第250話 火の眷属

 必死に走っていたダーシャは、爆風に吹き飛ばされそうになっていた。

 さらに熱波と火の粉が降り注ぎ、周りにいたインドの探索者シーカーたちからは悲鳴が聞こえてくる。

 ダーシャは強風に耐えつつ空を見上げる。


「なんだ……あの竜は!? どうして【緑の王】と戦っている?」 


 すぐ側にいた明人も、目をすがめて上空を見る。


「あれは、たぶん悠真が変身した姿や!」

「三鷹が!? あの赤い竜だと言うのか?」


 明人の言葉が信じられず、ダーシャは訳が分からないまま眉間にしわを寄せる。

 何度も起こる爆発、吹き荒れる風。空に目を移せば、爆炎の切れ目から竜の姿が垣間見える。

 そして巨大な"蛾"である【緑の王】も姿を現した。

 遠目で分かりにくいが、赤い竜は間違いなく【緑の王】と戦っている。本当に竜が三鷹なのか?

 ダーシャは混乱したが、赤い竜は明らかに緑の王を押していた。そして空を覆い尽くす虫の魔物も、炎と風に巻き込まれ、その多くが死んでいる。

 虫の天蓋てんがいに大きな穴が空き、太陽の光が差し込む。

 今まで抱くことのできなかった希望の光のように。

 その光景を見てダーシャは思ってしまった。緑の王を倒し、この絶望的な世界を変えられるかもしれないと。

 三鷹悠真が何者かは分からない。

 いや、何者でも構わない。

 ダーシャは風に耐えながら、祈るようにつぶやく。


「頼む……我々を、インドを救ってくれ……」


 ◇◇◇


 ルイとカイラ、そして多くの探索者シーカーたちも上空の戦いに魅入みいられていた。


「あれが……【赤の王】……」


 カイラは絶句したまま巨大な竜を見つめる。今まで【緑の王】の情報しかなかったため、緑の王こそ最強にして唯一無二の魔物だと思っていた。

 だが、違う。今猛威を振るって竜は辺り一帯を焼き尽くし、想像を絶する大爆発を何度も引き起こす。

 緑の王に匹敵するかそれ以上……あんなもの、人間が敵う相手じゃない。

 カイラはチラリとルイを見た。こいつらはあんな化物と戦っていたのか。

 そして三鷹悠真は【赤の王】を倒し、その力を手に入れた。にわかには信じられない話だが、目の前で繰り広げられる現実を見れば、信じざるを得ない。


「カイラさん、行こう! 【緑の王】は必ず悠真が倒してくれる。僕らは生き延びることだけ考えよう」


 カイラは戸惑いつつも「あ、ああ」と頷き、前を見て走り出す。

 インドの探索者シーカーたちも空を呆然と眺めていたが、カイラが走り出したのに気づき、慌てて後を追った。

 全員がこの"厄災"から逃れたい。そう思っていた。

 だが、絶望が行く手を阻む。


「なっ!? あれは――」


 ルイが足を止め、正面を睨む。それに呼応するようにカイラやインドの探索者シーカーたちも動きを止めた。

 かすかに聞こえる地鳴り、空に響く羽音。

 東の空と平野から、おびただしい数の虫の魔物がやって来る。


「やはり……我々に逃げ道などないんだ」


 カイラは諦めるようにつぶやき、その場に膝をついた。

 それはカイラだけではない。インドの探索者シーカーたちも恐怖で顔を歪め、次々に膝をついて項垂うなだれた。

 逃れられない"死"が迫って来る。

 西の空や地上は【緑の王】と【赤の王】の戦いにより、魔物たちは壊滅的な損害を受け、その数を大きく減らしていた。

 だが、東にいた魔物たちは被害も少なく多くが健在。数はほとんど減っていない。

 正面の空は虫に覆い尽くされ、いまだ暗闇に包まれている。地上からも地面が見えないほどの魔物が向かってくる。

 さらに左右からも数限りない魔物たちが集まってきた。

 全部合わせれば一千万匹はいるだろう。ルイは体から力が抜けていくのを感じた。

 この数にかなうはずがない。かといって逃げる場所もない。今から西に戻っても炎と風に巻き込まれて死ぬだけだ。

 ルイやカイラがなにもできないまま立ち尽くしていると、明人とダーシャが追いついて来た。


「おい、ルイ!」

「明人……」


 ルイは青い顔で振り返り、明人の顔を見る。


「なんちゅう顔してんねん! ここにおったら死ぬだけやぞ!!」


