第109話 限界突破の理由

 木曜の朝。時計が鳴る前に目を覚ました悠真は、ベッドの中でもぞもぞと寝返りをうち、目覚ましが音を立てるまでウトウトと微睡んでいた。

 ピピピピと鳴り出した時計の頭を叩いて、ムクリと起き上がる。

 目は半開きで、瞼はなかなか上がらない。手の甲で目を擦りながら辺りを見る。

 今はどのダンジョンにも入れないため、社長からは今日、会社を休みにすると言われていた。

 もっとゆっくり寝ててもよかったが、明日からは茨城だ。

 今日中にやっておきたいことがあったため、悠真はパンッと両頬りょうほほを叩き、ベッドから降りて出かける準備を始めた。


 ◇◇◇


 東京都大田区。

 何度となく訪れたアイシャの研究所。その前で悠真は工場の外観を見上げていた。

 さびついてめくれたトタンが、風になびいてカタカタと揺れている。今日は空が曇っているせいか、ボロボロの建物がいつもより物悲し気に見える。

 悠真は扉に手をかけるが、鍵がかかっていた。


「アイシャさーん! いますか? 三鷹です」


 返事はない。建物の周囲も閑散としており、静けさの中に風の音だけが聞こえる。

 悠真が、今日ここへ来たのは二つ理由があった。

 一つは連絡にまったく出なくなったアイシャを「あいつ死んでんじゃねーのか?」と神崎が心配したためだ。

 自分が行っても会おうとしないだろうと、悠真に確認を頼んできた。


「でも会ってくれるかな……」


 鍵のかかった扉から二歩下がって、周囲を見渡す。入れる場所がないかと、工場の壁沿いを歩き裏手に回る。

 アイシャに会いたいもう一つの理由は、自分の能力のことを知りたかったからだ。

 キマイラを倒した力は、恐らく‶デカスライム″に関係があるものだろう。神崎はアイシャなら何か知っているかもしれないと言っていた。

 自分の持つ能力のことは、できるだけ知っておきたい。

 悠真は工場の裏手にあるドアに手をかける。

 アルミサッシでできているようだが、薄汚れて歪んでいた。ノブを回してみると、鍵はかかっていたがガタガタと開きそうになる。


「これ、いけそうだ」


 悠真は力を入れて、何度かドアノブを引っ張ってみる。するとガチャッという大きい音と共に、ドアが開いた。

 どうやら壊れたようだ。「あとでアイシャさんに謝らないとな」と呟きながら、悠真は工場内を進んで行く。

 いつも作業している部屋を覗くが、アイシャはいない。


「アイシャさーーん! 三鷹です。いませんかーー」


 悠真はさらに奥に進み、廊下の先にあった部屋の扉を開く。そこは薄暗い部屋だったが、奥に明かりが灯っており、人の気配があった。

 足元には紙や本、雑多な日用品が転がっていて、かなり散らかっている。


「アイシャさん、いますか?」

「……ん?」


 初めて声が聞こえてきた。


「アイシャさん、俺です。三鷹悠真です」

「おお、悠真くん……どうしたんだい?」


 奥からアイシャの声は聞こえるが、姿は見えない。「入っておいで」と言われたので悠真は足元のゴミを避けながら、声の方へと進む。


「音沙汰が無いって社長に聞いたんで、心配で……」


 そう言って悠真が目をやると、部屋の奥、布団の上でブランケットにくるまったアイシャがいた。いつもの白衣ではなく、グレーのスウェットを着ている。

 顔はやつれ、目の下の隈は普段よりも濃く見える。


「あ、あの……大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だよ」


 アイシャはすぐ隣にあるスチールの棚から、眼鏡を手に取りそのままかけた。

 初めて見る眼鏡姿。普段はコンタクトなんだろうか?


