先行して救援に向かったと聞いたからだ。
支援チームが立ち寄った町で合流すると、本部やシルファリオ支部を通じてカリタスの情報は頻繁に更新され、状況が目まぐるしく変わっていた。
始めはアクシデントだとされていたが、カリタスのエースパーティーと賛同者による反乱だと訂正された。さらに、事態にはアルテナ帝国が関与し、長期に渡って工作活動が仕掛けられた侵略だと断定された。
地上と地下から押し寄せた帝国軍、そして帝国軍と共に現れたSランクパーティー【
――帝国軍南部駐屯地内の巨大ダムが決壊、大量の水が枯れた川に流れ込む――
この後に何が起こるかを、ニムスは予見出来た。カリタスへ行く意味合いが、ニムス達の中で大きく変わっていた。
「――これから帝国南部で、大規模な反乱が発生する。ゴルドン、ダーラン、バルディの民は必ず立ち上がる。俺達はパーティーを解散し、冒険者資格も返上して彼等と共に戦う」
ニムスの顔に迷いは無かった。
いつかそうなるかもしれないと、考えていた事ではあった。帝国南部で反乱が起きたならば、その時は冒険者を辞めて、一兵士として戦いに身を投じようと決めていた。
「俺は十六年前、ゴルドン国防軍の新兵だった。あの時から止まったままの時間が、再び動き出そうとしている。礼を言うぞ、『刃壊者』」
「っ!?」
ネーナが顔を強張らせる。それを見た【野鴨戦団】のメンバーが、ニムスを
「ヒーロ、その言い方は無いぞ。『刃壊者』が反乱を起こさせる訳ではないだろう」
「む、すまん。言葉足らずだった」
ニムスは素直に謝罪し、オルトは気にした風もなく受け入れた。
「俺が帝国軍駐屯地のダムを破壊したのがきっかけになった。それは事実だろう」
「そうではない」
反乱自体は、いつ起きてもおかしくなかった。ニムスはそう言って、オルトの言葉を否定した。
本質はアルテナ帝国の征服の手法と、被征服地域の統治政策にあった。
帝国は一様に民を『帝国民』と呼んではいるが、古くから帝国に従う民と被征服地域の住民を明確に区別している。水源を存分に利用出来るのは、都市に住む古くからの帝国民だけであった。
被征服地域の者達は、ごく一部の例外を除けば移動もままならない。どれほど生活が苦しくとも、出稼ぎに行く事さえ出来ないのだ。民衆は困窮し、不満は高まっていた。
「帝国は我等から川を奪い、黄金に輝く麦畑を焼き払った。言葉も歴史も奪い、女達は北部からの入植者に嫁がされて血も奪われた。帝国はゴルドンを消そうとしているんだ」
三王国併合から十六年。帝国の施策は順調に進み、民は牙を抜かれたように見えた。しかし暴動は起こった。
「帝国の民として生を受けた子が成人する程の時間が経った。それでもゴルドンの民は忘れていなかった。干上がった川を。焔に包まれた麦畑を、王城を」
ニムスは【菫の庭園】の面々に語った。ゴルドン王国の最期を。
国防軍の防衛線を突破し、帝国軍が王都に侵入すると、上官は新兵や妻子ある者達を王都から脱出させた。ゴルドン王族で唯一生き残った王女の指示であった。
自分達も戦わせて欲しいと食い下がる部下達に、上官は決して首を縦に振らなかった。新兵の中にはニムスもいた。
包囲が完了すれば逃げられなくなる、そう追いたてられてニムス達は泣く泣く王城を後にした。
帝国軍の猛攻、そして『勇者』の実戦投入により、王都は火の海となった。燃え盛る王城の中で、王族の最後の一人である王女は自害した。焼け跡を帝国軍が捜索するも、遺体は確認出来なかったという。
美しかった国を呑み込む焔を、蹂躙する帝国軍を、ニムス達は国境を跨ぐ森から目に焼き付けた。
「……王女マルセリーナは、当時十六歳。婚約者だったバルディ王国の王子も、帝国との戦いで前年に戦死したそうです」
「帝国は恥知らずにも、姫様に皇太子の後宮に入るよう求めたんだ」
スミスに応えるニムスの声は、怒りに震えていた。
ネーナは黙って唇を噛み締めた。ゴルドンの王女の結末は、もしかしたら
決戦前に退避させられた新兵はおよそ三十人。帝国領となった祖国に残った者もいれば、ニムスのように故郷を離れた者、闇に潜んで牙を研ぐ者、諸国を巡って力を得ようとする者など、様々だった。
そんな中、ニムス達は冒険者の道を選んだ。最初のメンバーは七人。十六年の間に三人は依頼中に死亡し、一人は袂を分かった。現在のメンバー八人の内、ゴルドン出身者はニムスを含めた三人だけだ。
「パーティー名は、王城の堀に住み着いていた野鴨の親子から取ったんだ」
ニムスの目は、在りし日の王城を懐かしむようであった。
「十六年。決して短い時間じゃなかった。上官は俺達に、復讐に囚われなくていいと言った。俺達も仲間に、そんな事は求めなかった」
黄金色の麦畑の記憶は、水を失った川とひび割れた荒地で塗り替えられていった。生きている間に、水が戻った川を見る事は叶わないと思っていた。
「――『
ネーナは目を見張った。ニムスを始めとする、【野鴨戦団】のメンバーが一斉に頭を下げたのである。
ニムスがオルトを見据える。
「誰もが御伽噺だと思っていた、勇者エクウスの予言は現実になった。再び大地に水が戻ったんだ」
ニムスに迷いは無かった。【野鴨戦団】からはゴルドン出身の三人だけが、義勇兵として民衆に加勢するのだという。
「助太刀は不要だ。これは俺達の戦いなのだから。こちらが戦いを望まずとも、帝国は力を振りかざして迫ってくる。他に道は無い」
一同は酒を注ぎ合い、酒杯を掲げて武運を祈った。
力が無ければ、今の暮らしも、大切な人も守れない。痛みを知らずに話し合う事は出来ない。ニムスの言葉は、力で身を守り、道を切り拓いてきたネーナも痛感している事であった。
ゴルドンの民は、奪われたものを取り戻そうとしている。手にしたものを守ろうとしている。その為の戦いに、ネーナ達の介入する余地は無い。
ニムス達に死んで欲しくはない。だが帝国軍にもガルフやミアがいるのだ。もどかしい思いを抱えながら、ネーナは酒杯に注がれた『黄金色の勇者』を飲み干す。
十六年寝かせたウイスキーは、ほろ苦い味がした。
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