第289話 イギリス上陸

 陸地が見えてきた。辺りは白い霧に包まれ、幻想的な光景が広がる。

 ドイツを出発して、実に八時間――悠真たちは目的の地、イギリスのロンドン港に到着していた。

 陸地に着けばすぐに降ろしてもらおうと考えていた悠真たちだが、行き先がロンドンだとヤコブに告げると、「じゃったら、テムズ川を進むぞい」と言って内陸部まで入ってきた。

 テムズ川はとても雄大で、いくつもの大きな橋を越えると、さらに巨大な橋が目に入る。有名な"タワーブリッジ"という橋らしい。

 その下を抜け、船はさらに川を上っていく。

 対岸には街並みが見えるが、人影はなく、怖いくらいひっそりとしていた。ただ霧だけが、川や街をうっすらと覆っている。


「やっぱり、人の気配も魔物の気配もないな」


 悠真の言葉に、ルイは「そうだね」と頷く。【青の王】との戦いのあと、ここに来るまで、魔物には一度も会わなかった。

 恐らく【緑の王】がバラ撒いた"猛毒の鱗粉"が海にいた生き物を殺し尽したのだろう。残酷な話ではあるが、そのおかげで安全に来ることができた。

 ヤコブは漁船の速度を落とし、ゆっくりと接岸する。


「さて、ワシの役目はここまでじゃ。あとはお前たちでなんとかするんじゃぞ」

「はい、ありがとうございました」


 ルイが頭を下げ、悠真も「ありがとうございます」とお礼を言う。

 悠真とルイは漁船からコンクリートの岸壁に飛び移り、振り返って船を見やる。

 ヤコブとフィン、そしてフィリックスとヴェルナーがニカリと笑って二人に視線を向けていた。


「がんばれよ。お前らなら【青の王】だって倒せるさ」


 フィリックスが親指を立てながら言い、ヴェルナーも続く。


「ドイツを救ってくれたように、イギリスの事も頼む! ここが魔物の巣窟じゃあ、ヨーロッパ全体が平和にならないからな」


 悠真はコクリと頷き、「分かりました!」と力強く答えた。最後にヤコブが身を乗り出し、大声で叫ぶ。


「お前ら、死ぬんじゃないぞ! せっかく連れてきてやったのに、早々に死んでしまっては寝覚めが悪いからの。イギリスの探索者シーカーと協力して、魔物どもをぶちのめしてやれ!!」