「最近は精神的影響か……やる気が起きなくてね。布団の上で生活しているよ。悠真くん、君は大丈夫だったかい? 怪我の具合は?」

「いえ、俺は全然平気です! ピンピンしてますよ」

「そうか……それなら良かった」


 アイシャは指で眼鏡のブリッジを軽く持ち上げ、悠真を見る。


「今日、ここへ来たのは……本当に私のことを心配しただけかな?」


 なにかを見透かすような鋭い眼光。悠真は「い、いえ、実は……」と神崎から全てを聞いたとアイシャに告げた。


 ◇◇◇


「そうか……鋼太郎から全部聞いたのか」

「はい、驚きましたが……」


 しばしの沈黙があったが、アイシャは一つ溜息をついて口を開く。


「すまなかったね。本当のことを言わなくて」

「い、いえ……それは別にいいんですけど」

「言えば君が大手に行ってしまうと思ったんだよ。私の研究には君の力が是が非でも必要だったからね。失う訳にはいかなかった」

「は、はあ……」

「まあ、結局調子に乗り過ぎて、最も重要な研究場所を失ってしまったんだが」

「すいません。俺がキマイラを倒したせいで……」

「いやいや」


 アイシャはフルフルと頭を横に振る。


「君のおかげで生きて帰って来ることができた。感謝してるよ、まだお礼を言っていなかったね。ありがとう、悠真くん」

「俺なんて気を失ってただけですから、本当に大変だったのは社長だと思いますよ」

「あいつに礼を言う気は一切ない! 金を払ってるんだから、依頼者を守るのは至極当然だ」


 アイシャは冷たい目で言い切った。


「そうだ、悠真くん。君が持っている能力について、私が知っている範囲で分かることを教えよう」

「あ、はい! お願いします」


 悠真はまさに聞きたかった話が出てきたので、姿勢を正した。


「君の庭に出てきた金属スライムは、間違いなく【深層の魔物】だ」

「深層の……魔物ですか?」

「そうだ。君は‶マナの壁″という言葉を知っているか?」

「はい、聞いたことがあります。人によって成長する限界が違うとか」

「そう、その通り。魔物を倒し続けても、マナ指数が一定に達すると、それ以上増えない限界ラインだ。強い探索者シーカーはこの限界ラインが高い位置にある」

「はい」

「だが、それはだ」

「え?」

「【深層の魔物】の場合、どれだけ倒しても必ず一定のマナが獲得できる。すなわちマナの壁が存在しない」

「そうなんですか!?」


 悠真は驚きの表情を見せる。初めて聞く話だ。


「とは言え、マナが低い状態で【深層の魔物】に勝てる訳がない。大勢の探索者シーカーと共闘して倒すことはできるだろうが、効率が悪すぎる。結局、低層と中層の魔物を倒していかにマナを上げておくかが、探索者シーカーとしてやっていくための境目になる」

「じゃ、じゃあ、俺のマナ指数が高いのって」

「君の場合、最初から【深層の魔物】を倒し続けていた。だから『マナの壁』は関係なかったってことだよ。とっくの昔に限界ラインを超えているだろうからね。今後は深層の魔物以外をいくら倒してもマナは上がらないと思うよ」


 そうだったんだ。マナ指数が46万もあるって聞いて『マナの壁』はどこいったんだと思ってたけど、そういうことなら納得できる。


「でも金属スライムが深層の魔物だとしても、それを倒していただけでそんなに高いマナ指数になるんですか? 高すぎるんじゃ……」

「それは金属スライムが特殊な魔物だからだよ。マナを獲得できる割合が他の魔物より圧倒的に高い。前例のない特徴だが、間違いないだろう」

「そうなんですか」


 悠真は眉間に皺を寄せ、顎に手を当てて考え込んでしまう。


「じゃあ、『色付き』のスライムや、デカスライムも特殊な魔物ってことですよね。特にデカスライムのことが気になるんですけど……」


 アイシャは居住まいを正し、眼鏡の位置を直す。


「恐らく、そのスライムは特異な性質の魔物ユニーク・モンスターと呼ばれる魔物だろう」

特異な性質の魔物ユニーク・モンスター?」

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