第89話 迷宮の守護者

「なにかいるな……」


 社長が岩から覗いて呟く。悠真も同じように覗くが、なにも見えない。モヤの中に消えてしまったようだ。


「ここからじゃ分からない。もっと近づかないと」


 後ろからアイシャが不満気に言ってくる。社長は短く嘆息し、さらに先にある石柱に進んで身を隠す。

 全員が息を殺し、細心の注意を払う。

 ここにいる魔物は、このダンジョンで最も強いはずだ。もしも突然襲われれば命はない。悠真はそう思いながら辺りを見回す。

 モヤのせいで魔物の姿は確認できない。――だが、確実になにかいる。

 悠真は巨大なものの気配を感じていた。


「もう一つ向こうの石柱に行く。悠真、いつでも『金属化』できるように準備しておけよ」

「はい!」


 三人は足音に気をつけながら、次の石柱まで移動する。

 するとモヤの隙間から、の姿がわずかに見えた。異様な大きさに、真っ黒でとても硬そうな外殻。体中にトゲのような突起物もある。

 だが、モヤのせいで全体像が確認できない。

 写真を取ろうとスマホを構えていたアイシャが、チッと舌打ちする。


「これじゃあ全然見えない。もっと近づこう!」


 アイシャは移動している魔物を見ようと、岩陰から身を乗り出す。その時、足元にあった小石を蹴ってしまう。

 ――カツンッ

 小さな音。だが、静かだった洞窟内に響き渡る。

 移動していた巨大な影がピタリと止まった。空気が張りつめ、悠真たちは動けなくなる。

 ゆっくりと振り返るように、黒い体躯が動く。

 それにともないモヤが揺らいだ。魔物を覆い隠していた赤白いモヤのベールは取り払われ、その巨躯があらわになる。

 それは大蛇のごとき姿。頭から尻尾の先までは四十メートルはあるだろうか。

 キングコブラに似た鎌首をもたげ、長い蛇腹の胴体にはムカデのような足がビッシリと生えている。

 そのおぞましい姿に悠真と社長は息を飲む。

 だが、誰よりも驚いていたのは他ならぬアイシャだった。


「あれは……」


 アイシャの顔色はみるみる変わっていく。


「すぐにここを出るぞ! 早く!!」


 急に言われ、面食らう社長と悠真。アイシャが先に行ってしまったため、仕方なく上階に繋がる坂まで走る。悠真がチラリと振り返った。

 魔物はその場に留まって動こうとしない。

 やはり羽虫のように小さな生き物など、気にもしていないのだろうか?

 充分な距離を取り、降りてきた坂まで辿り着く。すると前を走っていた社長とアイシャがはたと立ち止まった。

 二人は呆然と立ち尽くしていたため、悠真は――なんだ? と思い、覗き込むと、そこにはさっきまであったはずの‶坂″がない。


「え?」


 悠真は意味が分からず、社長とアイシャを見た。二人とも蒼白な顔で坂があったはずの場所を凝視している。


「おい、これって……場所が間違ってる訳じゃねーよな」

「……ああ、ここで間違いない。それに、上を見てみろ」


 アイシャに言われて社長は視線を上げる。赤白いモヤは洞窟全体を覆っているが、沈殿しているため、上にある壁沿いの坂は見えるはずだった。だが――


「ない……ないぞ! どこにも!!」


 社長が絶叫する。悠真も上を見回すが、どこにも螺旋状に下って来た坂はない。


「どうなってんだアイシャ!? なんで帰り道がなくなったんだ!」

「私だって分からん! 一度入ったら出られなくなる場所など、聞いたこともない。そもそも最下層まで到達することが稀だからな。データ自体が少ないんだよ」


 社長が苛立った様子で振り返ると、その顔に恐怖の色が浮かぶ。

 悠真も同じように振り返る。先ほどまで動きを止めていた魔物が、こちらに向かって移動していた。モヤが再び広がったせいで姿はハッキリと見えないが、間違いなくこちらに向かって来ている。


「おいおい、マズイぞ!」


 社長はアイシャの腕を取り、悠真と走ってその場を後にした。

 近くにある石柱に身を潜め、相手の様子を窺う。

 静寂が訪れた洞窟内に、ガサガサ、ガサガサ、と巨大な魔物が移動する音だけが響き渡る。

 

「おい! どうすんだよ!? このまま出られないんじゃ、いずれアイツに殺されちまうぞ!!」


 社長は声を殺しつつ、アイシャに尋ねた。だがアイシャは黙ったまま石柱に背中を預け、その場に座り込む。

 体育座りの格好のまま、両手で顔を覆った。


「アイシャ……」

「アイシャさん」


 社長と悠真は立ち尽くしてアイシャを見つめる。この状況を打破できる知識を持つのは彼女しかいない。


「……あの魔物を倒すことができれば、ここから出られるかもしれない」

「ホ、ホントか!?」


 社長が聞くと、アイシャは項垂れたまま話を続ける。


「ここは恐らく、一度入った獲物を逃がさないようにする場所なのだろう。まさに蟻地獄だ。だが、最下層の魔物を倒してしまえば二十四時間以内にダンジョンは消えてしまう。

「だったら、俺があいつを倒します!」


 悠真が力強く答えるが、アイシャは目を閉じたまま首を横に振る。


「無理だ……あの魔物は倒せない」

「あの魔物を知ってるのか!?」


 社長が驚いた顔で聞くと、アイシャはこくりと頷く。


「私は『黒のダンジョン』で確認された魔物は全て覚えている。はオーストラリアにある世界で最も深い黒のダンジョン‶タルタロス″で目撃された魔物だ」

「どんな魔物なんだ?」


 眉を寄せながら聞いてくる社長に、アイシャは落ち込んだ様子で答える。


「当時はまだ黒のダンジョンの調査が頻繁に行われていた頃だった。オーストラリアの上位探索者シーカー五十人が集まった大規模な探索者集団クランが作られ、百七十階層までの攻略に成功していた。そして百七十一階層で、と出会ったんだ」


 深刻な表情のアイシャを見て、悠真はゴクリと喉を鳴らした。

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