第237話 ダブル・クラス

 二百七十階層――

 

「おおおお、さすがにキツイで! ここまで来ると」


 明人は雷槍を振るって虫の群れを薙ぎ払う。それほど大きな虫ではなかったが、雷撃を受けてなお体を再生させ、向かってきた。


「この辺りにいる【深層の魔物】は再生速度が早いんだ! なるべく急所を狙って攻撃して!!」


 ルイが大声で叫ぶ。明人はともかく、必死で戦う悠真に余裕はなかった。


「そんなこと言われても……」


 風の魔力を持つ魔物に対して、"風の魔法"はそれほど相性が良くないため、悠真の真空魔法の威力も半減していた。

 唯一効果を上げていたのはルイの火魔法だけ。

 悠真と明人の二人が苦戦していると、「ひゃっひゃっひゃ」と特徴的な笑い声が聞こえてくる。


「まだまだじゃの、その程度の魔物に時間を取るなど」


 アニクが右手に持った扇を振るうと、無数の飾り羽が宙を舞う。地上と空中から襲いかかって魔物の群れに飛んでいくと、正確に頭を貫いていった。

 本来、風魔法に不利なはずの雷魔法による攻撃。

 それにも関わらず、全ての魔物は一撃で砂となる。


「やるやんけ、あのジジイ」


 口の悪い明人に苦笑しながら、悠真は目の前の敵を倒していった。


 ◇◇◇


 二百七十九階層――


「うわっ!!」


 ルドラが斧を落とし、右腕を押さえてうずくまる。おびただしい血が流れていた。

 眼前にいる魔物は、二トントラックほどの大きさはあろう巨大なカミキリムシ。長い触覚を探るように動かし、口をギギギギと鳴らす。

 アニクを始め、孔雀王マカマユリのメンバーがすぐに助けに入った。

 ルドラは火魔法を使う探索者シーカー。この『ドヴァーラパーラ』を攻略するにあたってはかなめになる人物だ。

 アニクの飾り羽による攻撃で敵の注意を引き、孔雀王マカマユリの三人が魔物に切り込んでいく。

 長い槍を持つヒンディが水魔法を帯びた穂先で虫を貫き、細い剣を構えたラシは、風魔法を纏った剣でカミキリムシの首を切り裂く。

 さらに青年アールシュは、雷魔法を流した棍棒を槍投げの要領で投げ放つ。相手の背中にぶつかると、落雷のような衝撃が広がる。

 カミキリムシは弱々しい声を上げ、絶命して砂へと変わった。

 魔物が死んだのを確認すると、アニクたちはルドラの元へと駆けつける。


「大丈夫か? ルドラ」


 アニクが心配そうに聞く。ルドラは「申し訳ありません」とこうべを垂れた。


「見せてみい」


 アニクがしゃがんでルドラの腕を見る。傷口は思いのほか深く、出血は止まっていない。


「これは酷いのう……毒を持つ魔物ではなかったようじゃが、このままでは出血死してしまうわい」

「傷口を焼いて血を止めます」


 顔を歪めながら言うルドラに、アニクは険しい表情になる。


「そんなことをすれば、右腕は二度と使えんようになるじゃろう。なんとかしてやりたいが……」


 孔雀王マカマユリの面々が沈黙していると、後ろから声がかけられた。


「あの……よかったら俺がましょうか?」


 アニクが振り返ると、そこにいたのは悠真だった。


「診る? おぬし、医術の心得でもあるのか? これはそうそうに治せるような傷ではないぞ」


 深刻さが分かっておらん。そう思って諭したアニクだが、悠真は「いや、医者じゃないんで医術のことは分からないですけど」と言い、ルドラのかたわらに腰を下ろす。

 困惑するアニクたちをよそに、ケガをしている右腕に手の平をかざした。

 手からは光が溢れ出し、やさしくルドラの体を包む。


「これは……」


 ルドラは驚いて口を開けた。出血は止まり、傷はみるみるうちに治っていく。

 その様子にアニクを始め、孔雀王マカマユリの誰もが息を飲む。


