第46話 はぐれ学者

 突然聞かされた話に悠真は困惑する。


「なんでも大学時代の同級生らしくてね。二人の仲がいいんだか悪いんだか分からない会話を聞くと、ちょっとドキドキしちゃうんだ。あ、ここだけの話だよ!」

「は、はあ……」


 社長の元カノ話も驚きだが、それ以上に田中のゴシップ好きに驚いてしまう。

 まるで噂好きのおばちゃんみたいだ。


「おい、悠真! 話がついたから、これから研究所に向かうぞ。今日はダンジョンの探索は中止だ」

「は、はい!」


 社長は自分のデスクにあった車のキーをポケットに入れる。


「田中さん、明日の遠征の準備を頼みます」

「分かりました」

「舞香! 昼までには戻って来る。ストックの切れた備品を買っといてくれ」

「はーい」

「じゃあ悠真、行くぞ」

「はい!」


 二人は外に出て階段を下り、駐車場に停めてあった厳ついジープに乗り込んで、くだんの研究所へと向かった。


 ◇◇◇


 東京都大田区。多くの町工場が集まる物作りの町。

 だが後継者不足や海外との競争により、経営を断念する企業も少なくない。そんな町の一角に、悠真たちが目指す研究所があった。


 車を敷地に止め、車外に下りて建物を見上げる。

 ペンキで書かれた社名は完全に剥がれ落ち、なんと書いてあったか読み取ることはできない。

 トタンの外壁はサビてボロボロ。とても研究所といった外観ではない。


「ここが研究所なんですか?」

「研究所つっても、大学を追い出された‶はぐれ学者″が使ってるだけなんだが」


 社長は正面のシャッターを素通りし、左手にある扉を開ける。

 中に入れば、金属と油の臭いが鼻をつく。薄暗いので足元に気をつけないと、転がっている工具などにつまずきそうだ。

 社長は慣れた様子で階段を上り、正面にある部屋のドアノブに手をかけた。

 室内に入ると、研究所で唯一煌々こうこうと明かりが灯っている。見れば部屋の奥に、白衣を着てパソコンに向かう髪の長い女性がいた。


「おい、連れてきたぞ! 調べてくれ」


 社長が鷹揚に話しかけると、背中を向けたままの人物は「ちょっと待ってな!」と粗暴に返した。

 いつものことなのか、社長は「チッ」と舌打ちして壁に背を預け、腕を組んで目を閉じる。どうやら待つつもりのようだ。

 悠真も白衣の女性が作業を終えるのを待つしかなかった。


「社長、あの女の人どんな学者さんなんですか?」

「うん? ああ、昔から『黒のダンジョン』の研究してる変わり者の生物学者だ。頭はいいんだが、人と衝突することが多くてな。今じゃ正規の研究機関や大学からは相手にされなくなってんだ」


 そんな人に任せて大丈夫だろうかと、悠真は心配になってきた。

 しばらくすると「よしっ」と小さな声が聞こえてくる。白衣の女性が強めにパソコンのエンターキーを叩いた後、ブラウザを閉じた。

 立ち上がってこちらに振り返る。

 黒のパンツに白いブラウス。その上から白衣を纏った長い黒髪の女性。四十代前半ぐらいだろうか。

 端正な顔立ちだと悠真は思った。だが目の下にできた濃いくまが、せっかくの美貌を台無しにしている。


「待たせたな。その子か? 調べて欲しいのは」

「ああ、そうだ」


 社長はボリボリと頭を掻きながら、素っ気なく答える。見た感じ仲が良さそうには見えない。

 女性は、なにかを考えるように顎に手を当てる。


「ふーん……マナが付きにくい体質かどうかね。聞いたことは無いが、まあいい調べてやるよ。こっちに来な!」


 社長を見るとコクリと頷く。悠真は女性の元まで歩いていった。

 すると女性は悠真の顔を覗き込み、ニヤリと笑う。


「名前は?」

「あ、はい……三鷹……悠真です」

「そうか、では三鷹。私はアイシャ・如月きさらぎだ。今から色々と調べるが、心配することはない。君の体に異常があれば、すぐに見つけてやる。私は優秀だからな」


 アイシャはそう言って、ふふふと微笑んだ。

 悠真は「は……はい」と答えるのが精一杯だった。本当に変わった人みたいだ。

 不安になる悠真を他所よそに、アイシャは社長に視線を向ける。


「鋼太郎! これはだからな。前の貸しと合わせて、必ず返してもらうぞ!」


 社長は「分かってるよ」と言って仏頂面になる。


「ついて来な!」

「は、はい」


 アイシャと共に部屋を出て、別の部屋へと入る。そこには様々な機器や、薬のような物が棚に並んでいた。


「まずは体に異常が無いか調べる。そこに座れ」

「はい」


 丸椅子に座り、辺りを見回す。アイシャは何かを持ってきて手前の椅子に座った。


「血液検査をするから、腕をだしな。採血する」

「はい……」


 アイシャは悠真の腕を軽く消毒すると、血管の場所を確認する。針先のキャップを外し、刺入部位に針を刺し込んでからホルダーに真空採血管を装着した。

 しかし悠真はここで疑問を持つ。この人は生物学者と聞いていたが、医者でもあるんだろうか?


「あ、あの……血液採取って医者か看護師しかできないんですよね? アイシャさんはそういう資格を持ってるんですか?」

「おお~、よくそんな細かいことを知っているな。安心しろ、科学の発展のためにやってるんだ。法律など矮小わいしょうなものをいちいち気にする必要はない」


 ――は!? 一瞬、なにを言っているのか分からなかったが、要するに必要な資格は持ってないってことか?

 悠真はニコニコしながら採血するアイシャを、ただ見ているしかなかった。

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