第297話 氷の津波

 ハンスが去った会議室では、今後の都市防衛について各閣僚が集められ、話し合が行われていた。

 現在のイギリス政府は非常時につき、議会は停止され、現政権の意向だけで政策が決定される。それは事実上、この会議室に集まった十一人の閣僚かくりょうによって全ての決定がなされることを意味する。

 いつも通り閣議が問題なく終わり、首相のレイラはホッと息をつく。

 世界が魔物に浸食される前、彼女は支持率の低下に頭を痛めていた。しかし、今は選挙も停止され、自分が政権の座から降ろされることはない。

 不幸中の幸いと呼ぶべきだろうか? レイラは自嘲気味に笑う。

 こんなことがなければ、選挙に負け、自分は責任をとらされて野に下っていただろう。

 あとはこのまま無難にやり過ごすしかない。

 国民に不安を与えず、不満を抱かせず、自分に非難が向かないようにすればいい。

 魔物をどうするかなど、国連なりアメリカが考えればいいことだ。

 自分が無理をする必要はない。それがレイラの考えだった。

 そんなレイラが席を立ち、会議室を出ようとした時、突然扉が開いて誰かが飛び込んできた。


「た、大変です!」


 慌てた様子で叫んだのは役所の人間のようだ。「なに? 一体」と思い、眉をひそめていると、男は耳を疑う話をする。


「ケンブリッジの街が。住民は全て殺されたそうです!!」

「なっ!?」


 閣僚たちが全員呆気に取られる。それはそうだろう。ケンブリッジはここより北にある内陸部。津波に襲われるなどあり得ない。

 それに"氷の津波"とはなんだ? 疑問に思うレイラを無視して男は話を続ける。


「軍の調査部隊がすぐに確認に行きましたが、大量の魔物にはばまれ、多くが命を落としたとのこと。魔物が内陸に入り込んでいるのは間違いありません!」


 レイラは苦々にがにがしい表情をする。それはハンスたち探索者シーカーがしつこく言っていたこと。それが現実になったというの?

 ただ静かに政治家を続けたいだけなのに……ハンスも魔物も、なにもかもが自分の邪魔をしてくるように思えた。

 レイラは苛ついた表情を見せないよう、男に指示を出す。


「とにかく! 街の守りを固めなさい。魔物は一匹も中に入れないで、国民の命と安全を守るのよ!!」

「は、はい!」


 男は踵を返して走り去る。レイラはもう一度席に座り直し、大きな溜息をついて、顔を両手で覆った。

 ――なんとしても守らなければ……


 ◇◇◇


「なるほど……状況はだいたい飲み込めたで」


 街の一角にあるビルに、悠真とルイ、明人は身を潜めていた。ガラス張りビルはオシャレな造りで、五階のオフィスからは街がよく見える。

 もし魔物の襲撃を受けても、ここならすぐに気づくだろうというのがルイの意見だった。悠真と明人もそれに納得し、ここで話をすることにした。


「にしても、政府から嫌われて追い出されるなんてな。悠真はどこ行っても『疫病神』扱いやな」


 ケラケラ笑う明人に、悠真は「うるさいな」と顔をしかめる。


「なんにせよ、これからどうするかが重要や。魔宝石が手に入らんのやったら、こんなとことっとと出て、他の国に行くべきや」

「そう簡単じゃないよ。白の魔宝石を渡すと言った国は少ないし、その中でも魔宝石の量が多い国なんてもっと少ないよ。他の国に行くより、イギリス政府を説得する方が現実的だと思う」


 ルイの話に、悠真は黙って頷くしかない。

 イギリス以外の国では、マナ指数の高い魔宝石は用意できないだろう。用意できるとしても、マナ指数が数百から多くて千程度の魔宝石だけ。

 集めるには効率が悪すぎる。

 やはりルイの言うとおり、イギリスでなんとかしたいところだけど……。


「要するに、イギリス政府にもっと危機感を持ってもらって。ワイらの力が必要やと認識させればいいんやな」

「それはそうだけど……明人、なにか作戦でもあるの?」


 ルイに問われて、明人はニヤッと笑う。


「それやったら、たぶん、なんにもせんでいいと思うで」

「どういう意味?」


 ルイが怪訝な顔で聞き返す。


「簡単な話や。ワイはここに来る前に、イギリスの街を空から観察しとったんや。まあ空中旅行なんて人生で初めてやからな」


 ドヤ顔で語る明人に、ルイは「それで?」と話の先をうながす。


「いくつか変わったもんが見れたで。一つは氷に覆われた街があったことや。お前らが入ったちゅう『氷の王国アイスキングダム』やな。でも、同じような街が三つはあったで」


 ルイと悠真はシャーロットの言葉を思い出す。イギリス国内で氷の防御を敷いた街はいくつかあると言っていた。

 それぞれに数百万人の国民を受け入れ、守っていると。

 明人が見たのはその街のことだろう。


「せやけど、もっと驚いたんは【氷の大津波】や」

「氷の大津波って……さっき魚人や大海蛇が移動してきた氷のことか?」


 悠真が口を挟むと、明人は「ちゃうちゃう」と首を横に振る。


「あんなもんやない。もっと巨大なヤツや! 街をまるごと飲み込むほどの、巨大な氷の津波があっちこっちにあった。あれやと大型の魔物も内陸部にガンガン来れると思うで」

「じゃあ……」


 ルイが険しい顔になる。


「ああ、魔物の進行はもう始まっとる。お前らがいた『氷の王国アイスキングダム』が魔物の襲撃を受けるのも時間の問題や。恐らくはここ数日のうちに……下手したら今日にでも襲われるかもしれへんで」


 明人の言葉に、ルイと悠真はお互いの顔を見交わした。

 それが本当なら、イギリス政府が自分たちの力を必要とする可能性は高い。


「魔物に襲われそうになったら、俺たちが助けに行くってことだな」

 

 悠真が「よしっ」と意気込んでいるのを見て、明人は「はあ~」と息を吐く。


「お前はどこまで行ってもお人好しやな。すぐに助けに行ってどないすんねん」

「え? どういうことだよ?」


 戸惑っている悠真に、明人は頭を振ってから答える。


「ええか? 向こうはワイらの力をいらんちゅうてきたんや。それなのにホイホイ助けてどないするんや」

「じゃあ、どうすれば……」


 明人は悠真に向かい、ニヤリと悪魔的な笑みを浮かべた。


「助けるにしても、相当な犠牲が出てからや。忘れたんか? ワイらは人助けするために旅してる訳やないんやで」

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