閑話一 近衛騎士達の事情と乾杯

 王女付きの近衛隊長であるブレーメは、王城を出ると真っ直ぐ家路についた。


王女の騎士プリンセスガード』と呼ばれる近衛騎士全てがアンの話を聞いた直後でもあり、本来は年長の近衛騎士と二人で夜の警備をするつもりだった。しかし副隊長のトーンと紅一点の近衛騎士であるステフが本日の夜警をすると強く主張し、他の隊員は半ば強引に追い返される形になった。


 ブレーメは二人の心遣いを有難く受け取り、部下の成長を喜びながら王城を後にしたのだった。




 屋敷に着くと、ブレーメはまず扉の前で立ち止まった。帰れば妻に話すべき事があるが、気が重い。でも言わなくては。逡巡しながら扉を開ける。


 出迎えたメイドにコートを手渡し、普段着に着替えると寝室に向かう。寝室には、ベッドの上に身体を起こしている妻の姿があった。


「オリビア。今帰った」

「おかえりなさいませ、あなた」


 ベッドから出ようとする妻を手で制し、ブレーメはベッド脇の椅子に腰を下ろす。部屋には誰も入らぬよう、メイドには伝えておいた。


「いつもより顔色が良いか?」

「ええ、今日は何だか調子が良くて。少しお庭を散歩しました」

「それはよかった」


 僅かな逡巡の後、ブレーメはアンから聞いた話を伝えた。オリビアは静かに耳を傾ける。


「……王女殿下が、親善使節として大公国へ向かわれる事になる。我々近衛騎士も同行する。暫く戻れないだろう」


 ひとしきり話し終え、ブレーメは沈黙する。だが本題はこれからであった。


 近衛騎士がアン王女の供をする事に不満などない。むしろ栄誉だ。しかし、今回は通常の任務とは訳が違う。暫くどころか、行ったきり王国に戻れない可能性も低くない。


 任務である以上、妻を連れてはいけない。それ以前に身体の弱い妻が長旅に耐えられるはずもないが、部下達もそれぞれに事情や都合がある所、任務を優先するのだ。隊長たるブレーメが我儘を言える訳がない。


 実家に返すという選択肢も無い。


 オリビアは生来の身体の弱さから嫁ぎ先を探すのが難しく、実家でも良い扱いを受けていなかった。それを見初めて、周囲の反対を押し切って娶ったのがブレーメだったのだ。オリビア自身も自分からは決して実家の話をしない。


 これまで尽くしてくれた家中の者達の事もあり、早急に考えなければならない。だが今、ここで何と言えばいいのか。


 黙り込むブレーメを見て、オリビアが口を開いた。


「あなた。わかっているとは思いますが……離縁などと言ったら――」

「わかっているとも、オリビア」


 妻の言葉を遮り、苦笑しつつ頷くブレーメ。オリビアは贅沢や我儘を言う女性ではない。だが、非常に頑固な時があるのだ。ブレーメが離縁を口にすれば、オリビアは自ら命を断つと言うだろう。やむを得ない事情があったとはいえ、以前にはそれで屋敷が大騒ぎになった事もある。


 オリビア曰く『もしも心が離れたと言うのなら、その時は黙って去る』らしいが、ブレーメ自身そんな日が来るとは思っていないし、腹芸を決める自信も無かった。


「あなた。お勤めを果たしてきてください」

「オリビア……」

「あなたが近衛騎士の誇りを持つように、私にも近衛騎士ブレーメの妻としての誇りがあります。離縁は断固拒否いたしますが、あなたの足手まといにもなりたくありません」

「しかし……」


 妻の気持ちはこの上なく嬉しかった。だがブレーメには、これから先も妻と歩み続ける為の良案を見出だせていない。


 そんなブレーメを見て、オリビアは微笑む。夫が懸命に、妻である自分を案じてくれているのがわかったからだ。


「ねえ。あなた」

「うん?」

「全て解決とは言えないかもしれないけど、わたしから提案があるの。正確には、『提案を預かっている』かしら」


 困惑するブレーメを悪戯っぽい笑顔で見ながら、オリビアは部屋の外に控えている家人を呼ぶのだった。




 ◆◆◆◆◆




 第二王女アンの居室の前に、二人の騎士が立っている。


 左右に延びる廊下に人の気配は無い。二人はまるで彫像のように微動だにせず、壁を見据え周囲に気を配っていた。――今、この時までは。


「……隊長、真っ直ぐ帰ったかな」

「任務中だぞ、ステフ」

「皆は飲み会かな」

「……そうだな」


 警戒を解く事なく、『王女の騎士』の副隊長であるトーンは相方への注意を諦めて返事をした。


 一緒に今晩の警備を買って出た紅一点のステフとは、『王女の騎士』のメンバー公認の恋仲である。どちらかと言えば真面目なトーンと、どちらかと言えば奔放なステフの組み合わせ。傍から見れば、ステフのリードで上手く回っているようであった。


