第298話 水の魔物の進撃

 深海を泳ぐ大きな影。【青の王】はゆっくりと暗い海を進んでいた。

 後ろからは多くの"魔物"がついてくる。【青の王】が率いている訳ではない。勝手について来るだけだ。

 悠然と泳ぐ海の支配者は、他の生物の動きなど気にしなかった。

 六本の触手を動かし、少しづつ海を昇っていく。辺りが明るくなり、水面が見えてきた。

 巨大な魔物が水面から浮上すると、大きな水飛沫が跳ねる。

 海面が落ち着くと、【青の王】は六本の触手を高くかかげ、左右に回しながら周囲の状況を確認する。

 青の王には目がなかった。この触手で空間の"マナ"を感知し、物の場所や生物の動きなどを正確に把握する。

 この六本の触手こそ【青の王】の目であり、耳であった。

 その触手を使い、数キロ先に大地があることを認識する。多くの生物がいることも分かる。

 自分たちとは性質が違う生物。

 だが、強い"マナ"を持つ個体もいる。【青の王】は本能的に理解していた。

 あの大地に巣食う数多あまたの生物は、自分と敵対する存在であることを。

 殺さねばならない。一匹残らず。

 大量の魔力を海に放出する。海面がうねり、大きな波となる。自分は大地の上で行動できない。

 しかし、あの大地に行く方法はある。

 何度か試したことのある

 この方法なら自分自身が大地に移動し、大量の生物を殺すことができる。【青の王】はゆっくりと海に体を沈めた。

 波がさらに高くなり、海全体が荒れ狂う。

 海そのものが移動して陸地に襲いかかる。何層にも重なり合った波は百メートルを超える高さとなり、大地を飲み込む。

 大勢の生物が住まう場所を破壊すると、【青の王】は水に魔力を込めた。

 波は次第に凍ってゆき、大波のままの形で動きを止める。逃げ惑う小さな生物も、多くが冷凍状態になって死んでいく。

 自分の後ろについてきた"水の魔物"たちは、我先にと氷の中を泳いで内陸に入っていった。

 ヤツらは次々と小さな生物に襲いかかり、殺していく。

 だが、この小さな生物を殺すのは自分の役割だ。【青の王】はそう考え、凍った大波の中を悠々と泳ぐ。

 自分が通ろうとすれば氷が解けて水になり、通りすぎればまた氷に戻る。

 この中であれば安全に進むことができる。

 【青の王】は氷の中を進みながら、そんなことを考えていた。


 ◇◇◇


 その日、ロンドンにある『氷の王国アイスキングダム』は最悪の事態におちいる。


「おい……なんだ、あれ?」

「え?」


 最初に気づいたのは、街の外にいた軍の人間だった。遥かに遠くの地平から波が向かってくる。

 それは途轍もない高さの津波だった。

 平地を飲み込み、街を飲み込み、勢いそのままにこちらにやって来る。


「す、すぐに報告しろ! すぐにだ!!」


 津波を確認した軍人は、短距離で使えるトランシーバーを使い『氷の王国アイスキングダム』内部に連絡。

 街の外で起こっている異常事態は、軍、政府、探索者シーカーたちへと伝わっていった。


「どういうことなの!? 津波が向かって来てるって?」


 キングス・カレッジ病院にいたイギリスの首相レイラ・エバンズは、部下から上がってきた突然の報告に戸惑いを隠せなかった。


「そ、そのようです。ケンブリッジを襲った大波と同じものかもしれません!」

「そんな……」


 レイラは右手で頭を抱え、力なく執務室の椅子に腰を落とす。

 魔物であれば迎撃できる兵器はある。だが津波など防ぎようがない。どうしてこんなことに。どうして……。

 その時、シャーロットの言葉が頭をよぎった。


 ――首相、魔物は日々数を増し、その生息域を拡大しています。もし一斉に襲ってきたら『氷の王国アイスキングダム』の防御は崩壊し、突破されます!


 その時が来たというの!? あの探索者シーカーが言っていた通りに……。

 レイラは頭を振り、部下に向かって指示を出す。


「とにかく、住人の避難を優先しなさい! それから軍と探索者シーカーたちに厳戒態勢を取らせて! すぐに!!」

「は、はい!」


 部下である官僚は足早に部屋を出ていった。レイラは嘆息し、椅子の背もたれにもたれかかる。

 今すぐ逃げたいところだが、簡単にはいかない。

 首相である以上、他の閣僚の目もある。内部からの突き上げで辞任に追い込まれる可能性があるのだ。

 レイラは苦笑する。苦労して手に入れた首相の座。魔物なんかのために手放す訳にはいかない。

 ふらつく足で立ち上がり、窓際に近づく。

 外を眺めれば、信じられない高さの津波が目に入った。


「あれが……」


 大波の向こうになにかいる。クジラのような、異様な生き物が。


 ◇◇◇


 それは暴力そのもの。海が"津波"となって襲ってきたのだ。

 あらがすべなどない。ただ逃げ惑い、悲鳴を上げるしかなかった。

 

「く、来るぞ!!」


 高台に避難しようとしていた軍人が声を上げる。

 荒ぶる波は"氷の門"を破壊し、力ずくで押し流す。氷で覆われた建物も飲み込み、街の半分を喰いつくしていった。

 水に全てをさらわれるかと思った時、うねる波は一瞬で凍りついた。

 。地面に広がった水も凍り始め、魔法で作った"氷"とは違う、別の"氷"が街を支配していく。

 人々の避難は間に合わず、多くの者が氷に捕らわれ、命を落とした。


「早く! 早く逃げるんだ!!」


 街の人を逃がしていた軍人たちだったが、凍った大波からことに気づいた。

 それは大量の魔物。魚人にカニ、大きな蛇のような魔物もいる。


「全員! 戦闘態勢!!」


 号令と共に軍人たちは魔物に銃口を向ける。通常の銃ではない。【魔法付与武装】を応用して作られた対魔物用の兵器だ。


「撃て!!」


 小銃から発射された弾丸は、微弱な"雷"を帯びていた。銃弾を受けた魔物は血を噴き出し、もだえながら後ずさっている。


「効いている! 効いてるぞ!!」


 小隊規模で行動していた軍人たちは、手応えを感じて前進した。

 魚人は苦しみながら後退していく。銃が効きにくい硬い甲殻のカニや大きな蛇にはグレネードを投げつけた。

 "雷の魔宝石"が使われているため、強烈な雷撃が魔物に襲いかかる。

 カニや蛇は感電し、ピクピクと痙攣してから動かなくなった。この強力な武器がある限り、この『氷の王国アイスキングダム』は簡単には落ちない。

 軍人たちが士気を上げ、自信を深めた時、巨大な影が周囲を覆った。

 ふと見上げれば、凍った大波の上にクジラのような生物がいる。あまりの大きさに軍人たちは言葉を失う。

 クジラは六つある触手をタクトのように振るい、空中にいくつもの氷塊を生み出した。とがった氷塊の切っ先がこちらを向く。

 それは人々にとって、けられない絶望の始まりだった。

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