第246話 朧げな明かり

 ルイや明人、アニクたちは丸一日をかけ、ダンジョンをひたすら上っていた。

 短時間の休憩は挟んだものの、不眠不休で移動していたため、全員の疲労はピークに達していた。


「悠真は大丈夫か?」


 何度目かの休憩の際、岩の上に座った明人がルドラに尋ねる。


「ええ、目は覚ましていませんが、心臓の鼓動や呼吸に問題はありません。ダンジョンから出て救世主メサイアの治療を受けられれば、充分助かると思います」

「そうか……それなら良かった」


 明人だけでなく、横で聞いていたルイも安心する。

 探索者シーカーたちは力を振り絞り、階層の出口を目指して再び歩き始めた。そんな折、集団の先頭を歩いていたカイラが明人たちの元へやってくる。


「なんや、ねーちゃん。ワイらに用か?」


 明人を一瞥いちべつしたカイラは視線を逸らし、なにか言いたげな表情のまま下を向く。


「どうしたんですか? カイラさん」


 ルイも戸惑い、眉を寄せて尋ねる。カイラは意を決したように振り返り、明人やルイを見る。


「その……疑って悪かった。このダンジョンを攻略できたのは、君たちのおかげだ。そのことを言いたくて」


 気恥ずかしそうに言ったカイラに対し、明人は「フンッ」と鼻を鳴らす。


「そらアイツに言うてやれ。ダンジョンを攻略できたのは、ボロボロになったアイツのおかげやからな」


 カイラは視線を切り、ルドラに背負われた悠真を見る。至る所を包帯で巻かれ、意識を失ったままの痛々しい姿。

 一人で"迷宮の守護者"に挑み、そして倒した男。

 カイラは軽く下唇を噛んでから、後悔を含むようにつぶやく。


「そうだな……」


 その後カイラはなにもしゃべらず、黙って歩き続けた。


 ドヴァーラパーラ四十九階層――

 最下層から上がってくること一日半。ダンジョンの崩壊する速度に追いつかれることなく、順調に進んでいた明人たちだったが……。


「おい、ねーちゃん! 五十階層から後方支援の連中が来るんとちゃうんか? ひとっこひとりおらんやないか!」


 明人が怒りの表情を見せる。地上で待機しているダーシャたちは、本来、攻略組がダンジョンを踏破すれば、五十階層まで迎えに来るはずだった。

 しかし、その気配はまったくない。

 聞いていた話と違うと、明人は憤慨する。


「おかしい……魔物がダンジョンから消えてるんだ。姉さんも攻略が成功したのは気づいているはずなのに」


 カイラも困惑した表情で足を止める。アゴに手を当て考え込むと、ハッとして前を見る。


「まさか……上でなにかあったのか!?」


 カイラの顔が途端に青ざめていく。そんなカイラを見て、アニクが口を開いた。


「ともかく、先を急ぐしかない。ここであれこれ考えておっても仕方ないでな」


 アニクの言葉に明人たちも頷き、全員で先を急いだ。


 ◇◇◇


 迷宮の守護者を倒してから、四十二時間。

 一行はとうとうダンジョンの入口に続く坂の前に辿り着いた。

 それは不可能と思われたミッションを成し遂げ、犠牲を出しながらも生還するという、まさに奇跡を起こしたことを意味する。

 インドの探索者シーカーの中には、望外な結果に涙する者もいた。

 明人もなんとか帰れたことに、「はは」と小さく笑う。

 なだらかな傾斜を登りながら、ルイは明人に話しかけた。


「ダーシャさんたち、無事だといいけど」

「せやな。まあ、行ってみれば分かるやろう」


 ドヴァーラパーラの入口から外に出ると、安堵の表情を浮かべていた探索者シーカーたちの顔がとたんに曇る。

 それは、あまりにも異質な光景が広がっていたからだ。


「どうなっとるんや、これ?」


 明人がつぶやく。ダンジョンの入口付近に、ダーシャを始めとした後方支援組は誰もいなかった。