 明人も周囲を見回し、瞬時に状況を把握した。左右から来ていた魔物たちは速度を上げ、回り込んで退路を断とうとする。

 ルイと明人はグルリと周囲を見渡す。

 囲まれた。魔物たちは、四方からゆっくりと距離を詰めてくる。

 羽虫たちも上空で螺旋状に渦巻き、いつでも襲いかかれる態勢を整えていた。確実に自分たちを殺す気だ。

 ルイはそう確信し、臍を噛む。

 ことここに至ってできることはない。戦っても死ぬ時間が少し伸びるだけだろう。

 悠真が最強の特異な性質の魔物ユニーク・モンスター【緑の王】を抑えているというのに、自分はなにもできないなんて……。

 ルイが悔しさを噛みしめていた時、明人が口を開く。


「お、おい……あれ、なんや?」


 ルイが顔を上げる。すると、東の空に不思議な光景が広がっていた。

 虫に覆われ、真暗になっている空に、ポツリポツリと明かりが灯る。とても小さな光の点。

 一瞬、闇の切れ間から差し込んだ太陽の光かと思ったが、違う。

 赤い灯火ともしびのような輝き、その数は徐々に増えていった。数十……いや、百近い数になっている。

 インドの探索者シーカーも気づき始め、一人、また一人と顔を上げる。

 カイラやダーシャ、アニクたちも怪訝な表情で空を眺めた。なにが起きているのか分からないが、小さな光はこちらに向かって来る。

 ルイが目をらすと、次第に光の正体が分かってきた。

 あれは――


「エンシェント・ドラゴン!!」


 明人も目を見開き、上空をめる。

 

「あの目撃されてたドラゴンか!? なんでこんなところに……」


 そう言って明人はハッとした。


「まさか……追って来たのか? 【赤の王】の力を取り込んだ悠真を!」

「そんな」


 ルイは息を飲む。ないとは言えない。悠真は魔宝石を飲み込み、【赤の王】に変身することまでできる。

 だとしたら【赤の王】に近い"マナ"を体から放っていてもおかしくない。

 ――でも、どうしてよりによって"今"、なんだ!?


「しゃれにならんで、山ほどいる虫の魔物に、何十匹ものエンシェント・ドラゴンやと!? 命がいくつあっても足りひんで!!」


 明人は顔をしかめて舌打ちする。ルイも同じことを思った。

 ただでさえ絶望的な状況なのに、さらなる絶望が襲いかかってくる。

 もうダメだ。悠真は【緑の王】との戦いで手一杯。助けにくる余裕はないだろう。仮にあれだけの魔物と戦っても、死ぬ時間が数分延びる程度。

 大した意味はない。それでも――

 ルイは腰に携えた刀に手をかける。

 なにもせずに殺されるなど、到底容認できない。

 最後の一秒まで必死に足掻く。決意を込めて刀を抜こうとした瞬間、インドの探索者シーカーから声が上がった。


「お、おい、見ろ!!」


 その声を聞いてルイは視線を空に向ける。

 そこには信じられない光景が広がっていた。

 空に何本もの閃光が走り、上空にいた羽虫が焼き尽くされる。地上にも赤い閃光が無数に落ちていく。

 エンシェント・ドラゴンが吐き出した火炎放射。数百メートルは伸びていく火炎が容赦なく虫の魔物をほうむっていった。

 炎に巻かれた羽虫は次々に落下し、地上の魔物は燃え盛る業火に焼かれていく。

 すべなく殺されていく魔物たちは、炎の竜から我先にと逃げ出していった。ルイたちを囲んでいた魔物の大群も、火炎が直撃し、包囲が完全に崩れてしまう。


「どうして……まさか、僕らを助けてくれてるのか?」


 困惑するルイの言葉に、明人は「いや」と冷静に返す。


「ヤツらは【赤の王】の元へ向かってるんや。その前に邪魔な虫の魔物がおったから殺してるだけやろう。、ワイらを助けとるんとちゃうで」


 ルイは「確かに」と思い直す。その話は聞いたことがあった。

 同じダンジョンで魔物同士が戦うことはないが、違うダンジョンの魔物たちでは分からないと。

 だが、そんなことはどうでもいい。


「明人、今の内に逃げよう! これは千載一遇のチャンスだよ!!」

「ああ、せやな! 逃げられる機会は今しかない!!」


 ルイと明人はカイラやダーシャ、インドの探索者シーカーたちに声をかけ、全員で虫が少ない方向へと走り出した。

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