第368話 血塗られた王の力

『なんだ……あれは!?』


 大猿の咆哮により、地面を覆い尽くしていた氷が割れていく。

 声の衝撃だけで氷を砕くなんて。

 なにより悠真を驚かせたのは、大猿の体に流れる"光の筋"だ。血塗られたブラッディー・鉱石オアとは明らかに違っていた。

 より太く、より強い輝きを放ち、なにより赤紫という独特の光。

 大猿の体になにが起きてるんだ!?

 悠真が警戒心を高めていると、大猿の姿が突然消えた。


『え?』


 驚くと同時――顔に衝撃が走る。

 なにが起きたのか分からなかったが、目の端に大猿の残像が映った。信じられない速度で動いている。

 足を踏ん張り、倒れそうになった体を支える。

 構えを取って前を見た。赤紫の光を放つ、人型の怪物。全身からうっすらと蒸気をくゆらせ、大猿は肩を上下に揺らす。

 明らかに異常な状態。あれがヤツの奥の手なのか? 恐らく『血塗られたブラッディー・鉱石オア』の上位互換にあたる能力。

 まともにやり合えば分が悪い。

 悠真は一歩足を引き、全身に"風の魔力"を流す。相手は魔法を使えない。

 それが突破口になるはずだ。悠真は"風"を纏った拳で殴りかかった。

 爆風を巻き起こし、あらゆる物が吹き飛ばす拳。しかし、大猿はかまわず突っ込んでくる。

 巨人同士が激しくぶつかり合うも、勝負は一瞬で決まった。

 悠真が放った右の正拳に対し、大猿がカウンターを合わせてきたのだ。鋼鉄の巨人の頭がね、たまらず後ろに下がる。

 大猿はさらに肘打ち、裏拳、ローキック、そして膝蹴りと、立て続けの攻撃を繰り出してきた。

 悠真は吹っ飛ばされ、岩壁に背中をぶつける。

 あまりの衝撃に動きを止めると、前蹴りを叩き込まれた。体がくの字に折れるが、大猿の攻撃は止まらない。

 さらにアッパーがあごに入り、跳ね上がった頭に左の回し蹴りが炸裂する。

 もはやなにをされているのか認識できないまま、悠真はよろめき、後ろに下がる。

 怒濤の追撃は容赦なく続く。

 両拳によるラッシュが腹に打ち込まれ、悠真はすべなく後ろに倒れる。

 大猿は飛び上がり、上から蹴りを浴びせてきた。

 悠真は体をひねってかわしたが、大猿の足は地面にめり込み、周囲を盛大に破壊する。とんでもない力だ。

 フラつきながら立ちがろうとするも、大猿に蹴り上げられる。

 鋼鉄の巨体は宙を舞い、五十メートル先の岩壁に激突する。悠真は地面の上に倒れ、動かなくなった。

 その様子を見ていたルイと明人は、絶句して固まってしまう。


「なんや……なんなんや、あの魔物! 強すぎるやろ!!」


 取り乱す明人の隣で、ルイも顔を歪める。


「巨人状態の悠真が一方的にやられるなんて……あの魔物、ひょっとして【黄の王】より強いんじゃ……」 


 ゴクリと息を飲むルイたちが見つめる先、突っ伏した悠真がピクリと動き、起き上がろうとしていた。

 だが、大猿はそんな悠真の頭を踏み潰す。地面に亀裂が走るが、大猿は気にすることなく、何度も踏みつけた。

 最後は悠真の首根っこを掴み、思い切り放り投げる。

 岩壁にぶつかった悠真は、ズルズルと地面に落ちてきた。尻をついた状態で項垂うなだれる巨人。

 悠真は座ったまま、静かに思考を巡らせる。


 ――こんなに強いなんて……。まったく歯が立たない。


 格闘戦も、魔法による攻撃も効かなかった。残った攻撃法法は……。

 大猿がゆっくりと歩いて来る。目の前に立ち、頭を掴みかかろうとした時、悠真の瞳がギラリと光った。

 全身からウニのような『トゲ』が伸びる。その数は数百本、当たれば確実に相手の体を貫く。

