第196話 救世主
楓が防衛省に呼ばれたのは、検査を受けてから三日後のことだった。
職員に案内され、応接室に入る。革張りの黒いソファーや、高そうな木製の家具が置かれたシックな部屋。
楓はソファーに座り、持ってきたショルダーバッグを脇に置く。
両手を膝に置き、緊張した面持ちで待っていると、応接室のドアが開いた。
「お待たせしました」
入ってきたのは、以前話をした芹沢だ。
楓は「いえ……」と言って立ち上がり、背筋を伸ばした。芹沢は手でソファーを差し示し、座るように促す。
楓は再び腰を下ろし、対面には芹沢が座った。
仕立ての良いスーツを着こなす、エリートサラリーマンのような男性。楓は芹沢に対して、そんな印象を持っていた。
一つ咳ばらいをした後、芹沢は話し始める。
「先日行われた検査ですが、一ノ瀬さんは高い数値を記録しました。我々としましては一ノ瀬さんに是非、治験に参加して頂きたいと思っています」
「私が……悠真を助けられるってことですか?」
「はい、その可能性が高いかと」
楓は拳を握りしめ、キッと芹沢を見つめる。
「参加します! 私にできることがあるなら、是非やりたいです」
即答した楓に、芹沢は一瞬戸惑いを見せる。
「一ノ瀬さん、この治験は危険をともなうものです。そんなにすぐ決めて大丈夫ですか? 親御さんと相談する時間はありますが……」
「いえ、親にも今回のことは言っていません。きっと止められると思うから……私が自分で決めます!」
今日、防衛省に呼ばれたことは親はもちろん、ルイにも言っていない。
楓は例えどんな危険があろうと、この治験に選ばれれば参加しようと考えていた。最初は、悠真がどうしてあんな大ケガをしたのか分からなかった。
あとからルイが教えてくれた話では、悠真は強力な魔物に立ち向かい、撃退に多大な貢献をしたとか。
その時の戦いで重傷を負ってしまったと聞いて、楓は驚いた。
そんな危険な現場にいたなんて、夢にも思っていなかったからだ。
悠真が命をかけて戦っている間、自分はなにもしていなかった。竜たちが街を破壊している時、ただ震え、怯えていただけ。
これ以上なにもしないままなど、楓の選択肢にはなかった。
「お願いします。やらせて下さい。私が……悠真を助けます!」
楓の決意を聞き、芹沢も覚悟を決めた。
◇◇◇
楓に対する【魔宝石の人体付与手術】は、その日のうちに行われた。
政府が保有する白の魔宝石"ダイヤモンド"を被験者の胸に埋め込み、ダンジョンから採掘された特殊な金属を体に取り付ける。
基本的な原理は【魔法付与武装】と同じだが、人間の体に直接"魔宝石"を埋め込むのは危険であることに間違いはない。
一方で、この研究が確立すれば、高いマナを有さずとも強力な"魔法"が使えるようになるため、夢の技術とも呼ばれていた。
そして人体付与手術が行われた翌日――
「本当に大丈夫ですか?」
芹沢の問いに、楓は「平気です」と答える。
今いるのは悠真がいる病室。楓と芹沢、そして人体付与技術の経過を見るため、研究員二人が来ていた。
楓はベッドの脇に置かれた椅子に座り、悠真の顔を見る。
ピクリとも動かない幼馴染。包帯の下から覗く皮膚は、痛々しく焼け
本来なら"魔宝石"を体に取り込んでから、しばらくは休まなければならないらしい。だが悠真に時間がないのも事実。
楓はすぐに魔法を使うことを了承し、この場に来ていた。
体は気だるく、調子がいいとは言い難い。それでも悠真を救うにはこれしかないと自分に言い聞かせる。
悠真の体の上に右手をかざした。
「一ノ瀬さん、意識を集中してください。あなたと魔宝石の適合率なら、間違いなく回復魔法は使えるはずです」
芹沢の言葉に楓はうなずき、より深く意識を集中させる。
今日ここに来たことは誰にも言っていない。親にも、友達にも、ルイにも。
もしなにかあっても、それは自分が勝手にしたこと。他の人に気をつかわせる訳にはいかない。
ただ自分が……悠真を助けたいだけなのだから。
楓は目を閉じ、無心になって深く意識の底へと沈んでいく。
やがて右手から淡い光が溢れ出す。それを見ていた芹沢や研究者は、思わず感嘆の声を漏らした。
日本で行われた【魔宝石の人体付与】が、成功したことを意味するからだ。
光はより強く輝き、病室の中をやさしい温もりで包む。
楓はわずかに目を開け、満足気な表情で悠真を見た。
◇◇◇
とても気分がいい。なにかいい夢を見てたんだろうか?
どんな夢だったがは覚えていないが、楓に会えたような気がする。
「う……んん……」
悠真はゆっくりと目を覚ます。知らない部屋で目を覚ます経験は何度かあったが、今回は安心した。
自分が寝ているベッドの周りに、見知った顔が多くあったからだ。
「おお! 悠真、目が覚めたか」
開口一番、大声を出したのは社長だ。満面の笑みを浮かべ、悠真の顔を覗き込んでいた。
「もう、心配させないでよね!」
「大丈夫かい? 悠真くん」
舞香と田中もホッとした表情で悠真を見る。
「心配したよ。君が死んだら、私の研究対象がいなくなってしまうからね」
ふんっと鼻を鳴らし、白衣のポケットに手を入れているのはアイシャだ。相変わらず憎まれ口を叩くが、心配してくれたようだ。
「悠真……ホントに、良かった」
「ルイ」
泣きそうな顔の幼馴染を見つけて、悠真は小さく笑った。
「なんて顔してんだ……俺は死なねーよ」
バカでかい竜を倒したのは覚えている。その後の記憶がないということは、意識を失って倒れたのだろう。
かなり手傷を負ったと思うが、無事生きてたことに胸をなで下ろす。
やっぱり金属スライムの体は頑丈らしい。
「悠真、君の親御さんも来てるよ。今はお医者さんの話を聞きにいってる」
「そうか……そうなんだ」
両親が無事だったことに安心する。東京の被害は甚大だった。悠真の家は郊外にあるとは言え、不安は拭えなかった。
両親に社長やアイシャ、ルイも無事だったなら、あとは――
「楓は大丈夫か?」
悠真が楓の名前を口にした瞬間、病室にいた全員の顔が強張る。
異様な雰囲気に、悠真は怪訝な顔をした。
「あいつの家も俺と同じ郊外だから大丈夫だと思うけど……気になっちゃって。楓と連絡は取れてるのか?」
ルイに尋ねるが、うつむいて黙り込んでしまう。全身に嫌な予感が走る。
「まさか……竜の炎に……」
「違うんだ悠真」
やっと口を開いたルイは、悲壮な顔で悠真を見る。
「楓は、竜の被害には遭わなかった。この病室にもお見舞いに来てたよ」
悠真はホッとし「そうか、良かった」と、安堵の声を漏らす。しかし「だけど」と続けたルイの言葉に、耳を疑うことになる。
「死んだんだ」
「え?」
ルイがなにを言っているのか、一瞬分からなかった。
「楓は……死んでしまった」
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