第260話 小さな影

 インドを出発して九日目。ルイはトラックから降り、道路標識をスマホで写す。

 画像の文字は自動で翻訳され、日本語の地名が表示された。ルイはバッグから世界地図を取り出し、地名の場所と照らし合わせる。

 今はGPSが使えないため、カーナビが役に立たない。

 トラックで移動する際は、インドでもらった方位磁石コンパスで方向を調べ、細かい場所は町に入ってから確かめることにしていた。

 時間はかかるが、これ以外の方法がない。

 ルイはトラックに戻り、運転席に乗り込んで悠真に声をかける。


「ここはルーマニアの都市『デーヴァ』だったよ。国境までもうすぐだから、予定通りの進路を来てるね」

「そうか……このまま行けば、あとどれぐらいでドイツに着くんだ?」

「う~ん、そうだな。あと四、五日ぐらいかな」

「四、五日か、まあ、無事に着いてくれればいいけど」

「大丈夫だよ。さあ、行こう!」


 ルイはエンジンをかけ、トラックを前に進める。それを見た悠真は、申し訳なさそうな顔をした。


「悪いな。ずっと運転させて。俺が代わってもいいんだけど……」

「いいよ。悠真は不器用だから、事故を起こされても困るし」


 フフフと笑うルイに、悠真は「なんだそれ!」と不機嫌になる。

 その後も色々なことがあった。深い地割れに遭遇し、大きく迂回しなくてはならなくなったり。トラックのタイヤがパンクし、取り換えるのに四苦八苦したり。

 魔物の群れに襲われ、倒すのに時間がかかったり。

 さらに悠真が大便をしようと雑木林に入り、パンツを下ろして気張っていると、大型のネズミにお尻を噛まれ、血だらけで逃げ回るはめになったり。

 そんな幾多のトラブルを乗り越え、とうとう辿り着いたのが――


「やった! 国境線を越えてドイツに入ったよ!!」

 

 道路標識の文字を地図で確認したルイが声を上げる。悠真も「よしっ!!」と拳を握った。

 インドを出発して十五日目。ようやく目的地のドイツに到着した。

 これもトラックとガソリン、食料を用意してくれたダーシャたちのおかげだ。悠真は深く感謝する。


「あとはドイツ政府とコンタクトを取るだけだね」


 ルイは地図を確認して、ドイツの首都ベルリンに向かってトラックを走らせる。悠真は流れゆく景色を見ながら、今後のことを考えていた。

 このドイツで"白の魔宝石"をもらえても、それだけでは足りない。

 最終的にはイギリスに行って魔宝石を獲得しないと、マナ指数は30000に達しないのだ。

 ドイツ政府がどんな要求をしてくるのか詳しいことは分からないが、早く片付けてイギリスに行かないと。

 はやる気持ちを抑えつつ、悠真はベルリンに思いをせた。


 ◇◇◇


 トラックから降りた悠真とルイは、絶句したまま立ち尽くす。

 ベルリンの街は壊滅し、無残な姿をさらしていたからだ。建物は焼け焦げ、倒壊して形をなくしている。

 ここまで酷いと、どこからがベルリンで、どこからが違う街なのかまったく分からない。


「魔物に襲われたってことだよね」


 ルイが絞り出すように言う。悠真はしゃがんで地面に落ちている瓦礫がれきを拾った。

 ブロック塀の一部だろう。黒くすすけ、所々が溶けている。相当な温度で熱されなければこんなことにはならない。


「火属性の魔物……か」


 悠真の頭に浮かんだのは、旅の途中で出会ったファイアードレイクだ。

 炎を吐くドラゴンが集団で襲って来たなら、確かにこれほどの被害が出てもおかしくない。

 東京が【赤の王】に襲撃された時のことを思い出す。

 あの時も街は壊滅状態だった。同じことが起こったのか? 悠真は下唇を噛み、ゆっくりと立ち上がる。


「人を探そう。ドイツ政府がどうなったか聞かないと」

「……そうだね。生き残ってる人は、きっといるよ」


 ルイと悠真は手分けして人を探すことにした。ルイはトラックで移動し、街の南側を捜索する。

 悠真はエンシェントドラゴンに変身して、上空から見つけようとした。

 三十分以上が経過して二人は合流するが、どちらも人どころか、猫一匹発見することはできなかった。


「まさか、壊滅したんじゃないだろうな? 政府どころかドイツの国ごと」


 悠真が不安を吐露とろすると、ルイは「そうとは限らないよ」と首を振る。


「インドだって政府は無事だった。ドイツ政府も政治家たちが別の街に移ったのかもしれない。探し出そう、なるべく早く!」

「……ああ、そうだな」


 ルイと悠真はトラックに乗り込み、ベルリンを後にする。地図に載っている大きな街に目標を変えるが、トラックから見える風景は悲惨なものだった。


「今まで通ってきた国の中で、一番酷いかもしれない」


 ハンドルを握りながら、ルイは眉間にしわを寄せる。

 悠真も同じことを思った。イギリスは【青の王】の生息圏に近いと聞いていたため、被害は酷いだろうと予想していた。

 だが、ドイツはなにに襲われているのか分からない。

 なにより問題なのはドイツに入ってから、

 そして――


「悠真、気づいてる?」

「ああ、この国はヤバいな」


 悠真は真剣な眼差しで車外を見る。人間がいないことも問題だが、それ以上に問題なのが、


。この国に来てから、まだ一匹も見てないぞ」


 国中がこれほどの被害に遭っているのだ。魔物がそこら中に跋扈ばっこしていてもおかしくない。

 それなのに見かけないとはどういうことだ?

 悠真は怪訝な顔のまま、流れてゆく街並みを見る。その時、一瞬視界の端になにかを捉えた。


「ルイ、止めろ!」

「え? あ、うん」


 ルイは急ブレーキをかけてトラックを止めた。悠真はドアを開け、跳ねるように車外に飛び出す。


「悠真!」

「誰かいた! 探してくる」


 悠真はそのまま走り、倒壊した建物を回り込んで、裏路地のような場所に足を踏みいれる。


「どこ行った?」


 辺りを見渡していると、十メートルぐらい先で物音がした。悠真はすぐに駆け出し、角を曲がる。

 すると、また人影が見えた。

 小さな背中。大人ではない、子供だ! 悠真は後を追い、瓦礫を飛び越えて民家の庭を走る。

 家の扉や窓は壊れているため、中に入ることができる。

 ハッとして見れば、子供は家の中を抜け、向こう側の窓から外に出ていた。


「くそっ!」


 悠真も家の中に入り、リビングと思われる場所を通って外に出る。顔を左右に振れば、逃げていく子供の背中が見えた。


「まってくれ! 俺は敵じゃない!!」


 必死に叫ぶ。だが、相手がイヤホン型翻訳機を付けていなければ、こちらの言葉は分からない。

 人影は小さな建物に入った。悠真も後を追って建物に入ると、そこは雑多に物が置かれた倉庫のような場所だった。

 子供はドラム缶の後ろに隠れ、こちらを覗いている。

 悠真はゆっくりと近づき、声をかける。


「大丈夫だから、こっちにおいで」


 ドラム缶の陰にいる子供の姿が見えてくる。十歳くらいの男の子だ。

 カタカタと震える両手で握っていたのは拳銃だった。


「え?」


 パンッ、と乾いた音が鳴り響く。

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