第176話 ゴシップ記者

「黒の……王?」


 本田は眉をひそめる。アイシャの発言の真意が分からなかったからだ。


「一年以上前、イスラエルにある【オルフェウスの石板】に大きな変化があった」

「オルフェウスの石板……」


 本田は記憶をさかのぼる。確かに、当時一部の研究者が騒いでいたのを覚えている。

 だが【オルフェウスの石板】に関する情報は事例が少なすぎるため、多くの研究者が眉唾まゆつばものだと否定していた。

 しかし、今回の魔物の出現。石板の変化から、事前に予想されていたという。

 だとしたら以前の『黒の王が討伐された可能性がある』との情報も、信憑性があると考えるべきか。


「まさか……三鷹悠真が【黒の王】を倒したと言いたいのですか?」

「その通りだよ」


 本田はわずかに頭を引く。さすがにそれは有り得ない。一年以上前といえば、三鷹悠真は高校生。まだ探索者シーカーにすらなっていない。

 そんな人間が特異な性質の魔物ユニーク・モンスターの中で最強と言われる【王】を倒したなどと。


「博士、いくらなんでもそれはないんじゃないでしょうか? いま世界で暴れている四体の【王】は、どれもが天変地異……災害そのものです。人間が簡単に倒せる相手とは思えません」


 本田は失望したように首を振る。

 博士はまだ自分を煙に巻こうとしているのか? 信用されてないのか? 本田は色々なことを逡巡しゅんじゅんする。

 そんな本田を見ながら、アイシャはアクリル板に顔を近づける。


「なぜ【黒の王】が現れ、なぜ倒すことができたのか……詳しいことまでは分かっていない。だが、なんらかのイレギュラーがあったと私は考えている」

「イレギュラー?」


 アイシャは頷き、話を続ける。


「本来、世界最大の黒のダンジョンがこの日本に出現するはずだった。それがなにかの手違いで、彼の家の裏庭に現れた。それも恐ろしく小さなダンジョンとして」

「待って下さい。その小さなダンジョンに【黒の王】がいたと言うんですか? 横浜にあった黒のダンジョンではなく?」


 本田は信じられないとばかりに眉をよせる。


「そういうことだ。ダンジョンが小さければ"マナ"が薄く、黒の王は本来の力を発揮できなかった。そんな"王様"を彼は試行錯誤して倒したんだよ。まだ探索者シーカーになる前の素人時代にね」

「し、しかし……その話が本当だとして、彼はなぜ隠したんですか!? 行政に報告すればいい話では」

「バカか君は? エルシードの人間なのに、そんなことも分からないのかい? 彼が攻略したのは他でもない『黒のダンジョン』だよ」


 本田は「うっ」と言葉に詰まる。ダンジョンには様々な関連法規があるが、その中でも『黒のダンジョン』にはもっとも厳しい法律がある。

 入ることも、魔物を倒すことも、魔鉱石を採取することも国の許可がなければできない。

 破れば重い処罰があるうえ、ダンジョン攻略などもってのほか

 意図的に攻略したとなれば重罪に問われる可能性もある。そのためD-マイナーが横浜にある黒のダンジョンを攻略した時、かなりの問題になった。


「正体を隠そうとする理由はそうかもしれません。しかし、そんなに強い魔物を倒しているなら"マナ指数"は相当上がっているはず。探索者シーカーになりたいのなら、エルシードを始め、大手の企業にどうして入ろうとしなかったんですか?」


 実際、探索者になる前の素人であっても、才能があれば高い"マナ指数"を獲得する者はいる。企業もマナの高い人間を優先して採用するため、わざわざ規制の緩い海外に行ってマナを上げようとする人間もいるぐらいだ。

 高いマナがあるなら、それを利用して入社しようとするはず。

 なのに三鷹悠真はそうしなかった。

 不思議に思う本田に対し、アイシャが口を切る。


「測れなかったんだよ」

「え?」本田はキョトンとした表情になる。

「彼の"マナ指数"は測れなかった。常にゼロと表示されてね。だからまともな企業に就職ができなかった」

「ゼロ……ですか? しかし精密な測定器を使えばゼロなんて数字は……」

「彼の"マナ指数"は46万を超えている」

「よっ!?」


 本田は絶句する。マナ指数が46万!? なにを言ってるんだこの人は?

 それは有り得ない数値。公爵デューク君主ロードとは比較にならない、ケタ外れのマナが三鷹悠真にあると言うのか。

 本田はアイシャの顔を見る。人を食った態度を取る人物だが、冗談を言っているようには見えない。


「確かに、そんな数値なら測定器で測れないかもしれません。しかし、それならなぜあなたは数値を知ることができたんですか?」

「私が作った特殊な測定器で測ったんだ。マナの空間測定器を応用して作ったんだけどね。まあ、嘘だと思うなら私の研究所に行ってみるといい。測定器はそのまま置いてあるから」


 アイシャは自信あり気に微笑み、椅子の背もたれに体を預けた。

 事実なのだろうか? そんなバカみたいな"マナ"を持った人間が存在するなど。


「博士、それが本当だとしたら――」


 アイシャは口の端を釣り上げた。


「ああ、世界を滅ぼしうる【四体の王】……倒せるとしたら、彼しかいない」


 ◇◇◇


 東京都内にある出版社、太陽図書。

 ゴシップ誌やWEB記事を上げている小さな会社だが、大衆の心理をくすぐるネタを扱うことで、一部の読者からは熱狂的な支持を集めていた。

 そんな会社にある社会部のドアが開き、記者の田野浦が入ってくる。

 くすんだグレーのワイシャツを着た、疲れた顔の男。

 ボリボリと頭を掻き、周囲を見回す。デスクの上には乱雑に本や資料が積まれ、床に置かれたゴミ箱は溢れかえっている。

 何日も家に帰っていない記者たちが、タバコを吸いながらパソコンに向かい合う。

 相変わらず汚いオフィスだと思いながら、田野浦は笑みを零した。


「おい田野浦! 例の件、裏は取れたのか?」


 窓際のデスクから声が飛んでくる。視線を向けると、そこには孫の手で背中を掻く編集長の郷田がいた。


「ええ、バッチリでしたよ。最近では一番の当たりじゃないですかね」


 田野浦は笑みを浮かべながら、郷田に歩み寄る。肩から下げた黒いショルダーバッグを下ろし、中からスマホとメモ帳を取り出した。


「間違いないのか?」


 郷田が怪訝な顔で尋ねると、田野浦はニヤリと微笑む。


「あの日、あの場所にいた関係者に聞きましたからね。証言も録音してますよ」


 田野浦はコンコンと指でスマホを小突く。


「政府に捕まった"黒鎧"、!」

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