第405話 天使の行き先

 テルアビブにある国際ダンジョン研究機構の本部に、ソフィアの姿があった。

 今後のダンジョン攻略に関して、IDRの責任者であるマヤ・ベルガーと話し合いの場を持っていたのだ。

 互いの意見を交換するだけの、上っ面をなぞるような会談だったが、ソフィアに取っては重要な意味があった。


 ――この攻略が成功すれば、私の名前は世界に轟くだろう。そうなればIDRの主席研究員の座も手にできる。いや、もっと上の地位にいくことだって充分可能。


 ソフィアはほくそ笑みながら、施設の長い廊下を歩いていた。

 その時、向こうから歩いてくる人物に意識を止める。ソフィアはわずかに目を細めた。やってきたのはイーサン・ノーブルとその助手だ。

 ソフィアに気づくと、イーサンはニッコリと笑顔を向ける。


「やあ、ソフィア。こんなところで会うなんてね。ずっとダンジョン周辺から離れないのかと思っていたよ」


 ソフィアは小さく鼻を鳴らす。


「私は探索者シーカーじゃありませんからね。その場に留まっていても、できることはありません。私にできることを精一杯しないと」


 イーサンは「そうか」と頷き、ソフィアと視線を合わせる。


「ところで、くだんのダンジョン攻略は順調かな? 大勢の人間が関係しているからね。うまくいってほしいけど」

「ご心配には及びませんよ。ノーブル博士。攻略は極めて順調。私たちは攻略の朗報を待つばかりですよ」

「そうですか、それは良かった」


 なにを考えているか分からないイーサンの笑顔に、ソフィアは無性に腹が立った。

 ダンジョン研究の世界において、イーサン・ノーブルの上をいく者はいない。だからこその余裕なのだろう。


 ――だけどそれもここまで。私が必ずあなたの鼻を明かしてみせるわ。


 ソフィアは「それでは」と軽く会釈をし、その場を離れようとした。

 しかし、慌ただしく走っていく研究員に気づき、再び足を止めた。


「なに? どうしたの?」


 一目で異常なことが起きていると推察できる。


 ――まさか! ダンジョンでなにかあったの!?


 ソフィアは走って行く研究員たちを追いかけた。北側に面した大きな窓の前にいくと、外の様子が飛び込んでくる。

 北の空に光の柱が昇っていた。ソフィアは青ざめる。


 ――あれは、間違いなく【オルフェウス】がある方向……やっばりなにかあったんだ!


 ソフィアはきびすを返し、すぐに現地へ行こうとした。その時、歩いてくるイーサン・ノーブルの姿が目に入る。


「どこへ行くんです?」


 イーサンの言葉にソフィアは足を止めた。


「情報を集めるんですよ。なにが起きているか正確に把握しないと……」

「もう遅いと思いますよ」

「は?」


 ソフィアは眉間にしわを寄せ、イーサンを睨み付けた。


「どういう意味ですか!?」

「あの光は、恐らくダンジョン内の魔物が出て来たんでしょう。それもかなり強力な個体だと思います」

「まさか……【白の王】が出てきたと!?」


 ソフィアの表情が一気に引きつる。イーサンは目をつむり、小さく頭を振った。


「それは分かりません。とにかく、今あそこに行くのはやめた方がいい。まあ、死にたいのであれば止めはしませんが」


 ソフィアにギリッと奥歯を噛みしめる。こんな事態におちいるとは思っていなかった。

 探索者シーカーたちはどうなった? ダンジョンの周辺に陣取っていた各国の政治家は? この責任は誰が取るの? まさか自分が!?

 考えても分からない。ただ一つだけ確かなことは、自分の輝かしい未来がなくなったということだけ。

 ソフィアは目眩めまいを覚え、その場で力なくくずおれた。


 ◇◇◇

 

 イスラエル政府は状況確認を迅速に行った。軍を派遣し、オルフェウスでなにが起きたのか調査を始める。

 ダンジョンに近づいた軍人が見たのは、上空に浮かぶ四体の天使。六枚の美しい翼を広げ、地上を見下ろしている。

 その様子を映した映像はすぐIRD本部に送られ、イーサンを始めとした研究員が確認する。


「やはり【白の王】ではないようですね」


 イーサンの言葉に、マヤ・ベルガーは怪訝な顔をした。


「では、あの四体の天使はなんなんですか? 目撃されたことのない個体ですよ」

「恐らく上位の天使でしょう。聖書に出てくる四大天使のようですね。名前を付けるなら、ガブリエル、ミカエル、ラファエル、ウリエルといったところでしょうか」


 淡々と話すイーサンに、他の研究員はもくしたままなにも言えない。マヤは改めて映像を見た。

 四体の天使は浮かんではいるものの、動く気配はない。

 まるでダンジョンを守っているようにも見える。こちらから攻撃しない限り、襲ってこないのだろうか?

 マヤは厳しい表情で映像を睨む。すると、ダンジョンから無数の光が上がってきた。


「あれは……」


 見ている人間の目が釘付けになる。出てきたのは天使だ。オルフェウスの中にいた天使が上がってきたのだ。

 イーサンは眼鏡のブリッジを指で押し上げる。


「通常の天使ですね。凄い数だ。五千はいるんじゃないかな」


 天使たちは次々と空に昇り、上空で輪を作ったあと、一斉に東へと向かった。


「どこへ行くの?」


 マヤは答えを求めて研究員たちを見回す。

 しかし、研究員たちは口を閉じ、ただただ戸惑うばかり。マヤの質問に唯一答えたのは、イーサン・ノーブルだった。


「確信はありませんが……」

「なんですか、イーサン? 天使の行き先に心当たりでも?」

「いえ、確実とは言えません」

「構わないから教えて頂戴」


 毅然とした物言いのマヤに対し、イーサンは降参とばかりに両手を小さく挙げた。


「天使は東に進んだ。だとすれば向かった先は……恐らく日本でしょう」

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