第247話 絶望の先に

「あれが……【緑の王】」


 ルイが上空を見てつぶやく。明人は「えげつない存在感やな」と言い、苦々しい顔になっていた。

 遅れて来たアニクも【緑の王】の存在に気づく。


「とうとう来おったか……これだけの魔物を連れてきたということは、インドの探索者シーカーがここに集まっとることを理解しておるな」


 カイラが険しい表情で振り返る。


「そんな知能が、ヤツにあると言うんですか!?」


 アニクはコクリと頷き、悠然と浮かぶ【王】を見る。


「充分考えられるじゃろう。ヤツは虫を束ねる統率者じゃ。他の魔物より知能が高いとしても、なんらおかしくないわい」


 アニクの言葉にカイラはほぞを噛む。他の探索者シーカーたちも絶望的な表情を浮かべた。

 そんな中、ルイがハッとして顔を上げる。


「そ、そうだ! ダーシャさん、悠真が重症を負ったんです。救世主メサイアの魔法で治療して下さい!」


 それを聞いたダーシャは、ルドラに背負われた悠真を一瞥いちべつする。

 ボロボロになり、至る所に包帯を巻かれた青年を見て、ダーシャはハァーと溜息をつき、ルイと向き合った。


救世主メサイアの回復魔法なら、その傷も治すことはできるだろう。だが、この状況……傷を治したとしても、我々に生き残る道はない」


 ダーシャの目から生気が失われていた。あれほど皆を鼓舞し、誰よりも希望を語っていたはずなのに。

 妹のカイラはそんな姉にショックを受け、明人は憤慨する。


「なに情けないこと言うとんねん、まだ終わってないやろ! ここは一旦引いて、また態勢を立て直せば……」

「無駄だ」


 ダーシャがピシャリと言う。


「もう四方を囲まれている。脱出できるルートなどないんだ」


 苦し気で、どこか諦めたような口調。恐らく、魔物の大群が現われてから脱出できるルートを模索したのだろう。

 その上で逃げられないと確信している。

 ルイと明人は現状の深刻さが分かってきた。


「とにかく、悠真は治してもらうで! じいさん!」

「うむ、分かった」


 アニクはルドラに指示を出し、悠真を救世主メサイアの元まで連れていく。

 探索者シーカーたちの中心にいた男女数名が前に出てくる。後方支援組の救世主メサイアたちだ。


「すいません、大怪我をしてるんです! 治療を……治療をお願いします!!」


 ルイが懇願すると、救世主メサイアたちは困惑してダーシャを見るが、ダーシャはなにも言わず、ただ立ち尽くしているだけだ。

 救世主メサイアの男性が地面に寝かされた悠真を見て、「分かりました。やってみます」としゃがみ込む。

 それを見た他の救世主メサイアも悠真の周りに集まり、腰を落とした。


「明人も治療を受けないと」


 ルイは全身に火傷を負った明人を心配するが、「ワイはええ。とにかく悠真を治したってくれ」と治療を拒否した。

 救世主メサイアの男女は互いに頷き合い、全員で治療にあたる。

 それぞれが悠真の体に手をかざし、意識を集中させた。やがて手の平から温かい光が溢れ、悠真を包み込む。

 七人がかりで行われた回復魔法による治療。

 完璧ではないものの、悠真の傷が徐々に癒えていくのが見て取れる。救世主メサイアは額に汗を滲ませていた。

 かなり重い火傷だったので、治療も大変なんだろうと明人は思った。

 しばらくすると悠真のまぶたがピクリと動き、ゆっくりと開いていく。


「悠真!」


 ルイの叫びに、虚ろだった悠真の目が開き、瞳孔がルイを捉える。


「ル……イ……」

「良かった……無事で」


 ルイは安堵し、ホッと胸を撫で下ろす。


「そうか……俺、最下層で倒れたのか」


 悠真の記憶が鮮明になってくる。炎の中で藻掻き苦しんだ時、明人の声が聞こえた気がした。

 上半身をムクリと起こし、周囲を見渡す。

 大勢の人間が悠真を見下ろしていた。それが後方支援組だと気づき、ここが地上だということを理解する。

 明人がフンッと鼻を鳴らし、不機嫌そうに口を開く。


「なにほうけてんねん! 自分が暴走したせいで、こっちは酷い目にあったんやで! 分かってるんか!?」


 悠真は目をパチクリさせ、「わ、悪い……自分でも止められなくて」と眉尻を下げて頭を掻いた。


「まあ、目が覚めて良かったよ。救世主メサイアの人たちのおかげだね」


 ルイに言われて、悠真は周りにいる人間に目を移す。探索者シーカーとは明らかに違う服装をした男女。

 悠真は自分の腕に視線を落とした。薄くなっているが火傷の痕がある。

 その時、初めて救世主メサイアに命を救われたのだと悟った。


「そうか、君たちのおかげで……助かったよ。ありがとう」


 悠真が立ち上がろうとすると、救世主メサイアの男性が慌てて止めようとする。


「ま、待って下さい! あなたはまだ動ける状態じゃありません。もう数十分は治療を続けないと」


 悠真は耳につけた翻訳機を無くしていたため、相手がなにを言っているのか分からなかった。

 そのためルイが間に入って通訳してくれる。


「ああ、大丈夫。あとは自分で治すよ」


 悠真は自分の胸に左手を置き、回復魔法を使った。手の平から眩い光が広がり、傷が一気に治ってゆく。


「なっ!?」


 救世主メサイアの男性が驚愕して口をポカンと開ける。

 悠真は何事もなかったかのように立ち上がり、体中の包帯を取っていく。


「悠真、こっちも頼むで。あっちこっちが傷だらけや」


 頬を緩めた明人に、悠真は「ああ、分かった」と答える。

 すぐに明人の元へ行き、回復魔法を発動して傷を治す。あまりに早く傷を治してしまったため、周りにいた探索者シーカー救世主メサイアは、信じられないといった表情で固まっていた。


