第215話 インド上陸

 どこまでも続く大海原。ジャワ海を一隻の公共フェリーが進んでいた。

 インドに行くため、悠真たちが乗船したフェリーだ。船体は真っ白で、とても綺麗な外観だった。

 悠真は甲板の先端に立ち、とてつもなく広い海を眺めていた。

 ここからインドまで数日かかるらしい。航空機ならもっと早いが、インドの上空は虫の魔物に支配されている。

 このルートでしか行けない以上、待つしかないだろう。


「船酔いは大丈夫?」


 後ろから声をかけられた。振り向くと、そこにいたのはルイだ。


「はい、これ」


 缶コーヒーを手渡され、「おう」と言って受け取る。

 ルイは隣に立ち、自分の持つコーヒーをすすって海を眺めた。悠真もタブを使ってフタを開け、コーヒーを口にする。

 二人は黙ったまま、しばらく海を見ていた。最初に口を切ったのは悠真だ。


「そういえば、まだ礼を言ってなかったな。ありがとうルイ、助けてくれて」

「え?」

「俺が刺された時、お前が助けてくれたろ? 気を失いそうになってたけど、ハッキリ覚えてるよ」

「ああ、いいんだよ。そんなこと」


 ルイは遠くを見て、口をつぐんだ。しばらくして悠真の方に顔を向ける。


「僕こそ、まだ君にあやまってない。ごめんね悠真。知らなかったとはいえ、君を傷つけたのは僕だ」


 コーヒーを飲みかけた悠真は手を止め、眉を寄せた。


「なんであやまるんだ? お前は仕事をしただけだろ、俺がお前でも同じことをしたと思うぞ」

「でも……」

「明人を見てみろよ。一ミリも気にしてないだろ?」


 二人は部屋にいる明人のことを思い返す。「朝まで起こすなや!」と言ったきり、イビキをかいて今も寝ている。

 確かに気にしてそうにないね、と言うルイと一緒に笑った。

 過去のことはどうでもいい。重要なのはルイと明人、この二人がいなかったら今ごろ死んでいたということだ。

 やはり一人では目的を達成できない。

 そんなことを考えながら、悠真は揺れる水面みなもに目を向けていた。


 ◇◇◇


 フェリーは一度マレーシアに寄港し、補給を受けたあと再び出発する。

 アンダマン海を抜けてベンガル湾に入ると、目的地であるパラディーブ港が見えてきた。


「やっとかい。長かったな」


 甲板から陸地を眺める明人がボヤく。悠真も「ああ」と答え、視線の先にあるインドの大地を見据えた。

 その時、ふと上空に黒い雲があることに気づく。


「あれは……」


 まるでモヤのように空を覆っている。明人も空を見上げて顔をしかめた。


「虫の魔物やな。インドでは"羽虫"が山ほどおって、人を襲いまくっとるそうや」

「あれが全部魔物?」


 悠真は驚愕する。話には聞いていたが、実際目にするとその物量に圧倒された。

 インドの人たちはこんな環境で暮らしているのか。明人と話していると、旅程を確認していたルイがやってきた。


「悠真、港には日本政府が用意した車が迎えにきてるらしいから、すぐにカタックに向かうことになる」

「カタック?」

「オリッサ州の都市だよ。そこが探索者シーカーの拠点になってるみたいだ。世界最大の緑のダンジョン【ドヴァーラパーラ】もその近くにある」

「ドヴァーラパーラか」


 悠真は改めてインドの上空に集まる数限りない魔物に目を向ける。

 インドネシアとは比べものにならない被害を出している場所。【緑の王】の討伐と【深層のダンジョン】の攻略……その二つを本当に成し遂げることができるのか。

 不安な気持ちが頭をもたげた。


 ◇◇◇


「おいおい、ちょっと待て! どういうことや!?」


 明人が港湾職員の胸ぐらを掴み、捻り上げた。


「く、苦しい……」

「明人! なにやってるんだ」


 ルイが間に入り、明人と職員を引き離す。


「そやかてコイツ、政府が用意するはずの車を知らんて抜かすんやぞ!」

「ほ、本当ですよ。私はなにも聞いてません」


 若い男性の港湾職員は、ケホケホと咳込みながら答える。ルイが明人の前に立ち、職員に話しかける。


「すいませんでした。手荒なマネをして……でも、日本政府がインド政府に連絡を入れてるはずなんです。分かる職員の方はいらっしゃいませんか?」

「む、無理です。この港はほとんど機能してませんし、責任者と呼べる人も逃げ出しました。私より上の職員はいませんので、その私が知らないのであれば……」


 職員は申し訳なさそうに下を向く。悠真たちは辺りを見回した。

 寄港する船もほとんど無く、人の気配も見受けられない。恐らく通常であれば賑わっていたであろう港は、悲しいくらい閑散としていた。


「インド政府と連絡は取れますか? あるいは日本の領事館と」


 職員はフルフルと首を振る。


「インドの中央政府があるニューデリーが、虫の襲撃で壊滅したそうです。今はどこも混乱していて、政府機関との連絡が難しくなってます」


 その話を聞いて、明人が「チッ」と舌打ちする。


「ワイらが援軍に来たことが、うまく伝わっとらんちゅうことか!」

「そうみたいだね」


 ルイは職員にお礼を言い、通常の仕事に戻ってもらった。こんな環境でも自分の仕事を務めようとするなんて、かなり責任感のある人だな。

 悠真はそんなことを思いながら、去っていく職員を見送った。


「どうするんや、これから? 移動手段の車が無いのは難儀やで」


 ルイは担いでいたバッグから地図を取り出し、道順を調べ始める。


「公共交通は機能してないだろうね。カタックまでは3~40キロだから、歩いていけない距離じゃないよ」

「3~40キロ!? いやいやいや、そんなに歩けるかい! 車探すで、車」


 そう言って明人は歩いて行ってしまった。悠真とルイは仕方なく後に付いていく。

 いくつも並んだコンテナの脇に、一台の車が止まっていた。白の軽トラだ。明人は中を覗き込む。


「なにやってんだ?」


 悠真が怪訝な顔で聞く。明人はなにも答えず、ゲイ・ボルグの柄の部分を使って車の窓を叩き割った。

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