第二百三十三話 飲んだら二十四時間、戦えるやつです

 「ガルフ! ガルフ!!」

 

 カプセルに縋りつくミアの姿が、三人の胸を締めつける。だが立ち止まっている暇など無いと、ネーナはフェスタに指示を出す。

 

「フェスタ、このフロアの研究員を連れてきて」

「わかったわ」

 

 実験を行い機材を扱っているのは、ここまで案内させた警備員ではなく研究員だ。屋外に出られない彼等は、どこかに隠れている筈。

 

 意図を理解しフェスタが駆け出すと、レナは心得たようにミアをカプセルから引き離した。空いた場所にネーナが立ち、カプセルの中を覗き込む。

 

 ガルフの胸は規則的に動いており、呼吸があると判断出来る。大きな外傷は無く、眠っているようにも見えるが安心は出来ない。

 

 両の耳にはカップのようなものが被せられている。胸には吸盤が固定され、それぞれ長いケーブルでカプセルに併設された機器に接続されている。血液らしき赤い血液が流れる管が二本、他にも数本の管が、カプセルを経由してガルフの身体と機器を繋げている。

 

 機器は稼働しているようで、ガルフの生命を維持しているとも、弱めているとも受け取れる。ドリアノンの『ラボ』で見た機器とは全く違う。ある程度の推測は出来ても、機器停止の決断をするには如何せん情報が足りない。

 

「お待たせ、この人は研究員みたいよ」

 

 フェスタが逃げ遅れた白衣の男を連れて戻ってくる。情報が足りなければ、補うしかない。

 

「この方が入ったカプセルは、何をしているのですか?」

「あ、IB243は、『帝国勇者計画』の実験体です」

 

 ネーナが問いかけると、男は怯えた様子で答えた。

 

 IB、つまりImperial帝国-Brave勇者、その243番目の実験体。ガルフは研究所で、名前を呼ばれる事の無い存在となっていた。ネーナは唇を噛みしめる。

 

「現在の状況は?」

「まだ初期段階で、薬物により自我を破壊するフェーズです。筋肉の衰えは副作用によるものですが、戦闘に最適な肉体へとビルドアップしますので問題ありません」

 

 レナに後ろから抱きかかえられたミアが、ビクッと身体を震わせる。ネーナはそれに気づいたが、配慮している余裕は無い。

 

「この機器を停止させて中の方をカプセルから出した場合、どうなりますか?」

「ええっ!? 止めるなんて勿体ない!!」

 

 冗談ではない、ありえないと言わんばかりに男が言い返す。研究成果を台無しにされる怒りが、ネーナ達への恐怖感を上回ったようであった。

 

「IB240で、やっと肉体を損なわずに自我を消す方法が確立されたんです! どれほど苦労したと思っているんですか! 241のドワーフは麻酔が効かずに自死してしまい、人族に戻した242は薬物に肉体が耐え切れませんでした。頑強な243の潜在能力を引き出せれば、命令に絶対服従の強力な兵士になり得る! 英雄にも、勇者にも比肩出来る程の! ここで止めるなんて愚か者のする事ですよ!」

 

 男が熱を込め、饒舌じょうぜつにまくし立てる。それを冷ややかに見つめていたネーナは、棒杖ワンドを取り出し一振りした。

 

氷像スタチュー

「はえっ?」

 

 男が頭部だけ残し、氷柱に取り込まれる。

 

「私の質問にはお答え頂けないようですね。理解出来ないのですか? それとも言葉が通じないのですか? いずれにせよ貴方は廃棄して、次の方にお聞きした方が早そうです」

「っ!?」

 

 氷柱の冷たさか、自らの置かれた立場を思い出したのか、男はガタガタと震え出す。フェスタが肩を竦める。

 

「次のを連れて来るわ」

「お願いしま――」

「ま、待って下さい!! お話しします! させて下さい!!」

 