 悠真が得意とする攻撃だったが、大猿はすんでのところで後ろに飛び退き、攻撃を回避してしまう。


『まだだ!!』


 液体金属が地面を這い、影のように伸びた。大猿の真下まで行くと、影から一斉に『トゲ』が飛び出す。

 その数、千本近く。今度こそ殺った――と思った瞬間、大猿は大きく飛び上がり、これも回避してしまう。


『くっ……そ、ダメか……』


 悠真は顔を歪め、歯噛みする。相手の反応速度が思った以上に速い。

 悠真はよろめきながら立ち上がり、大猿を睨む。通常の打撃、魔法攻撃、トゲによる攻撃。全てが通じなかった。

 それは大猿を倒す方法がないということ。圧倒的な戦闘能力。悠真は認めるしかなかった。この大猿は、自分よりも強い。

 悠真が構えを取ると、大猿の体がゆらりと揺れた。

 目で追えないほどの移動速度。大猿は残像を生み出し、拳を振り上げ襲いかかってくる。ガードを固めた悠真だったが、異次元の猛攻の前では無駄だった。

 腕をね上げられ、剛拳を顔に叩き込まれる。そこからは一方的だった。数百発の拳が、顔や胸、腹や腕にめり込む。

 嵐の如き暴力を、悠真はただ耐えるしかなかった。

 これがヴァーリンの上位種。【猿の王】とも呼ぶべき魔物の力。

 なにより『血塗られたブラッディー・鉱石オア』を大きく上回る"超パワー"は、全てを凌駕し粉砕してくる。

 『王の血脈』とも言うべき異常な力だ。 

 悠真は岩壁に叩きつけられ、さらに大猿のラッシュを受ける。衝撃で岩壁に亀裂が入り、地面が割れていく。天井さえボロボロと崩れてきた。

 ダンジョンが崩壊しそうな力に、悠真だけでなく、ルイと明人も青ざめた。


 ◇◇◇


「あの姿……」


 明人が見つめる先にあったのは、悠真を叩きのめす大猿の背中だ。

 背中の筋肉が盛り上がり、まるで"鬼"の顔に見える。その顔に光の筋が走り、より禍々まがまがしい形相になっていた。

 ルイと明人は立ちすくみ、前に出ることができない。

 戦いに巻き込まれれば、間違いなく命はないだろう。遠距離から攻撃したところで、あの大猿に当たるとは思えない。

 ルイは刀を持つ手に力を込める。


 ――なにもできないなんて……。せめて、一瞬でも魔物の注意を引ければ。


 ルイが動こうとした時、明人が「待て!」と手をかざして止めてくる。


「明人! でも、このままじゃ……」

「分かっとる! せやけど無鉄砲に出て行っても殺されるだけや。あの魔物はワイらがどうこうできる存在ちゃうで!」


 明人の言葉に、ルイはグッと唇を噛んで一歩下がった。

 確かに、助けに行ったところで殺されるのがオチ。ルイはなにもできない自分に、言い様のない苛立ちを覚えた。

 そんなルイを一瞥いちべつし、明人は戦いに視線を戻す。


「ワイの知る限り、接近戦でもっとも強いんは、悠真か【黄の王】や思っとった。でもあの大猿は、それを遙かに超えとる。ホンマ、世界は広いで! こんなおもしろい魔物がおるんやからな」

呑気のんきなこと言ってる場合じゃないよ! このままじゃ悠真が殺されちゃう!」


 悲壮感すら漂うルイに対し、明人はニヤリと笑って視線を向ける。


「心配することないで。見てみい、悠真を」


 ルイはハッとして悠真に目を移す。一方的に殴られ続け、一切抵抗できていない。

 最悪な状況のはずなのに――

 ルイはチラリと見えた黒い巨人の目に息を飲む。

 絶望するどころか虎視眈々と機会をうかがう獣の目。なぜかは分からないが、ルイの瞳にはそう映った。


「悠真はまだ……諦めていない!」

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