「私、思ったんだけどね」

「おう」

「トーンが前に、騎士辞めたら冒険者になろうかって」

「ああ、言ったな」

「二人でさ、やってみたいね」


 アンの話を聞いてから、ステフは自分なりに身の振り方を考えていた。アンに付いていけば騎士の地位は勿論の事、家も咎められるかもしれない。『王女の騎士』の他のメンバーも、今夜はその話をしているだろう。


 二人共家督の相続にはほぼ関係がなく、むしろ勘当して貰った方が話が早いくらいだ。後の心配が少なかった事も、今晩の夜警を引き受けた理由だった。


「そうは言うけど。野営も多いだろうし、大変だぞ?」

「今だって遠征があったら野営ばかりじゃないの。私達は王女殿下付きだから、遠征なんて無かったけど」

「うーん……」

「きっと楽しいよ。二人ならさ」


 にひひ、と笑うステフ。『夜警として気を抜き過ぎだ』とステフを注意しつつ、そんな生活も悪くないかとトーンは思った。

 だがトーンの意識は、すぐに現実に引き戻される事になる。


「ステフ」

「あ、了解」


 背後の扉に向かって、室内を誰か歩いて来る気配がする。アン王女か、侍女の誰かか。トーンはステフを促し、再び直立不動の姿勢を取る。どこから見ても、半ばサボっていたとは思えない立ち番の完成だ。


 ガチャリ、と音がして扉が開いた。




 ◆◆◆◆◆




 王都にある酒場の地下の一室。


 所謂個室、パーティールームであるが、そこに『王女の騎士』に所属する騎士達が集まっていた。

 つい先程聞いた話のせいか、誰もが神妙な態度を――取る事は全くなく、いつもの飲み会同様の盛り上がりを見せていた。


「だから聞けよヨハン! うちの娘がもうハイハイ始めてよう!」

「はいはい天才ですねミランダちゃん」

「何だ、その投げやりなリアクションは!」

「ミハイルさんうぜー。カールさん相手代わってくれません?」

「今忙しい」

「うぜーとは何だ!」

「超うぜー」


 重苦しい空気も湿っぽい雰囲気もまるでなく。かと言って現実から逃げるでもなく。常から覚悟を決めている男達の姿があった。


 最も年配の男が二人の若手に声をかける。


「ハンスとペーターは残るか」

「はい。俺は養子が決まっていますし、ペーターは王国騎士だった兄貴が……」

「そうだったな。相続の対象となっては逃げられん」

「ハインツさんも残るんですよね?」

「ああ。息子の挙式に新郎の父不在では締まらんだろう?」


 お互いの事情は知っている。任務として『王女の騎士』はアン王女に同行するが、大公国に警護を引き継いだ時点で王国へ戻る者もいる。十名の隊員の内、六名は国境で引き返す予定だった。


 幸か不幸か、現国王の治世で王室は急速に求心力を失いつつある。反乱を起こすか不敬を働かない限りは、地方の領地に籠もるなり大貴族の庇護下に入れば咎められる事も無いだろう。


バカップルトーンとステフ、それからヨハンとカールが同行か」

「もしかしたら敵同士になるかもしれんな。ヨハン」

「その時は、恨みっこなしでお願いしますよ」


 室内が笑いに包まれる。そこに悲壮感は無かった。

 騎士達はこの飲み会で三度目の乾杯の為、それぞれのグラスを掲げた。


「ではまず、俺達の王女殿下に」

「俺達『王女の騎士』と、この飲み会のスポンサーたるブレーメ隊長に」

「本日夜警のリア充共は爆発しろ」

「それはやめてやれ。それから、俺達の武運を願って――」





『乾杯!』

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