第305話 絶望の光景

 空を覆い尽くしていたのは"波"だった。

 途轍もない高さの大波が、街の上空に迫っている。とても自然現象とは思えない。

 ハンスはどうしていいか分からず足を止めた。

 隣でレイラがなにか叫んでいたが、耳には入ってこない。この大波は回避できないだろう。ハンスはグッと唇を噛んだ。

 こんなことができるのは【青の王】ぐらいしかいない。恐らく街の半分を飲み込んだ波も、ケンブリッジの街を壊滅させたという"氷の波"も【青の王】の魔法。

 そうとしか考えられない。やはり無駄だったのだ。

 人間が万物の頂点に君臨する【王】に逆らうことなど……。

 ハンスは辺りを見回す。誰もが空を見上げ、絶望した顔をしている。

 全員助けたかったが、もはやどうにもならない。

 ハンスは目を閉じ、祈ることしかできなかった。


 ◇◇◇


 急に暗くなったため、上空を見たルイは絶句する。

 そこには縦に伸びた大波があった。【青の王】が使っていた魔法だ。だとしたら近くにいるのか!?

 あんな波が落ちてきたら、ここにいる人たちは一溜まりもないだろう。

 ルイは襲いかかってきた魚人を一瞬で細切れにし、振り返って大声を出す。


「悠真! まずいよ!!」


 悠真は煙が出ているハンマーを持ち上げ、肩に乗せる。

 戦っていた巨大な飛竜は、体の半分が蒸発していた。もはや再生する様子もない。

 辺りの道路も黒こげになっているところをみると、【火魔法】を使ったことは容易に想像できる。

 例え"水"に相性の悪い"火魔法"でも、圧倒的な魔力差があれば通用する。

 それに火で水を蒸発させてしまえば、再生するのも困難になるだろう。悠真に取っては最善の戦い方だ。

 ルイがそんなことを考えている間に、悠真は空を睨んでなにかを決意する。


「ルイ、みんなをできるだけ遠くへ移動させてくれ! そのあと"魔法障壁"を使って守るんだ!」

「なにか策があるの?」

「ああ、なんとかしてみる!」


 力強く答えた悠真に、ルイはコクリとうなずき背を向けた。

 避難している人たちの元まで走り、先頭にいるハンスに声をかける。


「ハンスさん、みんなをなるべく遠くに! そのあとは探索者シーカーの"魔法障壁"で守ります!」

「し、しかし、そんなことであの大波は防げんぞ!」

「大丈夫です! 悠真が……悠真がなんとかしてくれます!!」


 ルイの自信に満ちた表情に、ハンスは反論できなくなる。うつむいて少し考えたあと、すぐに顔を上げた。


「分かった。君たちを信用しよう、全員こっちへ!」


 ハンスは再び市民を先導し、走り始めた。

 ホッと息をついたルイは振り返り、悠真の様子を見る。蒸気が噴き上がり、風が渦巻く。

 悠真の周辺で大量の魔力が放出されていた。

 ルイは圧力を感じて、一歩、二歩と後ろに下がる。

 悠真の異変は、上空にいた明人も感じ取っていた。


「ええい、何匹おんねん! こいつら!」


 雷撃で"青の飛竜ブルードラゴン"一匹を地上に叩き落とすと、下にいる悠真が目に入る。

 まるで火山口が噴火するような、を明人も感じ取っていた。


「なんや、なにする気なんや? アイツ……」


 危機感を抱いた明人は、槍に乗ったまま上昇していく。

 すると、まだ残っていた二匹の"青の飛竜ブルードラゴン"が突っ込んできた。


「邪魔や、邪魔!!」


 明人は空中で槍を掴み、落下しながら横に薙いだ。

 矛先が竜の腹を斬り裂き、爆発したような雷撃を叩き込む。竜は白目をいて地面に落ちていく。

 明人は「よっ、と」と声を上げ、槍の上に飛び乗った。

 槍を攻撃に使う時は飛行できない。そのため槍に乗った状態で魔力を流し込み、再び上昇させる。

 十メートルほど昇ったところで、最後の飛竜が襲ってきた。


「まったく、しつこいヤツらやで」


 明人は槍の矛先六つを発射する。独立して飛んでいく矛先は、雷の魔力を帯びながら飛竜に向かっていった。

 飛竜はかわそうと上昇するが、六つの矛先も同じような軌道を辿る。

 追尾するホーミング弾のごとく竜を追いかけ、最後は飛竜の体に刺さって【雷】を流し込む。感電した竜は動けなくなり、そのまま落下していく。

 地面に激突した瞬間、砂へと変わり絶命した。

 戻ってきた六つの矛先がゲイ・ボルグにドッキングすると、明人はふと空を見る。目に入ってきたのは途轍もない高さの大波。


「……なるほど、そういうことか。せやったら、ここにおったらあかんな」


 明人はニヤリと笑い、今いる空域から退避する。

 その場に残されたのは悠真だけ。大勢の人が自分から離れたことを確認した悠真は、左手にあるキマイラの宝玉を見た。

 赤と緑に輝く二つの宝玉が、先ほどから激しく反応している。

 だとすれば、近くに【青の王】がいるのだろう。

 だったらここで決着をつけるまで! 悠真は左手を高々とかかげた。


「来い! 【赤の王】アウルス・ヴェノム!!」


 体の芯から燃えるような魔力が吹き上がる。

 この力を使う時、体内に。それは巨人化する時も同じだ。

 もしかすると、本当に

 そんなことを思いながら、悠真はせり上がる魔力に身を委ねる。

 黒い体がボコリと膨らみ、徐々に巨大になっていく。全身は黒からメタルレッドへと変わっていった。

 首が伸び、尻尾が生え、大きな羽が広げられる。

 現れたのは灼熱の竜。ギラつく瞳で空を睨み、凶悪なあごからはチリチリと火の粉を漏らす。


「ウオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 空気を震わす咆哮。街全体に鳴り響き、多くの人の耳にも届いた。


「なんだ!?」

「あ、赤い竜がいる!!」

「また魔物が出てきたぞ!」


 驚いた人々が悲鳴のような声を上げる。

 ハンスも足を止め、遠くに現れた竜に視線を向ける。エンシェント・ドラゴンにも見えるが、明らかに大きさが違う。

 通常のドラゴンより、何倍も大きい。

 なによりここまで焼けるような熱気が伝わってくる。

 こんな竜がいるのか!? 唖然とするハンスを尻目に、竜はゆっくりと首を持ち上げ、上空を睨らむ。

 その時、辺りの空気が変わった。

 周囲の温度がさらに上がり、呼吸をするのも困難なほど。


 ――なんなんだ、一体!?


 ハンスが顔を歪めた瞬間、竜は空に向かって火球を放った。

 その衝撃で爆風が巻き起こり、全員が吹き飛ばされそうになる。ハンスはレイラを支えながら必死に耐え、空を見上げた。

 放たれた火球は大波に衝突、カッと瞬き大爆発が起きる。

 まずい! と思ったハンスは魔法障壁を展開する。近くにいた探索者シーカーたちも、同じく魔法障壁を張り、人々を守ろうとする。

 だが、爆発の衝撃は凄まじく、多くの者が吹き飛ばされてしまう。

 ハンスも五メートルほど後ずさったが、なんとか耐えきることができた。

 バッと顔を上げ、空を見る。


「……そんな……まさか……」


 ハンスは唖然した。街を覆い尽くそうとしていた大波が、跡形もなく消えていたからだ。

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