 相変わらず過激な爺さんだ。と思いつつ悠真とルイは顔を見交わし、苦笑する。


「みなさんも、帰りは気をつけて下さいね。海に魔物は出なくなってますけど、なにが起きるか分かりませんから」


 ルイが気遣うと、フィリックスに「分かってるよ」と返され、ヴェルナーからは「こっちの心配はいいから、自分たちの心配をしろ!」とたしなめられる。

 そしてヤコブは「じゃあの」と言い、ハンドルを回して船を離岸させた。

 悠真とルイは大きく手を振った。ドイツで世話になり、ここまでついて来てくれたフィリックスとヴェルナー。

 急な頼みを聞き入れてくれたヤコブ。嫌々ながらも一緒についてきて、漁船の運行を手伝っていたフィン。

 彼らがいなければ、ここまで順調に来れなかった。


「ありがとう。フェリックスさん、ヴェルナーさん、ヤコブさん、フィンさん、本当に助かりました! お元気で!!」


 悠真が大声を張り上げると、船の上のみんなも手を振って叫んでいる。

 徐々に小さくなってくる漁船を、ルイと悠真は見つめていた。やがて白い霧の中に消えていき、船は見えなくなる。


「いい人たちだったね」


 ルイがつぶやくと、「そうだな」と悠真が同意した。


「じゃあ、行くか。ここからが本番だからな」

「うん」


 ルイと悠真は歩き出した。レンガ造りの建物を抜け、街路樹が立ち並ぶ都市部へと足を踏み入れる。

 悠真は辺りを見回し、「ここがロンドンか」と感慨に浸った。

 日本では見かけないオシャレな建物が、街のあちこちにある。まるで映画のセットのようだ。

 そんな中、隣を歩いていたルイが口を開く。


「悠真、気づいてる?」

「ああ、結構たくさん


 悠真とルイは立ち止まり、周囲を見渡す。街にはうっすらと霧がかかり、遠くまで見通せなかった。

 だが、

 二人は相手が姿を現すまで待った。足音が四方から迫ってくる。

 悠真が正面を見つめていると、霧から出てきたのは黒いマスクをかぶった人間だった。黒い軍服を着こみ、小銃を手にしている。

 周囲からも次々と姿を現す。同じような格好をした人たちだ。

 恐らくは軍人だろう。だとするとイギリス軍か? 悠真とルイは両手を上げ、敵意がないことを示す。

 正面にいた軍人が片手を上げると、他の軍人はピタリと歩みを止めた。

 どうやらこの人がリーダーのようだ。

 正面の軍人は銃口を下ろし、黒いマスクを上げて顔を見せる。ブラウンの髪色をした白人だ。体はガッシリとしており、身長は180近くあるだろう。


「君たちはなんだ? どこから来た」


 英語で話しかけられたが、最初からイヤホン型の翻訳機を付けていたため、ハッキリと聞き取れる。


「僕たちは日本から来た探索者シーカーです。イギリス政府から正式な応援依頼があり、日本政府が応えたんです」


 ルイが流暢りゅうちょうな英語で話す。ありがたい限りだが、なんでもできるイケメンに、ちょっと腹が立つ。


「日本から?」


 軍人たちが耳をいじり出した。どうやらイヤホン型の翻訳機を、すでにしているようだ。ルイは安心し、今度は日本語で会話をする。


「そうです、日本から来た探索者シーカーです。皆さんはイギリスの軍隊ですよね? 僕たちを政府の人の元まで連れていってくれませんか?」


 リーダー格の軍人は数歩下がり、仲間と小声で話し合う。しばらくすると話が終わったようで、再び近づいてきた。


「分かった。お前たちを我々が暮らす街まで案内する。ついて来い」


 ルイと悠真は視線を交わし、うれしそうに「「はい!」」と声を重ね、軍人のあとについて行く。

 一行は二人を挟み、前に四人、後ろに十人の列となった。

 先ほどはハッキリ見えなかったが、軍人は全部で十四人いるようだ。そして『我々が暮らす街』と言うからには、たぶん多くの人が暮らしているんだろう。

 悠真はイギリスがドイツほど被害に受けていないことにホッとする。


「私の名はアンドリューだ」


 前を歩く軍人が、ふいに名乗った。一人だけマスクを外し、顔を見せてくれたリーダー格の男だ。


「あ、あの……アンドリューさん。今から行く場所には、何人ぐらいの人たちがいるんですか?」


 ルイが眉尻を下げて尋ねる。悠真もどれくらいの人が生き残っているのか気になっていた。


「ロンドンの中心部には、数百万の住民がいる」

「え!? そんなに?」


 悠真は思わず叫んだ。


「ロンドンだけじゃない。イギリスのいくつかの都市で、数百万から一千万規模の市民が守られている」

「……凄いですね。他の国は壊滅的な被害を受けているのに」


 ルイが感心したように声を漏らす。確かにドイツやインドに比べると雲泥の差だ。


「それは魔物が海から現れ始めたからだ。陸地から出てくる魔物より、襲撃の速度が遅かったからな。その分、内陸部に逃げる時間があったんだ」

「なるほど」


 ルイは納得して首肯する。悠真に取っても、人が多く助かっているというのは朗報だった。

 一行は一時間ほど歩き、目的の場所に到着する。

 着いたのはロンドンの中心部、ブリクストンという所らしい。だが、二人に取ってそこがどこかなど、どうでもいい話だった。

 問題なのは目の前の光景。悠然とそびえ立つのは氷の門。

 その門の向こうに見えるのは、

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