第二百三十四話 総員抜剣、突撃せよ!

 警備員を先導させ、レナとネーナは研究所の動力室に向かった。

  

「まあ、こんだけの施設だもんね。気にはなるよ」

「はい」

 

 ネーナが頷く。ガルフの処置を始めたら、区切りがつくまで身動きが取れなくなる。作業前のこのタイミングに、二人はどうしても確認しておきたい事があったのだ。

 

「こ、ここです……」

 

 扉の前に立った警備員の顔色が悪い。

 

「どうしたんですか?」

「わ、私はこの部屋が苦手でして、気分が悪く……」

 

 理由を聞いたネーナは、さもありなんと思った。

 

 警備員から『動力』についての説明は受けている。まともな感性ならば、それは気分も悪くなるだろう。だからと言って、敵である警備員を目の届かない場所は置くという選択は有り得ない。

 

「お気の毒ですが、こういう状況ですので諦めて下さい」

 

 死んだ魚のような目の警備員を促し、続いて二人も動力室に入る。

 

 部屋の大半を一つの巨大なタンクと、それに付随する機器が占めていた。天井は中央に下る形で傾斜しており、上階から落ちたものは全てタンクが受け止めるようになっている。

 

 丸窓からタンクの中を覗き込み、レナは吐き捨てた。

 

「成程、こりゃあ胸糞だわ」

 

 赤みがかった液体で満たされたタンク内部に、人の形をしたものが無数に漂っている。水流があるのか、その内の一体が丸窓の前を流れていく。

 

 衣服や装飾品の一切を身に着けていない、人の死体であった。

 

 

 

 ネーナはドリアノンの『ラボ』を見た経験から、この研究所も動力として大量の魔力を要していると推測していた。どちらも魔道具や魔力によって稼働する機器を多く抱えていたからだ。

 

 ではそれらを過不足なく使用する為の魔力は、どうやって調達しているのか。嫌な予感しかなかった。

 

 魔力は世界のあらゆる所に、微量ながら存在している。その有効活用には未だ至っていないものの、生体から魔力を抽出する技術や貯蔵する技術は存在する。いずれも古代文明期由来のものだ。

 

 それらは人道的な理由から多くの国で研究禁止、ないしは厳しい制限が課されている。アルテナ帝国はそういった措置を取っておらず、疑惑の目を向けられながらもこれまで尻尾を掴ませる事は無かった。

 

 生体の中でも、とりわけ人族や亜人、魔族のような人型の生物は魔力量も魔力の自然回復量も多く、抽出に適していると考えられている。『ラボ』では魔族のアルカンタラが拘束されていたように。

 

 ただ犯罪組織傘下の『ラボ』でさえ、魔力の供給者を簡単に殺すような事はしなかった。言うまでもなく確保が難しいからである。だが帝国は違った。

 

 警備員の説明によれば、動力室の上の部屋に集められた者達は、強力な睡眠効果を持つ気体により行動不能に陥る。その後は衣服や金品を剥ぎ取られ、階下のタンクに落とされて特殊な溶液の中で溺死する。

 

 先に殺さないのには理由がある。一つには人体の魔力は死亡直後に自然回復が止まり、時間経過で体外に放出されていくから。もう一つはタンクに満たされた溶液が魔力を吸収する性質を持ち、放り込まれた者が溺死する過程で体内に溶液が浸透し、魔力抽出の効率が上がるからだ。

 

 ネーナが苦々しげに呟く。

 

「使い捨てでも構わない筈です。いくらでも調達出来たのですから」

 

 アルテナ帝国は強大な権力を持つ皇帝が頂点に君臨し、皇族と上位貴族が富を吸い上げるピラミッド構造を成している。下位貴族と人口の多数を占める平民も出身地や両親により待遇が変わり、利害の一致する大きな集団を形成し難い。

 

 具体的には帝都から遠い土地にルーツを持つ者や、帝国に新たに従属した国民ほど苦しい生活を強いられているのだ。そこには優越感や選民思想すら生まれ、現在の立場、待遇を失う事を強く恐れるようになる。

 

 お上の不興を買えば自分達も犯罪者。自分に直接影響が無いなら関わりたくない。冒険者ギルド帝都支部の面々がギルド長一行をうとんでいるのは正にこの思考で、為政者の思惑通りと言えた。

 

