第104話 防衛審議官

「あ~やっとゆっくりできるよ。マメゾウ、俺がいない間さみしかったか?」

「わんっ!」


 家に帰って来た翌日、悠真は家の裏庭でマメゾウの頭を撫でていた。

 ずっと働き詰めだったため、久しぶりに感じる癒しの時間だ。


「いや、三十日間休み無しだったよ。よく考えたら働いてない時は筋トレか格闘技の訓練やってたからな。しんどかった……」

「くぅ~ん」

「おう、マメゾウ。俺をいたわってくれるのか? お前はやさしいな」


 マメゾウの首輪にリードを嵌め、悠真が「散歩に行くぞ!」と言うと、マメゾウは嬉しそうに「わん、わんっ!」とはしゃいでいた。


 ◇◇◇


 東京都新宿区にある防衛省の防衛省庁舎A棟。

 その十二階の大会議室に、国の危機管理を預かる各省庁の役人。そしてダンジョンに関する専門家が集められていた。

 口の字形式で並べられた長机。出入口から遠い上座に着席したのは、防衛審議官の芹沢だ。


「始めよう」


 重々しい芹沢の言葉で会議が始まった。

 最初に報告書を読み上げたのは、陸上自衛隊の陸将、柿谷だった。


「『赤のダンジョン』の管理運営を担当しております、霞ヶ浦駐屯地の柿谷です。現在、赤のダンジョンからのマナ流出は一定値で安定しております。高止まりとも言えますが、今のところ問題は起きておりません」


 緊張した面持ちの柿谷が、チラリと芹沢を見る。厳しい表情を崩さないまま、芹沢は柿谷を睨んでいた。


「問題が起きていない? 魔物が地上に出て来たというのにか?」

「そ、それは……」


 柿谷の額に脂汗が浮かぶ。「逃げ出した魔物については?」と芹沢が別の人間に話を振ったため、柿谷は黙って席に座る。

 次に立ち上がったのは、警察庁警備局長の佐々岡だ。


「茨城のダンジョンから出てきた魔物。‶ヘル・ガルム″と呼称されるものですが、その後栃木、埼玉を経由して東京の『あきる野市』まで移動して来たことが監視カメラの映像や目撃者の証言によって分かっております」

「すでに死んだと報告にあるが?」

「はい、それ以降の目撃が無いこと。あきる野市にある駐車場で魔物が暴れた形跡があることから、そこで力尽きたのではないかと……」

「それは間違いないんだな?」


 芹沢に強く聞かれた佐々岡は、ゴクリと唾を飲んでから答える。


「く、詳しいことにつきましては、専門家であるエルシード社の探索者に来てもらっております。そちらから報告をお願いします」


 そう言って佐々岡は、そそくさと着席した。芹沢が視線を向けると、左端の席に座っていた男が立ちあがる。

 スーツを着てネクタイを締めているが、体つきは役人のそれではない。

 

「エルシード社の天王寺です。今朝、現場に直接行って状況を確認してきました」


 芹沢は、この男が天王寺かと眉をひそめる。国内最強と呼ばれる探索者シーカーの名前は、芹沢も当然知っていた。

 まっすぐにこちらを見つめる天王寺に対し、芹沢は「それで」と話を促す。


「その場所でヘル・ガルムが死んだのは間違いないと思います。しかし、報告書にある‶マナ″が尽きて自壊したとの見解には疑義があります」

「それはどういうことだね?」

「現場には明らかに争った形跡がありました。ヘル・ガルムは何者かに殺されたと考えるべきです」


 議場がざわついた。いかに天王寺の言葉といえど、とても信じられない。


「天王寺君、報告書では地上に出たヘル・ガルムの討伐は困難で、マナが尽きるのを待つしかないとある。君の意見とは反対だが、そう思う根拠はなんだね?」


 芹沢は静かに天王寺を睨むが、天王寺は意に介さず話を続けた。


「我々は当初、ダンジョンの外に出た魔物は一定の時間がくれば力尽きて死ぬと考えました。海外でもそのような事例があります」


 芹沢は口を挟まず、黙って聞いている。


「しかし、警察の鑑識が現場を調べたところ、コンクリートが炎で広範囲に溶けていることが分かりました。かなり高温の炎を大量に吐かないと、そんな状態にはならないそうです。時間が経っているにも関わらず、それほどの魔力が使えるのは我々としても予想外でした」