 大声で訴える男に、ネーナは溜息をつく。

 

「貴方は、貴方が『実験体』と呼ぶ人々の懇願を聞き入れてあげましたか?」

「それ、は」

 

 一瞬言葉に詰まるも、自らの生死がかかっている男は懸命に舌を回す。

 

「私の研究成果はアルテナ帝国に多大な貢献をしてきました! 私が死ねば人類の損失ですよ!?」

 

 ネーナは呆れ顔で、それをバッサリと切り捨てた。

 

「過大な自己評価と言わざるを得ませんね。帝国への貢献、それは他国へ向けられる脅威に他なりません。それに、貴方がいなくなっても代わる者はすぐに現れますよ。心配無用です」

 

 男は絶句した。自分に対する価値を、ネーナが全く認めていなかったからだ。軍の研究員というエリート街道に乗ってから、久しく思い出す事の無かった感情がよみがえる。

 

 質問された事の答え以外は何も求められていない。無駄に弁を弄する事は不興を買うだけなのだと、男は漸く理解した。

 

「そんだけビビらしとけば、もうアホな事は考えないでしょ。駄目なら次の奴を捕まえればいいんだし」

 

 珍しくレナがフォローに回ると、それもそうだとネーナが頷く。

 

「全く、余計な手間をかけさせないで下さい。この次はありませんよ。聞かれた事にもまともに答えられないのであれば、その時は――」

「はひぃ!!」

 

 ネーナの恫喝に対し、動く頭部だけを全力で縦に振り、男は何度も頷いてみせた。

 

 ドリアノンの『ラボ』もそうであったが、善悪の観念が薄い、或いは持たない研究者は少なからず存在する。上位の存在には従っても、自らの興味と知識欲に忠実だ。

 

 ネーナは仲間達と共に、意に沿わぬ形で実験体にされた友人を救出に来ただけなのだ。この場で事の是非を論じるつもりは無かった。ついでに他の実験体を解放したり、機器や施設を破壊したり研究成果を押収するかもしれないが、それは二の次である。

 

「こ、このカプセル、そして連動した機器は、実験体の生命維持も担っています。機能を停止している器官は薬物によって自律性を喪失しており、機器を停止すれば実験体は緩やかに死に至ります」

 

 研究員の返答は、概ねネーナの推測通りであった。

 

 生命維持を代行出来する方法が無い以上、機器の停止もガルフの移動も出来ない。ガルフを眠らせているのは、薬物の副作用などで暴れてダメージを負わないようにする為でもあり、起こすのは得策ではない。

 

「カプセルの中の方を元の状態に戻します。実験は停止です。それに関するレポートはありますか?」

「あっ、ありません! 実験体の復元や回復などの研究は行われていないんです!」

 

 この返事も予想出来ていた。実験体は使い捨てだ。誰も日常生活に復帰させようなどとは考えない。

 

 視線が合うと、レナは頭を振った。今のガルフの状態では自分の法術の出る幕ではない、聖女としてのレナはそう判断していた。それはネーナも同じだ。

 

 ガルフに投与された薬物は、一種類や二種類ではない。解毒の術を使ったとしても、何が毒と判定されるかわからない。さらに全ての薬物を消し去れたとして、それがガルフの身体に良い影響を与える保証も無いのだ。

 

 都合良く対象を最適な状態にしてくれる術、或いは健康な状態まで対象者の時間を巻き戻す術。でなければ伝説の霊薬『エリクサー』。そんなものは、この場には無い。

 

 何かに耐えるような、何かを諦めようとしているような、そんなミアの姿が目に留まる。ネーナはハッとした。

 

 

 

 バチンッ!

