第347話 生存者

「う……うぅ……」


 悠真はゆっくりとまぶたを開く。辺りは薄暗く、ここがどこなのか分からない。

 頬にはザラザラとした砂がつき、全身に痛みが走る。なにが起こったのか思い出せず、ただただ混乱する。


「ここは……?」


 悠真はなんとか上半身を起こし、辺りを見回す。穏やかな波が足に当たっていた。どうやら砂浜のようだ。

 なんとか立ち上がろうとするも、まだ体は自由に動かない。

 それでも足に鞭打ち、よろめきながらも必死に立ち上がる。

 体は動かしにくいものの、大きな怪我はしてないようだ。悠真は右手を胸に当て、回復魔法をかけていく。小さな傷は一瞬で消え、少しだけ気分が良くなった。

 改めて周囲を見渡すと、空が厚い雲に覆われていることが分かる。辺りが薄暗いのはそのせいだ。

 砂浜に人の姿はなく、ここにいるのは悠真だけだった。


「なんだ? 潜水艦に乗ってたはずなのに……ルイたちはどうした?」


 訳が分からず立ち尽くしていたが、ここにいてもしょうがないと思い、悠真は歩き始める。

 不自由な体を必死に動かし、砂浜から小高い丘を登る。

 頂上に辿り着いた時、視界が開け、遠くを見渡すことができた。そこには立ち並ぶビル群があったが、全て倒壊している。

 凄惨な光景に、悠真は眉をひそめた。


「ここが……オーストラリアなのか? だとしたら、潜水艦は沈没したってことか」


 悠真は背筋が寒くなるのを感じた。潜水艦にはルイや明人、アリーシアを始め、百人近くの乗組員がいたはずだ。

 ルイや明人が簡単に死ぬとは思えないが、アリーシアや乗組員は分からない。

 潜水艦が沈没した場合、最悪、全員が死んでてもおかしくない。悠真は不安を覚えながら、あてもなく歩いた。


「魔物に襲われたのか……それとも事故?」


 悠真は目を閉じ、右手で頭を抱える。記憶が完全に欠落していた。

 もしも大きな事故があったなら、どうして自分は生きてるんだろう。そんな疑問を抱きつつ、市街地に向かって歩みを進める。

 近づいてくる街並みは、無残なまでに崩壊していた。

 コンクリートの道路はヒビ割れ、建物の多くは崩壊している。魔物に襲われたのは間違いない。

 生き残った人間がいないか探してみるが、人の気配はまったくなかった。

 それでも誰かいないかと、悠真はかなりの距離を歩き続ける。不自由な体は悲鳴を上げ、次第に立っていられなくなる。


「く……そ、限界か」


 悠真は倒壊したビルの壁にもたれかかり、ずるずると腰を下ろす。

 座り込むと、そのまま動けなくなった。顔を上げ、遠くに目をやれば、雲の切れ間から沈みゆく夕日が見えた。

 ただでさえ暗かった周囲が、よけい暗くなっていく。

 これからどうしていいか分からず、悠真は途方に暮れていた。そんな時――


「ん?」


 かすかな音が鳴る。聞こえてきたのは建物の向こうにある路地からだ。

 魔物か? とも思ったが、そんな感じでもない。悠真は動けなかったため、ジッと建物の角を見つめていた。

 すると少女が顔を出し、恐る恐るこちらを覗いている。

 悠真は少し驚いたが、「お~い」と少女に向かって手を振った。少女はビクッと体を震わすものの、建物の陰から出て近づいてくる。

 十二、三歳ぐらいだろうか。ブロンドの髪をした白人の少女で、赤いチェックのワンピースを着ている。

 現地の子供だろう。悠真はなるべく怖がらせないように、笑顔で手招きした。警戒しながら三メートルほどの距離まできた少女は、悠真に話しかけてきた。


「あ~ごめん。俺、全然英語が分からないんだ」


 イヤホン型の翻訳機はない。ルイのように日常会話ぐらいできればいいが、悠真のリスリング能力は絶望的に低い。

 悠真は身振り手振りを交えながら、少女とコミュニケーションを取ろうとする。

 少女もそのことを理解し、あっちあっちと指差してきた。どうやら向こうに生活拠点があるようだ。

 なんとか立ち上がり、ゆっくりと歩く。

 悠真の体が不自由なことに、少女はすぐに気づいた。悠真の手を取り、案内しようとする。

 悠真は「ありがとう」とお礼を言い、少女と共に路地裏を歩いた。


 ◇◇◇

 

 しばらく歩いた先にあったのは、商業施設のような場所だった。

 ショッピングモールだろうか。比較的損傷は少なく、建物は原型をとどめている。少女は自動ドアを手でこじ開け、そのまま中に入っていく。

 悠真も同じように扉をくぐるが、少女は小走りで先に行ってしまった。

 まだ右足を引きずる悠真は、走って追いかけることができない。ゆっくりと歩いていくと、少女が大人の女性を連れて戻ってきた。

 デニムを履いた黒髪の若い女性。二十代後半ぐらいだろうか?


「あの、ここの人ですか?」


 悠真は日本語で話しかける。通じないことは分かっているが、無言でいる訳にもいかない。

 大人の女性は目を見開いて悠真を見る。


「あなた日本人なの? 私も日本人よ」


 女性は少し興奮したように言う。悠真も日本語で返されたことにテンションが爆上がりした。


「そうなんですか! いや、良かった。英語が全然分からないんで、すごく困ってたんですよ」


 悠真が嬉々として答えると、女性も笑顔になり、すぐ後ろにいる少女に英語で説明する。少女はコクコクと頷き、悠真を見た。

 目が合った悠真は少女に話しかける。


「ありがとう。ここまで連れて来てくれて。すごく助かったよ。ところで、この子、名前はなんていうんですか?」


 黒髪の女性は「ああ」と言って少女の頭を撫でる。


「この子はルナ。現地の子なの。あなたが怪我をしてたから、心配してここに連れて来てくれたんだと思う」

「そうか、ルナか。いい名前だ」


 悠真が右手を差し出すと、ルナは小さな手を出し、握手を交わしてくれた。悠真は女性に視線を向ける。


「俺は三鷹って言います。あなたは……」

「あ、私は安斎。オーストラリアには留学で来てて」

「大学生なんですね。俺より年上だ」

「三鷹さんはこの辺に住んでたの?」


 当然のように聞いてきた安斎。悠真は「いえ」と首を振る。


「俺、アメリカから来たんです。でも仲間とはぐれちゃって」

「え!? アメリカ? いつ頃来たの?」

「今日、着きました」

「今日!?」


 安斎は驚いて口をポカンと開く。信じられないといった表情だが、言葉が通じない少女は、ただ不思議な顔をして悠真を見つめるだけだった。

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