「上位者に逆った政治犯、新興の被征服地域の住民、侵略戦争の捕虜。魔力の供給源には事欠かなかったでしょう。実験体にも」

「帝国北部の強い差別意識も追い風だろうね」

「はい、ですが」

 

 ネーナは機器に取り付けられた目盛りを見る。表示は二割強、これは研究所の消費魔力の二日分だという。この動力室にある分が、研究所に残されている魔力の全てだ。

 

 研究所は情報局と同様、保身を図った帝国と軍の上層部に見捨てられている。帝国軍は北部と東部、さらに南部の反乱に対しても劣勢で、特にギルド長一行が帝都に来てからは、犯罪者も捕虜も研究所に運び込まれていない。

 

 新たに魔力の供給源を得られない状況で、帝国騎士団や冒険者の侵入を阻止せんと高出力のシールドを展開した。そのシールドはネーナに破壊され、単に膨大な魔力を霧散させただけに終わったが。

 

 最早研究所には、魔力の供給源は無い。この部屋の機器で、魔力の抽出が行われる事は無い。ネーナとレナは、それらを確認しに来たのだった。

 

 タンクに落とされた者は全て死亡している。抽出した魔力を返還するすべも無く、機器に貯蔵されている魔力は使い切るしかない。現時点では残り二日の間に、ガルフの処置を終わらせなければならない事になる。

 

「私達はガルフさんに集中しましょう」

「そうだね」

 

 二人は頷き合い、動力室を出て行った。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「あまり長居したい場所ではないわね」

 

 ギルド長のヒンギスが辺りを見回して顔をしかめる。彼女はオルトの報告を受け、自らの目で現場を確かめる為に研究所に出向いていた。

 

「ご苦労様です」

「貴女達に比べたら何て事無いわ」

 

 ヒンギスはフェスタの労いにかぶりを振った。そしてガルフの処置に当たっているネーナ達や、その側で祈るように両手を組むミアに視線を送る。

 

「俺は外にいる」

「オルト」

 

 案内が済み、屋外の警戒に戻ろうとするオルトを、ヒンギスが呼び止めた。

 

「ギルド単独での帝国との交渉は断念します。先に四者協議をまとめて団体交渉に持ち込むから、誰か来たら追い返して。派手にやっていいわ」

「……了解」

 

 一瞬だけ驚きの表情を見せるも、オルトは短く応えて立ち去った。

 

 ガルフが見つかった事で、帝都支部で行方不明となっている者の捜索は一区切りとなる。ヒンギスは、冒険者ギルドが帝都から撤収すると告げたのである。

 

 四者協議とは、冒険者ギルド、北部国境のドワーフ族、同じく東部国境の人族の少数民族、南部で決起した義勇軍によるものだ。対帝国包囲網と言い換える事も出来る。

 

 既にヒンギスは副ギルド長に指示し、本部から他の勢力に接触させていた。単独では帝国に抗し難い各陣営にとって、団体交渉は大きなメリットがある。協議がまとまる確率は高かった。

 

 団体交渉になれば、舞台は帝国から中立の第三国へと移る。単独交渉が前提だった休戦は無効となり、新たな休戦協定が締結されるまでは戦闘状態が続く。ギルド長一行が帝都に留まる理由は無くなる。

 

「ブライトナーがね、帝都支部の出身なの。その事も踏まえて帝都支部は廃止するわ」

「それはまた……」

 

 今は背任、恐喝、横領等多くの容疑で取調べを受けている筈の前総務部長の名が飛び出す。彼を引きずり下ろすのに【菫の庭園】は大きな役割を果たしており、フェスタも忘れてはいなかった。

 

 Sランクパーティーに引き抜きをかけ、カリタスや帝都支部に工作員や密偵を送り込んでいた帝国が、ギルド本部の部門長だったブライトナーと繋がっていないとは考えられない。本部の職員や冒険者まで調査を要する、頭の痛い問題だ。

 

「帝都支部はリコールの件でもブライトナー側を支持していたし、今回来てみればあんなだし、立て直しは諦めた」

 

 そうでなくとも冒険者ギルドには問題が山積している。何より帝都支部の在り方、メンバーの振る舞いは冒険者ギルドの目指す方向性から逸脱しており、本部から人を送り込んでも変えるのは難しい。それがギルド長の判断だった。

 

「オルトが帝都支部長をやってくれるなら、任せてもいいけど」

「ギルド長、それは無茶振りが過ぎます」

 