 

 

 

 大きな音に、仲間達が目を丸くする。自らの両手で思いきり叩いたネーナの頬は、真っ赤になっていた。

 

「私にやれる事をやります。お兄様はきっと、そう言いますから」

 

 ネーナは少し弱気になりかけていた自身を奮い立たせる。ここまでミアを連れて来たのは、ガルフに永遠の別れを告げさせる為でも諦めさせる為でも無いのだと、自身に喝を入れた。

 

「レナさん、助手をお願いします。ガルフさんの容態が急変した際に緊急避難的に回復して下さい」

「おっけー」

 

 レナがニッと笑い、腕まくりをする。

 

「いいね、オルトみたいよ」

「兄妹ですから」

 

 ネーナは嬉しそうな顔で応えた。

 

 何も出来ない自分に、ずっと悔しい思いをしてきた。オルトの、仲間達の力になりたいと願ってきた。懸命に考え、努力を積み重ねてきた。

 

 今、ガルフを前にしたネーナには、薬学と医学、魔術と錬金術の知識がある。決して十分とは言えないが、死の淵にひんした友人に手を差し伸べる為の力を、確かにネーナは持っていた。

 

「フェスタはこの研究所内の、勇者計画に関するレポートとガルフさんの実験記録を探して下さい」

「了解」

 

 ネーナが指を鳴らし、男の氷結を解除する。ガルフに施した処置や、投与した薬品は必ず記録に残し、研究所内に保管されている筈。それがあれば、何から手をつけるかを決める参考になる。大事な判断を、敵である研究員達に預けずに済むのだ。

 

「――私もフェスタと一緒に行く」

 

 ミアが申し出る。その瞳には、強い決意の決意の光が宿っていた。

 

 大丈夫だろうとフェスタが頷くのを見て、ネーナはミアに頭を下げる。

 

「助かります。宜しくお願いします、ミアさん」

 

 スミスはコントロールルーム、オルトとエイミーは屋外にいて人手が足りない。帝国軍に所属していたミアは軍施設のセキュリティを知っており、フェスタに同行してくれれば研究者の男から目を離さずに済むメリットもある。願ってもない事だった。 

 

 ミアは頭を振った。

 

「お礼を言うのは私の方。オルトは我儘な足手まといの私を連れて、それでも最速でここまで導いてくれた。ギルド長も危ない橋を渡ってくれてる。皆も駆けつけてくれた。私だけ何もしないではいられないわ。ガルフの事、全部人任せにはしたくないの」

 

 そう言ってフェスタと共に、研究員を連れて去っていく。フロアにスミスの声が響いた。

 

『一度、我々の状況をギルド長に連絡した方が良さそうですね』

 

 ネーナが応える。

 

「こちらはガルフさんをカプセルから出すのに処置をする為、時間が必要です。外はどうなっていますか?」

『今の所は何もありません。帝都支部までオルトに走って貰いましょう』

 

 エイミーは精霊術で騎士達を拘束している為、現場を離れられない。オルトがいない間、仮に騎士団や帝国軍の増援があっても、研究所のセキュリティで食い止められるという。

 

『流石に破壊されたシールドは展開出来ませんがね』

「あはは……」

 

 壊した張本人のネーナが、乾いた笑いを漏らす。

 

「それで、どうするの?」

 

 カプセルをコンコンと叩きながら、レナが聞く。

 

「ガルフさんに投与された薬物の内、まだ体内に残っているものを一つずつ中和、或いは抜いていきます。ガルフさん自身の回復力を取り戻します。その前にしておく事もありますけれど」

 

 ネーナはゴソゴソとポーチを漁り、小瓶を二本取り出した。

 

「長丁場の戦いになりますから、飲んでおいて下さい」

「何これ? 黄色と黒の……マーブル模様?」

 

 レナが片方を受け取り、照明にかざす。二色の液体は溶け合う事なく、瓶の中で混じり合い不思議な模様を作っていた。

 

 ネーナはキュポンと音を立て、蓋を外す。

 

「飲んだら二十四時間、戦えるやつです」

 

 そう言うと左手を腰に当て、小瓶の中身を一息に飲み干した。

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