 しかし、それ以上に彼らを困惑させたのは――


「どうしてこんなに暗いんだ!? 今は昼間のはず……それなのに」


 カイラが辺りを見回しながら言う。それは明人やルイも同じように思った。

 現在の時刻は午前十一時。天気が悪かったとしても、ここまで暗くなるなどありえない。

 明人がそう思っていた時、インドの探索者シーカーの一人が声を上げる。


「お、おい! あっちに誰かいるぞ」


 探索者シーカーが指差した方向。明人やルイ、カイラが視線を向ける。

 暗くてよく見えないが、近くにある小高い丘の上に、多くの人影が見て取れる。ダーシャたち後方支援組だろう。


「行こう」


 ルイの言葉にカイラやアニクも頷き、全員で丘に向かう。

 近くに行くと、人影はやはり後方支援組の探索者シーカーたちだということが分かる。誰もが空を見やり、呆けるように立ち尽くしていた。

 カイラが走り出す。


「どうした? なにがあったんだ!?」


 カイラは探索者シーカーの肩を掴み、揺すって話を聞こうとする。だが、カイラに問われた男はなにも答えず、呆然とするばかりだ。

 カイラも人々の視線の先を見る。

 その瞬間、カイラも動きを止め、蒼白な顔になった。その様子を後ろで見ていた明人やルイは「なんだ?」といぶかしむ。


「なんや、なにがあったんや!?」


 ルイに体を支えられながら、明人が丘の上まで登る。

 頂上に着いた瞬間、視界が開け、遥か遠くの光景が目に飛び込んできた。


「なんや……あれ」


 明人は呆然とし、隣にいたルイは思わず息を飲んだ。

 空も大地も、地平線の彼方まで黒くうごめくものに覆い尽くされている。空からはわずかに光が漏れるものの、すぐに遮断され、闇が辺りを支配する。


「虫の魔物……これ全部が」


 ルイが苦虫を潰すような顔でつぶやく。

 それは魔物の大群だった。空を埋め尽くし、大地を埋め尽くし、世界を飲み込んでしまいそうなおびただしい数の魔物。

 目や体の一部が赤く発光しているため、闇の中に不気味な光が浮かぶ。

 とても現実とは思えない光景に、アニクやインドの探索者シーカーも、立ち尽くしたまま動くことができない。

 そんな中、放心状態になっていたカイラが、なにかを見つけて走り出す。

 向かった先、丘を少し下った場所にダーシャがいた。


「姉さん!」


 声に反応してダーシャが振り向く。


「……カイラ……よく無事で」


 二人は抱き合い、お互いの無事を喜ぶ。いつも凛々しいダーシャが泣きそうな顔をしていた。


「あれはなんなの姉さん? なにが起きてるの?」


 カイラに問われ、ダーシャは振り向いて暗く閉ざされた空を見る。


「ダンジョンの攻略に成功したことはすぐに分かったよ。私たちは喜び、五十階層まで探索者シーカーを送ろうとした。しかし四方から大量の魔物に襲われて……そのうえ

「ヤツ?」


 ダーシャは空の一点をジッと見つめた。カイラも同じ方向に目を向ける。

 一瞬分からなかったが、目を凝らしてよく見ると、小さな光があることに気づく。緑色の小さな光。


「あれは……まさか!?」

 

 カイラは恐怖を感じ、無意識に後ずさる。

 暗い空にたゆたうおぼろげな明かり。その中には二本の長い尻尾を持ち、巨大な羽を動かす生き物がいた。

 大きな複眼に、美しい曲線を描く触角。

 芸術的な美と吐き気をもよおすおぞましさ、その両方を同時に体現したような姿。

 数限りない魔物を率いて現れたのは、想像を絶する力で国を蹂躙し、インドを壊滅のふちにまで追い込んだ最強最悪の特異な性質の魔物ユニーク・モンスター――【緑の王】だった。

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