「悠真、【緑の王】が仲間を引き連れてやって来たんだ」


 ルイが上空を見上げて言う。悠真も視線を向けた。

 空は大量の魔物で埋め尽くされ、その中に異様なオーラを放った魔物がいる。


「あいつが……緑の王か」


 悠真は目を離さず、"虫の王"を睨みつける。


「悠真、その右腕……」


 ルイは眉を寄せて悠真の腕を見る。回復魔法を使ったはずなのに、右腕は再生していなかった。


「ああ、俺の回復魔法じゃ治せないようだ。【赤の王】の炎で焼かれたからな、仕方ないさ」


 悠真は諦めたように軽く笑う。ルイは苦しい気持ちになった。


「その腕じゃ、戦うのは無理だ。ここは逃げることを考えよう」

「いや」


 悠真はルイの顔をまっすぐに見る。


「アイツはここで倒す。みんなは遠くに避難してくれ」


 それを聞いていた明人が「ハッ」と声を上げた。


「勝算があるんやな?」

「ああ、ある。俺を信じてくれ」


 明人は深く頷き、「……分かった。頼んだで」と言って悠真に背を向ける。

 近くで見守っていたカイラは「本気なのか!?」と驚愕するが、悠真の迷いのない目を見て口を結ぶ。


「……お前を、信じるよ。私たちを……この国を救ってくれ!」


 カイラは振り返り、インドの探索者シーカーたちに避難を呼びかける。

 アニクは顎髭を撫で、楽し気に微笑んでいた。


「あの敵を見て希望を捨てんとは……いや、むしろ自信に満ち溢れておるように見えるわい。体も万全ではなかろうに、大したもんじゃ」


 後ろに控えていたルドラが、「どういたしましょう、アニク様」と尋ねる。


「わしらも行くとしよう。ここは彼に任せるしかなさそうじゃ」


 アニクと孔雀王マカマユリのメンバーたちはきびすを返し、その場を離れていく。

 少し離れた場所にいたダーシャは、信じられない思いでいた。カイラやアニクたちはこの状況でも諦めず、全員で避難を試みている。

 もう、できることはなにも無いというのに。


「おい、カイラの姉ちゃん! なにボーとしとんねん、さっさと逃げるで!」


 ダーシャの腕を掴んだ明人だったが、その手はすぐに振り払われた。ダーシャはグッと唇を噛む。


「どこに逃げろと言うんだ! もう逃げる場所なんてない。どこに逃げても同じなら、私はここで戦い、一匹でも多くの魔物を殺す!」


 ダーシャは悲壮な表情で明人を睨んだ。


「負けるとは限らんやろ! ここから反撃に転じるんや」

「……なにも分かっていないな、天王寺」

「なんや、なにが分かってへんねん?」

「インド各地のダンジョンから出てきた虫の魔物は、全部で1億匹を超えていると言われている」

「い、1億!?」


 さしもの明人も、これには驚きを隠せない。


「お前たち日本人には分かるまい。私たちが味わった絶望が。数限りない魔物に襲われ、希望もなく仲間が死んでいく。【緑の王】は倒せない……我々は勝てないんだ。それでも仲間を鼓舞して回り、死地に送らねばならん。そんな私の気持ちが、お前に分かるというのか? 天王寺!」