「それだけかね?」

「いえ、私は現場に残っている『残留マナ』を感じ取ることができます。恐らくあの場所にはヘル・ガルムだけではなく、他にも誰かいたと考えています」

「それは探索者シーカーとしての、君の能力か?」

「そうです」


 芹沢は「う~ん」と言って考え込む。ダンジョンのことは役人では分からない。

 専門家である探索者の意見を軽視することはできないが――


「では、その者が魔物を倒したと?」

「はい、あの場所にはヘル・ガルムの‶火の魔力″ではない、別の強力な魔力の痕跡がありました。間違いなく、何者かがヘル・ガルムを倒したんです」

「しかし一体誰が? その魔物は相当強い【深層の魔物】だと聞いている。地上でそんな魔物を倒せる探索者シーカーがいるのかね」

「いえ……私が知る限りはいません」

「だったら、どうやって魔物を倒すんだ? 通常の銃器では深層の魔物に通じない。それは君も知っているだろう」

「はい、もちろん知っています。しかし、破壊された電柱やコンクリートを見ても、あそこで戦闘があったのは間違いありません。私自身、どういうことか困惑しましたが、唯一可能性があるとすれば――」

「なんだね?」


 芹沢が怪訝な顔をする。


「いたのは人ではなく、だったのではないでしょうか?」


 あまりに突飛な発言だったため、会議の出席者は唖然とした。そして所々から失笑が漏れてくる。


「君は自分がなにを言っているのか分かっているのか? 他のダンジョンから魔物が抜け出たなど、そんな報告は一切無いんだぞ!」


 芹沢が不機嫌そうに聞くと、天王寺は「もちろん分かっています」と冷静に答えた。


「しかし、赤のダンジョンから魔物が抜け出したように、他のダンジョンから魔物が出てきたとしても不思議ではありません。そもそもヘル・ガルムがこんな所まで来るのは不自然ですし、なんらかの目的……あるいは目標のようなものがあったのではないでしょうか?」


 話を聞き、芹沢は目頭を指で押さえた。推測でしかないため一笑に伏すこともできるが、国際的にも有名な探索者の意見だけに無下にもできない。

 芹沢は軽く頭を振って天王寺を見る。


「それに関しては確認のしようがない。今は保留にしておこう。それで『赤のダンジョン』のマナ流出について、エルシード社の見解を聞かせてくれないか」


 ダンジョンの管理は国が行っているが、魔物を倒すことができるのはダンジョン関連企業の探索者シーカーと、一部の自衛官しかいない。

 そのため、今回の非常事態においてエルシード社の役割は大きかった。


「ダンジョンは現在立入禁止にしており、数十人の探索者に出入口を見張らせています。今のうちに全国にいる上位探索者シーカーを呼び寄せて対応するつもりでいますが、今後さらに魔物が流出してくるようなら、封鎖を含め検討する予定です。具体的にどうするかは防衛省と協議しています」

「そうか……分かった」


 課題は山積していたが、諸々もろもろの問題については次の会議に持ち越しとなった。席を立つ芹沢、退室していく天王寺の背中を見送る。

 ――いたのは人ではなく、魔物だった。

 天王寺の言葉が頭の中でこだまする。芹沢はかぶりを振り、机の上に置かれた資料を手に取る。

 もし、それが本当だったら……。

 一抹の不安を覚えつつ、芹沢も会議室を後にした。

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