第175話 面会室
二十畳ほどの無機質な部屋。白い壁と天井に囲まれた檻の中で、悠真は悶々と過ごしていた。
この部屋で目覚めてからだいぶ経つが、まだ出してもらえる気配はない。
ベッドの上で仰向けに寝転び、頭の後ろで手を組んだまま天井を眺める。
いつまでこうしてればいいんだろうか? 頭を傾け、なにげに枕やシーツを見る。白く汚れの無い寝具に眉をひそめる。
悠真はこの部屋から一歩も外に出ていない。
それにも関わらず、枕やシーツ、布団が取り換えられているようだ。一体いつ? 寝ている間だろうか?
疑問に思うことは『藤波』に聞いてみるが、のらりくらりと
悠真は
トイレに行こうと立ち上がった瞬間、視界が揺れ、足元がフラつく。立ち眩みだ。
ベッドのフレームにつかまり、しばらく待つ。
最近、こんな風に
悠真は手で頭を押さえつつ、ゆっくりとトイレに向かった。
◇◇◇
「観察五日目……やっぱり効果はあるようだ」
小さな画面に目を落とす男の声。
モニタールームに控えていたのは、男女二人の研究員。男の方、『藤波』は悠真の様子をレポートにまとめるため、キーボードを叩いていた。
五日前から、少量の青酸系毒物を食事にまぜて出していた。
観察する限り、徐々に弱っているように見える。効かなければ神経系の毒物も試す予定だったが、必要なさそうだ。
「上はなんて言ってるの? 毒殺できるのは確実なんだから、さっさとやっちゃえばいいのに」
女の研究員は、缶コーヒーをあおった後、うんざりした表情でつぶやく。
「政府はまだ決めかねてるみたいだ。反対する人間も多いから、ひょっとすると毒殺の話は中止になるかもな」
「なによそれ! もしアイツが暴れ出したら、一番近くにいる私たちが危ないのよ! こっちの気持ちも知らないで好き勝手なことを……」
女は
もう二週間以上、このモニタールームで仕事をしていた。交代制とはいえ、二十四時間観察しつづけるのはさすがにキツい。
女の愚痴に理解を示しつつ、『藤波』はモニター越しの空になったベッドを見る。
今はまだ黒鎧殺害の命令はきていない。だが、いずれ命令は下されるだろうと彼は考えていた。
黒鎧の恐ろしさは充分聞き及んでいる。
だが、その怪物を殺す方法は明確なのだ。政府がこの機会を逃すはずがない。
藤波役の男はモニタールームの隣にある薬剤室に目を移す。そこには国から取り扱いが許可された、毒物・劇物が大量に置かれていた。
◇◇◇
警視庁本部――
留置場の面会室に、舞香の姿があった。狭い部屋にポツンと置かれたパイプ椅子に腰を掛け、目の前のアクリル板を見つめる。
しばらくすると、大股で近づいてくる足音が聞こえてきた。
アクリル板の向こうの扉が開き、大柄の男が入ってくる。
「おお、舞香。すまんな」
「お父さん!」
舞香は立ち上がり、警官に連れて来られた父を見る。
髪はボサボサ、髭は伸び放題。ただでさえ人相の悪い顔が、余計悪くなっている。神崎は対面の椅子に座り、舞香に向かってニカリと笑う。
「いや~勾留されるのは初めてだけどよ。居心地は悪くないぜ。飯の量は少ないが、マズくはねえ」
「もう……お父さんったら」
呆れた顔をしながら、舞香も席に着く。
「留置場でも髭ぐらいは剃れるんでしょ?」
「まあな。でも、せっかくの機会だから伸ばしてみようと思ってな。それで、悠真はどうなった?」
神崎は身をぐいっと乗り出し、舞香に尋ねる。舞香は視線を落とし、フルフルと首を振る。
「ダメ……あれから悠真くんがどこに行ったのか分からないし、解放もされてない。無事でいてくれるといいんだけど」
「そうか……」
神崎は椅子の背もたれに寄りかかり、険しい顔で腕を組む。
思い悩む父を見ながら、舞香も唇を噛んだ。話を聞く限り、悠真くんは人助けしかしていない。
なにも悪いことをしていないのに、拘束されるなんてあんまりだ。
理不尽な現実に憤慨する舞香だが、なにもできない自分に腹がたつ。そんな舞香の様子を見て、神崎が声をかける。
「とにかく、いま俺たちにできることは限られてる。まずは悠真の両親に状況を説明しておいてくれ。本来は俺がしなきゃいけねーが、こんな有様だからな」
神崎はハハと笑い、鼻を掻く。