 突き刺すようなダーシャの言葉。だが明人は気にすることなく、「やれやれ」と首を横に振る。


「絶望ならワイらも味わった。【赤の王】を見た時、ワイも終わったと思ったで。だけどは諦めんかった。今回も同じや」

「なにを言って……」


 明人はダーシャの腕を掴み、強引に走り出す。


「ま、待て! 私は逃げないと言って――」

「緑の王から逃げるんとちゃうで、!」

「三鷹の邪魔? なんの話だ。お前たちの中で一番実力がなかったヤツが、なんだと言うんだ!?」


 走りながらダーシャは眉を寄せる。


「今に分かる、アイツが大丈夫や言うたからには……」


 明人はニヤリと笑った。


「今度は"魔物たちヤツら"が絶望する番や!!」


 ◇◇◇


 小高い丘の上に悠真は立った。

 見渡せば、遥か地平の彼方まで魔物がいる。空も陸も、数限りない虫の魔物に覆い尽くされていた。

 この数の魔物を相手にするなど、正気の沙汰さたではない。

 悠真は小さく笑い、自分の右腕を見た。肘から下がなくなった自分の腕。

 本来なら戦いに支障が出るはずだが、これほど大量の敵が目の前にいては、それも些細なことに思える。


「ふんっ!」


 体に力を込め、金属化を発動した。皮膚は黒く染まり、全身が異形の鎧に覆われていく。

 悠真は自分の左手に視線を移す。

 緑の王を見た瞬間から、泡立つような感覚を覚えた。なにか今までと違う力が全身を駆け巡っている。

 その理由はすぐに分かった。

 左手の甲にあるキマイラの玉。曇ったまま使えなかった宝玉がうっすらと光り、またたく間に透き通っていく。

 緑の王に反応しているんだ。だとすれば、この力を使う条件は"強い敵"の存在。

 強力な変身能力を使うに値する敵がいれば【玉】は解放され能力が使用できる。

 悠真は左手を空にかかげた。玉の一つが燦然さんぜんと輝き、夜のような闇を切り裂く。全身の液体金属が波打ち、ぼこりと膨らみ始める。

 体は巨大になり、徐々に色も変わっていく。

 辺りの空気が変わり、ピリピリとした緊迫感が周囲に広がった。虫の魔物も異変に気づき、動きをピタリと止める。

 丘の上にいたは、どんどん形を変えていった。

 首が長く伸び、太い尻尾が生えてくる。背中からは大きな羽が広がり、鋭い爪のついた脚が大地を掴む。

 全身は赤々と輝き、口には凶悪なキバが見えた。

 数十メートルはあろう体躯、羽を広げた姿は【緑の王】より遥かに大きい。全ての魔物を威嚇するが如く、燃えるような双眸そうぼうで辺りを睨む。

 それはまごうことなき竜の姿。

 竜は鎌首を持ち上げ、空に向かって口を開ける。


「ヴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」


 インドの空に響き渡る咆哮。周囲の気温は一気に上がり、大地はグツグツと煮えたぎる。

 現れしは世界を爆炎の渦に沈めた最強の魔物。


    【赤の王】――アウルス・ヴェノム!!

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