第302話 液体化能力

 首相のレイラが避難しようとしていた『ジ・オーバル』周辺は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。


「お、おい! 撃ちまくれ! 近づかせるな!!」


 避難所の警備にあたっていたイギリス軍が一斉に発砲する。地上では魚人やワニなど、水陸両性の魔物が襲って来ていた。

 空からは"青の飛竜ブルードラゴン"が何匹も舞い降り、水の吐息ブレスを放出する。

 戦車や戦闘車両が押し潰され、人間はすべなく吹っ飛んでいく。レイラは、あわあわと四つん這いになって逃げようとした。

 路上はすでに水浸しになっており、手足はビチャビチャ。

 それでもレイラは構うことなく必死に逃げようとする。


「しゅ、首相!」


 後ろから追って来たのは警護のSPだ。レイラは鬼の形相でSPに掴みかかる。


「ちょっと! 探索者シーカーはどうしたの!? なんで助けに来ないの?」

「わ、分かりません。恐らく各地に出現した魔物と戦っているものと……」


 サングラスをかけたSPは懸命に説明するが、レイラの怒りが収まる様子はない。


「ハンスを呼びなさい! あの男に私を守らせるの!!」

「私では連絡が取れません。救援が来るまで、どこかに隠れているしか……」

「ええい! 役に立たないわね!!」


 レイラはSPを突き飛ばし、四つん這いのまま逃げようとする。

 頭を上げれば青の飛竜ブルードラゴンが放つ"水の吐息ブレス"の餌食になる。とにかく身を低くして逃げなければ。

 レイラがそう思って車の陰に入り、周囲を見渡していると、空におかしなものがいることに気づく。

 青の飛竜ブルードラゴンよりかなり大きいが、形はよく似ている。


 ――なんなの? あの竜は?


 レイラがいぶかしんでいると、巨大な竜は

 全身が水に変わり、滝のように地上に流れ落ちる。軍人たちはなにが起きたのか分からず、呆気に取られて困惑した。

 そして水はゆっくりと軍人たちの足元へ流れていく。

 誰もがどうしていいか分からずたじろいでいると、足元の水がどんどん凍り始めていった。


「お、おい、なんだこれ!? 動けないぞ!」

「誰か、助けてくれ!」


 それぞれが悲鳴を上げる中、目を覆いたくなるような現実が目の前に広がる。

 凍った水溜まりから、氷柱に似た突起物が飛び出してきた。その氷柱は軍人の体を易々やすやすと貫いた。


「ぐっ……あ……」

「なんだよ……こいつは」


 軍人は体や口から血を噴きだし、次々に倒れていく。

 車の陰からその光景を見ていたレイラは、あまりのことに言葉を失う。恐怖が込み上げ、そこから一歩も動けなくなった。

 氷は溶け出し、また水に戻っていく。

 流れ出た水は一カ所に集まり、盛り上がって球体を形作る。その球体は形を変え、巨大な飛竜に姿を変えてしまった。

 信じられない。水に変化する竜など聞いたことがない。

 そのうえ氷にも変化するなんて……。レイラはあの魔物がもっとも危険だと理解し、なるべく離れようとした。

 だが目の前の水溜まりにちゃぽんっと手をついた瞬間、巨大な飛竜が反応する。


「キィィィィィィィィィィィィィィィ!!」


 空気を切り裂くような金切り声。巨大な飛竜はドタドタと歩きながらこちらに来る。

 もうダメだ。殺される――そう思った時、聞き覚えのある声が飛んできた。


「おおおおおおおっ!!」


 周囲が明るくなった。見れば巨大な飛竜の頭に斬撃を叩き込む者がいる。

 稲妻を纏った剣に斬られ、飛竜はたじろいで数歩下がる。空中で身をよじり、着地したのはハンスだった。


「ハンス!!」


 レイラが大声で叫ぶと、ハンスは頬を崩す。


「首相! ご無事でしたか、すぐに安全な場所まで誘導します! しかし、その前に……」


 ハンスは巨大な飛竜に剣を向けた。それを見たレイラは慌てて立ち上がり、車の脇を抜けて大声を出す。


「その竜は『水』に変化するわ! それに『氷』にも変わってしまう。戦えばきっと殺されるわよ!!」


 レイラの言葉に、ハンスは苦笑する。


「氷魔法が使えるだけじゃなく、水にも変化できるのか……それは厄介ですね」

「だから戦っちゃダメ! すぐに私を連れて逃げなさい!!」

「それは無理です」

「え!?」


 レイラはハンスの答えに驚いた。


「ど、どういうこと!?」

「首相、周りを見て下さい」


 落ち着いた口調でハンスが言う。レイラが辺りを見回せば、周囲は魚人など水の魔物に囲まれており、上空には何匹もの青の飛竜ブルードラゴンがいる。

 そのうえで巨大な飛竜が睨みを利かせているのだ。

 確かに、簡単に逃げ出せるような状況ではない。


「じゃ、じゃあ、どうすれば……」

「心配はご無用。首相、私は一人ではありません。心強い仲間がいますから」


 ハンスの言葉を聞き、レイラは巨大な飛竜に目を向ける。すると、ビルの陰から一人の軍人が飛び出し、小銃を構えた。


「こっちだ! 化け物!!」


 軍人が銃を連射すると、銃弾が巨大な飛竜を捉える。

 しかし、弾は透明な飛竜の体に飲み込まれしまった。やはり水でできた体なのだ。あれではダメージを与えることはできない。

 レイラがそう思った瞬間、飛竜の体に取り込まれた弾丸が光を放つ。

 バチバチと体の外まで放電しているようだ。あれは【雷】の力を帯びた特殊な銃弾。

 これにはさしもの飛竜も嫌がったようで、体をくねらせ、おおおんと唸って発砲してきた軍人を睨む。

 鎌首をもたげ、怒っているようだ。

 巨大な飛竜を撃った軍人は、ゆっくりと後退し、そのまま逃げていく。飛竜は逃がすまいとあとを追った。

 凄まじい速度で蛇行しながら道なりに進む。

 人間が逃げ切れる速さではない。レイラがもうダメだ、と思った瞬間、上から声が聞こえてきた。


「はあああああああ!!」


 レイラが視線を上げれば、ビルの上から人が飛び降りてくる。あの高さから落ちては助からない! そう直感したが、落下する人間から黒い稲妻がほとばしる。


 ――あれは、探索者シーカーなの!?


 稲妻を纏う人間は、真下にいた巨大な飛竜の頭を斬りつける。

 雷鳴が轟き、飛竜の頭が跳ねた。相当なダメージがあったようで、悶えながらあとずさっている。

 攻撃した探索者シーカーは何事もなかったように路上に着地した。見たことのある女性の探索者シーカーだ。

 あの高さから落ちても死なないなんて……。レイラは改めて探索者シーカーの身体能力に舌を巻く。ハンスも駆け出し、飛竜を挟み撃ちにする。

 二人の探索者シーカーが剣を振り上げた瞬間、巨大な飛竜に変異が起きる。体がピキピキと凍り始め、全身からトゲのような氷柱がいくつも伸びる。

 その切っ先がハンスの喉元に迫った。

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