「うん、そうだね」
あまりにドタバタしすぎていたため、一番大切なことをしていなかった。自分たち以上に、親御さんは悠真くんを心配しているはず。
舞香はガタンと立ち上がり、父を見る。
「会社のことは私に任せて。お父さんはこんなとこ、さっさと出てきてよね!」
「ああ、分かってるよ」
面会を終え、舞香は部屋を出て廊下を歩く。看守にあいさつをして、留置場の扉をくぐった。
帰って行く舞香と入れ替わるように、一人の男が留置場を訪れる。
車から降りた男はパリッとしたスーツを着込み、整えられた髪を撫でる。まっすぐに留置場の正面玄関を見据え、歩き出した。
エルシード社の本田は、やや緊張した面持ちで門扉を通る。
今から会おうとしているのは、評判のすこぶる悪い科学者。人によってはマッド・サイエンティストと呼ぶ者までいる。
扉をくぐった本田は看守に促され、面会室へと足を向ける。
彼女に多くのことを聞かねばならない。三鷹悠真について、もっとも詳細を知る人物。アイシャ・如月に。
◇◇◇
「エルシードのお偉いさんが、私になんの用だい?」
アクリル板の向こう。対面に座るアイシャは気だるそうに頬杖をつく。
本田は姿勢を正し、コホンと咳払いしてから口を開いた。
「まだ博士はご存じないと思いますが、世界各地に
アイシャはわずかに眉を上げ、「ほう」と言って興味を示す。
「しかも、その内の一体【赤の王】が日本へ向かって来ている状況です。恐らく茨城にある『赤のダンジョン』を目指していると思われますが、対抗策がありません。まさに国難、非常事態です」
「それで? その国難とやらが、私と関係あるのかい?」
「博士、伺いたいのは三鷹悠真のことです。私は"黒鎧"として圧倒的な力を持つ三鷹悠真が、現状を打破するカギになると考えています。彼が黒鎧であることを、あなたは知っていたと聞きました。詳しく教えてもらえませんか?」
「聞いてどうする? 彼の処遇は政府が決めるだろう。本田さん。あなたにはなにもできないはずだ」
アイシャはフンと鼻を鳴らし視線を外す。偏屈な人間だとは聞いてが、やはり簡単には答えてくれそうにない。
だが彼女にとって三鷹悠真は特別な存在だろう。それを利用すれば――
「博士、私は与党の議員や専門家会議に出席する一部の研究者とパイプがあります。三鷹悠真が危険ではなく、むしろ国にとって有益だと分かれば、政府に働きかけ彼を自由にすることも可能です」
アイシャはなにも言わず、黙って本田を見ていた。
「博士は三鷹悠真の研究をしてたんじゃないですか? あなたは『黒のダンジョン』の専門家。そして"黒鎧"は『黒のダンジョン』の魔物だ。我々に協力してくれるのであれば、あなたもここから出し、三鷹悠真を今後も研究できるように手配します。どうです? 悪い話ではないでしょう」
話し終わった本田を、変人と呼ばれる研究者は静かに見つめる。
まるで言葉の真偽を確かめるような視線に、本田は冷たい汗をかく。ややあってアイシャが口を開いた。
「なるほど……利益を提示して私を丸め込もうと考えた訳か。打算が透けて見えるが、効果的でもある」
アイシャはニヤリと微笑んだ。
「で、では――」
軽く身を乗り出した本田に対し、アイシャは小さく頷く。
「いいだろう。君の口車に乗ってあげよう。それで、なにが聞きたいんだ?」
本田は口元を緩め、改めて姿勢を正す。
「私が知りたいのは、彼の……三鷹悠真の秘密です。『黒のダンジョン』で変わった魔物を倒し、魔鉱石を飲み込んで"黒鎧"になったとあなたは主張しているようだが、本当のことだとは思えない」
本田は真剣な眼差しでアイシャを見つめる。
「彼はどうやってあんな力を手に入れたんですか? 世界中の誰も見たことのない体の変化。最強の
狭い面会室に沈黙が降りる。なにも言わず頬杖をついたままのアイシャに、本田はゴクリと喉を鳴らす。
ややあって顔を上げたアイシャは、対面の本田を見据えた。
「そんなに知りたいなら教えてあげるよ。【黒の王】について、私が知ることを」
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