第299話 大海蛇とイギリス軍

 宙に浮かんだ氷塊が一斉に襲いかかってくる。

 軍人は逃げようとするが、恐ろしい速度で飛んでくる氷塊をかわせず、何人もの人間が氷に押し潰され死んでしまう。

 凍った波に揺蕩たゆたうクジラの化け物は、大きな口を開けた。

 それは絶対零度に近い【死の吐息ブレス】。クジラの吐き出す息に触れたものは、生物も車も建物も一瞬で凍り付いた。

 軍の小隊が壊滅し、もはや動く者はいない。

 クジラは氷の中を泳ぎ、別の場所へと移動した。


 ◇◇◇


「魔物との戦闘は探索者シーカーに任せて、我々は住民の避難に全力を注ぐ!」

「「はい!」」


 部下に指示を出していたのは、偵察から戻って来ていたアンドリューだ。彼も政府からの命令を受け、直ちに住民の避難にあたっていた。

 アンドリューは周囲を見渡し、溜息をつく。

 道路はすでに水浸みずびたしになっていた。この辺りが水没しているのは明らかだ。


 ――この状況では水の魔物が大量に来るだろう。逃げ切れるのか?


 悲観的なことを考えていた時、副隊長のローガンから声をかけられる。


「隊長! 西側の通りから"魚人"、東の通りから"大海蛇シーサーペント"が来ていると報告がきました。このままでは避難している住民に追いつかれます。どう対処しますか?」


 アンドリューは一瞬悩んだ。本来なら探索者シーカーに対処を任せたいところだが、魔物があちらこちらに現れている今の状況ではすぐに来れまい。

 とは言え、大海蛇シーサーペントほど強力な魔物は自分たちでは倒せない。

 しばし逡巡して答えを出す。


「部隊を三つに分け、一つ魚人の迎撃に、二つを大海蛇シーサーペントにぶつけろ! ただし、こちらは時間稼ぎだ。探索者シーカーが来るまで持たせればいい。すぐに班を分けろ!」

「は、はい!」


 ローガンが背を向けて走り出す。部隊の人間と話し合い、分けるチームを決める。

 魚人を迎え撃つためには移動する必要があるが、大海蛇シーサーペントを倒すのであればここで待っていればいい。アンドリューは当然、大海蛇シーサーペントを倒す部隊に入るつもりだった。

 探索者シーカーですら多大な犠牲を払わないと倒せない海の化け物。

 その大海蛇シーサーペントに、自分たちの持つ武器がどこまで通用するだろうか?

 アンドリューは自分の足が震えていることに気づく。やはり無謀なのだろう。それを自覚しているからこそ、震えが止まらないのだ。

 小銃を握る手に力が入る。


「隊長、班分け終了し、一つを西の通りに向かわせました」

「……そうか、分かった」


 アンドリューは小銃を構え、東の通りを睨む。

 残ったのは二十人ばかりの部下たち。正直、この戦力では歯が立たないだろう。それでもやるしかない。


「気を抜くな。敵が現れたら一斉射撃だ!」

「「はい!!」」


 全員が銃を構える。

 広がる静寂。だが、少しづつなにかが聞こえてくる。水の音。こちらに向かってくる水の音だ。

 東の通りから水が溢れ出し、水嵩みずかさが増していく。

 水と共にうねるようにやって来たのは巨大な蛇。大海蛇シーサーペントだ。ここまで間近で見るのは初めてだったため、軍人たちは一様にたじろぐ。

 しかし、アンドリューだけは前に出た。


「怖じ気づくな! ここを通したら民間人に被害が広がる。必ずここで止めろ!!」

「はい! 全員、射撃用意!」


 ローガンの号令で銃口が向き、「撃て!!」の掛け声で一斉射撃が始まった。

 "雷"の魔力を帯びた弾丸が大海蛇シーサーペントの体表に突き刺さる。苦しげな鳴き声を上げ、大蛇は鎌首を持ち上げた。

 口を開け、魔力を集め出す。


「まずい! 散開、散開しろ!!」


 アンドリューが絶叫するも、反応できたのは十人ほど。残りは回避が一瞬遅れてしまう。

 大海蛇の"水の吐息ブレス"が隊員に襲いかかった。五人に直撃し、圧力で吹っ飛ばされてしまう。

 全員が壊れたおもちゃのように転がり、二度と立つことはなかった。アンドリューは唇を噛む。

 軍人は探索者シーカーとは違う。魔物の攻撃を受ければ、防御するすべはない。

 倒れた隊員が死んでいることは明らかだ。それでも引く訳にはいかない。


「全員、散開しながら発砲を続けろ! 絶対に水の吐息ブレスに当たるなよ!!」


 隊員たちはアンドリューの指示に従い、互いの距離を開けて大海蛇シーサーペントを囲い込んでいく。

 魔物の吐息ブレスで一人が死ぬ間に、無数の弾丸を叩き込む。そんな決死の戦いを繰り広げていた。

 だが残りが七人ほどになり、大海蛇シーサーペントの足止めも難しくなってくる。

 アンドリューはチラリと腰のグレネードを見た。この武器を大海蛇シーサーペントの口の中で爆発させることができたら……。

 そのためには自分から食われに行くしかない。

 アンドリューはグッと唇を噛み、指示を出す。


「ここは私がなんとかする! お前たちは退避して、住民の避難にあたれ!」

「し、しかし隊長!」


 ローガンが目を見開き、反論しようとするが、アンドリューはそれを手で制す。


「ここに残っても全員死ぬだけだ。逃げ延びれば、探索者シーカーと合流できる可能性は高くなる。行け!」


 二人が口論している間にも大蛇は口を開け、水の吐息ブレスを吐き出した。

 全員がそれをすんでのところで避ける。なかなか当たらないことに痺れを切らせた大蛇は頭から突っ込んできた。

 狙われたのはアンドリューだ。


「危ない! 隊長!!」


 ローガンがアンドリューを突き飛ばした。その瞬間、大蛇の鋭い牙がローガンの体を貫く。

 ゆっくりと首を持ち上げると、大量の血がしたたり落ちた。


「そんな……ローガン!」


 長年苦楽を共にした部下の死。それでも悲しんでいる暇はない。


「退避! 退避!!」


 これ以上、なにもできなかった。部下を先に逃がし、自分がしんがりを務める。

 アンドリューは腰のグレネードを握りしめ、走りながら追ってくる大海蛇シーサーペントを睨んだ。


 ――さあ、私を食え! その時がお前の最期だ!


 大蛇が口を開け、突っ込んで来た。アンドリューが死を覚悟した時、周囲に稲妻が走る。大海蛇シーサーペントの顔が斬り裂かれ、鮮血が飛び散った。

 若い金髪の女性が宙を舞っている。

 

「もう一撃だ!!」


 さらに別の人間が大蛇の首に斬りかかった。首は深々と斬られ、こちらからも大量の血が流れ落ちる。

 地面に着地した二人の人間に、アンドリューは見覚えがあった。

 どちらも探索者集団クランのリーダー。シャーロット・ベイカーとハンス・デイビスだ。

 シャーロットは剣を構えたまま振り向き、アンドリューと視線を合わせる。


「遅れてすいません。あとは私たちが引き受けます!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る