 黙って聞いていた秘書のホランが口を挟む。フェスタも苦笑した。

 

「やらないでしょうね」

「残念だわ」

 

 大袈裟に肩を竦めたヒンギスに、ホランが書類の束を差し出す。フェスタとミアが研究所内から集めてきた、過去から将来に渡る実験や計画の概要が記されたものだ。

 

 読み進める内に、ヒンギスの表情が険しく変わった。研究の名目で、国内外を問わず相当数の犠牲者を出している事は明白だった。

 

「研究員と警備員を含めたスタッフは、別室に拘束済みです」

「スミスはそこにいるの?」

「いえ。館内を回って、稼働中の機器を優先度の低いものから順次停止させています。全体の消費魔力を抑えれば、ガルフの機器を稼働させられる時間が伸びるので」

「そう……頭数あたまかずが足りないわね」

 

 フェスタの説明を受け、ヒンギスは秘書に声をかけた。

 

「ホラン、一度帝都支部に戻りましょう」

 

 研究所の外でエイミーに拘束されている帝国騎士達を見れば、帝都支部にやって来るのも時間の問題だと考えられた。移動するなら早い方がいい。

 

 ヒンギスはすぐ外に出て、オルトの所へ行った。

 

「私達は一度帝都支部に戻るわ。支部を閉鎖して皆でこっちに移れば、護衛の手間も省けるでしょう?」

「確かに」

 

 オルトは同意した。ヒンギスとホラン、そして意識が戻らないショットにはそれぞれ護衛が必要だ。一箇所に集まってくれた方が楽ではある。

 

 支部に残っているイリーナ達が簡単にやられるとは思えないが、襲撃があれば支部の職員や冒険者の多くが敵側につく事もあり得る。幸いショットの容態は安定しており、身柄を移す事は可能であった。

 

「俺も行こう。だがその前に――」

 

 オルトがエイミーに視線を送る。

 

「皆、放しちゃっていいの?」

「ああ」

 

 精霊術が解除され、地面に拘束されていた騎士達がノロノロと立ち上がった。

 

「……どういう事だ」

 

 腕をさすりながら、副団長であるギュスターヴが問いかける。ヒンギスがそれに答えた。

 

「冒険者ギルドによる情報局と研究所の捜索は、帝国皇帝の承認を得て行っているものです。捜索の結果、研究所からは行方不明だった冒険者が発見されました。情報局からも、情報局の幹部の家からもです」

「っ!」

 

 ギュスターヴは唇を噛む。自らも【菫の庭園】と対峙した際、捜索を阻止する口実として研究所が騎士団の施設だと称したのだ。しかしオルト達の侵入を許し、囚われていた冒険者も所内で見つかってしまった。帝国には拙い状況だ。

 

 帝国上層部は副団長ギュスターヴが率いる部隊で阻止できると考えていたし、ギュスターヴ自身も異論は無かった。それにより研究所の重要機密流出を防ぎ、一時的に帝国が戦力低下したとしてもすぐに盛り返せる目算だった。

 

 だがこの時点で情報局はオルトに掌握されており、帝国側は冒険者ギルドの戦力を正しく認識出来ていなかった。その上帝国騎士団と研究所は普段から関係が険悪で、連携など出来ない。【菫の庭園】に一蹴されたのも当然と言えた。

 

「捜索の間、騎士団を含む帝国側の度重なる妨害行為がありました。合意が破られ、僅かに残されていた信用すら失われた今、敵地に留まっての話し合いは不可能です。帝国があくまで戦いを望むならば、ギルドは受けて立ちます。帰って皇帝陛下に、そう伝えて下さい」

 

 既に【菫の庭園】の面々は研究所に踏み込んでおり、この場での決着はついている。ここで損害を出す必要は無く、衝突するにしても仕切り直してからだ。そう考えてヒンギスは、騎士団に撤収を求めた。

 

 しかしギュスターヴの反応は、ヒンギスやホランが予想していたものとは全く違っていた。

 

「……断る。まだ終わってはいない。オルト・ヘーネスを殺害し、ここにいるギルド長を確保すれば、帝国が優位に立てる」

『ええっ!?』

 

 驚愕するヒンギスとホランを庇い、フェスタが前に出る。

 

 ギュスターヴは長剣を引き抜き、その切っ先をギルド長へと向けた。

 

「総員抜剣、突撃せよ!」

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