「回復魔法……おぬし、救世主メサイアじゃったのか!?」


 アニクは信じられないといった表情で、悠真に尋ねる。


「まあ、別に救世主メサイアって訳じゃないですけど……回復魔法は一応、使えるんで」


 頭をボリボリと掻く悠真に、腕を動かせるようになったルドラが「ありがとう! 助かったよ」と感謝の意を伝える。


「それにしても【二つの職業ダブル・クラス】か……何年も前ならともかく、今そんなことをする探索者シーカーがいるなんて」

二つの職業ダブル・クラス?」


 ルドラの言葉に、悠真はキョトンとした表情をする。なんのことか分からないといった様子だ。

 ルドラに代わって、アニクが口を開いた。


「回復魔法と攻撃魔法の二つを使える人間のことじゃよ。まだ魔法のことがよく分かっていなかった頃に、実験的に試された探索者シーカーの形じゃな」

「へ~、そうなんですか」


 悠真は感心したように頷いた。本当に知らなかったのだろうか? 現実に回復魔法と風魔法が使えているのなら、それは日本が二つの職業ダブル・クラスの育成に成功したことを意味する。

 本人が知らないなど有り得ないが、とアニクは怪訝けげんに思った。


「なんにせよ、回復魔法と攻撃魔法の両方が使えるのなら、おぬしらに取って三鷹はダンジョン攻略の要ということじゃな。なるほど、おぬしに感じていた違和感の正体がやっと分かったわい」


 アニクは納得して「ひゃっひゃっひゃ」と笑い声を上げた。


「さて、三鷹よ。回復魔法に使える魔力はまだ残っておるか?」

「え、ええ、まだ大丈夫です」


 アニクは顎髭を撫でる。最下層まで辿り着けるか五分五分と思っていたが、回復魔法の使える人間の存在で、その可能性は飛躍的に上がった。

 ――これは神からのおぼしか?

 突然目の前に現れた僥倖ぎょうこうに感謝しつつ、アニクは背筋を伸ばして前を見据える。


「では行こう。まだダンジョンの途中じゃてな」


 ◇◇◇


 二百八十三階層――

 魔物との戦いは熾烈を極めていた。一体一体が強いうえ、襲って来る数も尋常ではない。

 そしてこの階層からカイラたち探索者シーカーの前に立ちはだかったのは、


「下がれ! セルケトだ!!」


 カイラが大声で叫ぶ。辺りに緊張が走り、誰もが後ずさった。

 現れたのは全長十メートル以上はある紫色のサソリ。巨大なハサミと針のついた尻尾を向け、探索者シーカーたちを威嚇している。


「私が相手をする! 他の者は遠距離から援護を!!」

「「「はい!」」」


 カイラのブレスレットについた魔宝石が割れる。周囲から風が流れ込み、カイラの持つ大剣【カンダ】に集まった。

 圧縮された空気は弾け、剣先に"真空"の球体を生み出す。

 カイラは足に風を纏い、五メートル以上の高さまで一気に跳躍した。大剣をかかげ、サソリに向かって斬り込んでいく。


「はああああああ!!」


 斬撃が当たった瞬間、キンッという高い音が鳴った。剣が弾かれ、カイラは衝撃で後ろに飛ばされる。


「なっ!?」


 なんとか地面に着地し、セルケトを仰ぎ見た。完全に無傷、ダメージを負っている様子はない。


「……風の障壁か!」


 カイラは唇を噛む。セルケトの体に纏わりつく"風の障壁"。

 真空魔法で"障壁"は打ち消すことができたが、同時に真空も相殺されてしまった。そのため硬い外殻に剣が弾かれたのだ。

 セルケトは再び風の鎧を展開する。

 ――真空魔法が通じない【深層の魔物】……どうすれば……。

 カイラが一瞬ひるんだ瞬間、セルケトが動き出す。想像以上の速さでインドの探索者シーカーたちに迫り、振るったハサミで五人を即死させた。

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